映画、書評、ジャズなど

手嶋龍一「武漢コンフィデンシャル」

元NHKの著者による作品です。

 

武漢と香港を結び付ける女性実業家、オックスフォード卒業生のインテリジェンス・ネットワークを効果的に物語に生かしつつ、コロナの発生源の謎が解明されていく作品となっています。

米国によるイラク攻撃についても、虚偽の情報に基づくものであった点が鋭く批判されています。

中でも感心させられるのが、武漢で生まれ香港に渡った神秘的な女性実業家マダム・クレアに関する描写です。中国史における武漢の役割とコロナ発生源としての武漢とがうまく結びつけられています。武漢は国民党政権の暫定首都とされた地です。その埠頭でのし上がった李志傑と劉少奇の出会い、文化大革命の中の香港への脱出など、中国の歴史と今回のコロナ禍をうまく結びつけています。

 

世界を股にかけた壮大なミステリー作品でした。

遠藤周作「深い河(ディープリバー)」

著者の宗教観が色濃く反映した作品です。亡くなる前の闘病中に描いた作品ということもあり、とても深遠なテーマではありますが、読みやすい作品です。

本作品に登場する人々は、それぞれの企図をもってインドのガンジス川を訪れるツアーに参加している。

磯辺は妻をガンで亡くして喪失感に包まれていた。妻が亡くなる直前に、生まれかわった自分を探してほしいと伝えられた。そして、インドに妻の生まれ変わりを探していた。

磯辺の妻の介護をボランティアで行っていた成瀬美津子は、大学時代に、キリストに献身的に祈りを捧げるまじめな大津の心を誘惑してもてあそび、その心を神から引き離すことで優越感を感じていた。そのことに罪悪感を感じ、その後フランスの修道院で神父を目指していた大津を訪ねていたが、その後大津がインドにいると聞いていた。

沼田は満州の大連で過ごした頃に心の友であった犬のクロとの出会いがきっかけで、その後童話作家になっていた。その後、長期の入院の際に病室で九官鳥と共に過ごした。その九官鳥は自分の手術中に死んでしまったが、沼田は自分の身代わりになってくれたと思っている。

そして木口は、戦争中のビルマミャンマー)で生死を彷徨いながら行軍を続けていた。その後、当時戦友だった塚田と再会したのだが、塚田から、自分たちが食べた肉が仲間も肉だったことを告白される。

そんな様々な事情を抱えるツアー客を引導していた江波は、インドに留学したこともあり、その経験を活かせる仕事に就けなかったため、ツアーガイドをやっていた。それだけに、インドの事情を理解せず、ガンジス川を不潔と感じるツアー客に厳しく当たることもあった。

 

成瀬は、ガンジス川に死体を運んでいる日本人がいると聞き、それが大津であると確信する。そしてようやく大津と再会することができた。大津はキリスト教の神父でありながら、ヒンズー教の教えに従って死後ガンジス川に流されたいという貧しい人々の希望を叶えてあげていた。。。

 

この作品で著者の宗教観がもっとも反映されているのは、もちろん大津の生き方です。日本人でありながらキリスト教徒であり、成瀬に振られたあとはフランスの修道院に籠るが、日本人の多様な宗教観が理解されず異端扱いされてしまう。さらにインドにわたり、ヒンズー教徒と一緒に暮らし、ヒンズー教とたちのガンジス川への信仰を手助けしているわけです。

この大津の生き方こそ、遠藤がたどり着いた日本人の宗教観だったのでしょう。大津が成瀬に話す中で言及しているように、信仰の対象は神でなくて、トマトでもたまねぎでもいい、そして神は存在というより、働きである、それが著者の考える日本人の宗教観を象徴しています。

 

これから先も何度も読み返す予感のする作品でした。

月村了衛「欺す衆生」

機龍警察シリーズがとてもスリリングで面白かったので、著者の本作品を読んでみたのですが、これがまたとてもよくできていて大変面白く、あっという間に読み通してしまいました。

この作品は、かつて日本社会を騒然とさせた豊田商事の事件を下敷きにしたもので、本作品では横田商事として描かれています。

横田商事の会長の視察現場に居合わせてしまった主人公隠岐は、その後、足を洗って別の職業につくが、同じく元横田商事の因幡に誘われて、原野商法や海外ファンドに手を出し、再び詐欺の道に戻っていく。

