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山陰紀行1 ~出雲の神々~

神話の中心舞台である出雲には一度足を運びたいと思っていましたが、ようやく実現しました。

出雲地方は、古事記日本書紀などの神話に登場することで知られていますが、実際に神話に登場する数々の神社が現存しています。そして、歴史的な背景が現代まで脈々と引き継がれています。

出雲大社大国主命が祀られています。そして、出雲大社が建造された背景には、国譲りの物語があります。つまり、大国主命天照大神に国を譲る代わりに、大国主命が住まう居として出雲大社が建造されたわけです。

大国主命は、出雲を拠点として日本国を統治していたものの、その統治がうまくできておらず、そんな状況を心配した天照大神は使者を派遣し、大国主命に対し、天つ神に国を譲るように迫ります。大国主命は国を譲ることを認め、その代わりに広大な宮、すなわち出雲大社を建造することを求め、そこに住まうことになります。

言ってみれば、これは出雲の国の簒奪の物語です。大国主命出雲大社に祀られているものの、内実は、征服した天つ神の勢力によって牛耳