2人の成功を見て、ヤクザが近寄ってくる。隠岐らもヤクザに頼るようになり、ヤクザから離れられなくなっていく。。。

 

一旦ヤクザの世界に頼ってしまったことで、そこから足を抜けなくなり、家族まで危険に晒すような事態を招いてしまう描写が、じわじわと読者の恐怖心を煽ります。詐欺の手口の描き方にも大変リアリティがあり、著者の筆致にどんどん引き込まれていきます。

 

機龍警察とは全くテイストの異なる作品ですが、月村了衛氏の新たな魅力を味わえる作品でした。

ドン・ベントレー「シリア・サンクション」

2020年に刊行されたミステリーで、著者は本作がデビュー作だそうです。

アメリカ大統領選の直前、CIAが大統領の許可なくシリアの化学兵器研究所を襲撃したが、失敗に終わり、作戦チームの1人がテロリストに捕らわれた。国防情報局の元作戦要員のマット・ドレイクが、その救出に向かう。ドレイクは、かつてシリアで自分のパートナーを死なせてしまった罪悪感から一線を退いていたが、無理矢理前線に戻されてしまった格好だ。

他方、ホワイトハウスでは、大統領選前にこの件が表沙汰になることを嫌う大統領補佐官は、捕らわれの身の要員を見殺しにすることを大統領に進言する。

仲間の救出を優先するか、大統領選への悪影響を考慮して仲間を見殺しにするか、その狭間で判断に揺れる大統領と、現場で仲間の決死の救出を試みるドレイクの運命やいかに。。。

 

ドレイクが救出を試みる描写がやや冗長的な気がしますし、プロットもやや単純な感が否めず、シリアの複雑な内情がもう少しストーリーの核心に置かれてもよかったのではないか、という気もしますが、デビュー作品ということで、著者の今後の作品では、もう少し巧妙なストーリーとなることを期待したいと思います。

山陰紀行2 ~至極の日本庭園~

島根のアートといえば、足立美術館でしょう。日本庭園の素晴らしさはあまりに有名で、ここも今回初めて足を運ぶことができました。

 

足立美術館は、実業家の足立全康が1970年に創設したものです。横山大観のコレクションは圧巻で、近年は魯山人の数々のコレクションを収めた展示館も開設されています。

そして、やはり注目は日本庭園。

とても手の込んだ手入れが施された庭園です。

バックの風景もうまく借用しているのですが、遠くの山にわざわざ人工の滝まで作ってしまう力の入れようです。

館内のレストランのビーフシチューもとても美味しくいただきました。

 

 

また、島根のお隣の鳥取の境港には、また違った趣のアートをモチーフにした街並みがあります。それが水木しげるロードで、ストリートに沿って数々の妖怪のモニュメントが配置され、ストリート全体が鬼太郎一色に染められている独特の空間です。

ブロンズ像をストリートに設置する取り組みが始まった当初、夜中に何者かによって盗まれることもあったようですが、それが報道されると、興味を持った人たちが訪れる、という皮肉な効果があったようです。

当日はかなりの雨が降っていたものの、大勢の観光客でにぎわっていました。

商店街活性化の取組でこれだけ成功している事例は全国でもそれほど多くないと思います。当初は妖怪で街を盛り上げるという試みに対して地元の人たちの理解を得ることにだいぶ苦労したようですが、並々ならぬ努力で今日の活性化につなげた関係者の尽力には頭が下がります。

山陰紀行1 ~出雲の神々~

神話の中心舞台である出雲には一度足を運びたいと思っていましたが、ようやく実現しました。

出雲地方は、古事記日本書紀などの神話に登場することで知られていますが、実際に神話に登場する数々の神社が現存しています。そして、歴史的な背景が現代まで脈々と引き継がれています。

出雲大社大国主命が祀られています。そして、出雲大社が建造された背景には、国譲りの物語があります。つまり、大国主命天照大神に国を譲る代わりに、大国主命が住まう居として出雲大社が建造されたわけです。

大国主命は、出雲を拠点として日本国を統治していたものの、その統治がうまくできておらず、そんな状況を心配した天照大神は使者を派遣し、大国主命に対し、天つ神に国を譲るように迫ります。大国主命は国を譲ることを認め、その代わりに広大な宮、すなわち出雲大社を建造することを求め、そこに住まうことになります。

言ってみれば、これは出雲の国の簒奪の物語です。大国主命出雲大社に祀られているものの、内実は、征服した天つ神の勢力によって牛耳られる構図であり、それが今日まで続いているわけです。

国譲りの最後の談判が行われたのが、出雲大社のすぐそばにある稲佐の浜です。ここで国を譲ることを約束させられたわけですから、この地は、旧来の出雲民族にとっては、屈辱の地であるともいえます。

大国主命出雲大社に籠ってしまった後、天穂日命出雲大社の斎主になることによって、出雲の占領統治が正当化されます。天穂日命の子孫は出雲国造となり、連綿と出雲大社の斎主となった。それが千家家と北島家です。

 

ところで、司馬遼太郎の『歴史の中の日本』には「生きている出雲王朝」と題する論考が収められています。

その説明によれば、もともと出雲民族はツングースであったかもしれないという説が紹介されています。そして、八岐大蛇の伝説のオロチはツングースの一派であるオロチョンという説もあるようです。満州から本州にわたり、出雲にたどり着いたツングースたちは、鉄器文明を背景に強大な帝国を建てたものの、そこに高天ヶ原から天孫民族が押しかけてきて国を譲れと言われる。このタイミングで出雲王朝は交代していると言えます。

司馬遼太郎は、国譲りの前までの出雲王朝を第一次出雲王朝、天穂日命に連なる家系を第二次出雲王朝と呼びます。この第二次出雲王朝の家系は、天皇家と並んで日本最古の家系として現代まで受け継がれているわけです。

 

出雲大社の本殿については、今の2倍の高さ、すなわち48mあったという説がありますが、これを裏付けるものとして、10年ほど前に、敷地内から巨大な杉の柱の跡が出土し、再び大本殿が注目を浴びています。いろいろな建築家がそれぞれ想像力を働かせながら、当時の本殿が再現されているようですが、以下のその一つです。

 

天穂日命が出雲に派遣された際の拠点とされたのが、神魂(かもす)神社です。

出雲大社の本殿に似たつくりになっていて、とても神々しい雰囲気を醸し出しています。

そのやや近くに位置するのが、八重垣神社です。

この神社を奥へと進んでいくと、そこには「鏡の池」があります。

湧水からなるごく小さな池なのですが、ここは素戔嗚が八岐大蛇を退治する際に稲田姫をかくまった時の飲料水として使われたという重要な池であり、縁結びのご利益があるといわれています。

 

このほか、この地域の有名な神社として、玉造湯神社があります。

玉造といえば、もちろん温泉が有名ですが、古くから勾玉の産地として知られています。玉造温泉の中心部には川が流れ、川に沿って温泉宿が立ち並ぶ光景は、とても風情があります。

 

この地域を巡ると、至る所に神話に由来する古くからの神々が祀られており、古代のロマンを満喫することができます。想像力を膨らませながら巡ることで、楽しさは倍増します。

ダニエル・シルヴァ「教皇のスパイ」

ローマ教皇が死亡し、コンクラーベによって次の教皇が選出される運びとなったが、その裏には、壮大な陰謀が張り巡らされていたという話です。

 

主人公はイスラエル諜報機関のトップのガブリエル・アロン。亡くなった教皇パウロ7世は、アロンにあるものを渡そうとしていたが、それは教皇の死後に行方不明になる。それは、聖書の歴史を変えるような重大な文書だった。

ユダヤ人が長年迫害を受けた背景に、「マタイによる福音書」における「その血の責任は、我々と子孫にある」という言葉にあった。この言葉によって、イエスの死の責任がユダヤ人に移ってしまう。教皇がアロンに託そうとしたのは、こうした歴史を否定する福音書だった。この事実が都合悪い勢力によって、教皇は暗殺されたのだった。

コンクラーベを巡っては、多額の金が動いていた。その裏にはヨーロッパを席巻しつつある極右勢力による秘密結社があった。彼らが次の教皇を巡って画策していたのだった。

こうした陰謀を、亡くなった教皇の秘書だったドナーティとアロンが暴いていく、というのが本書の内容です。

 

教会を舞台に聖書の記述にも関連する陰謀が壮大なスケールで説得的に描かれており、とても楽しめるミステリー作品でした。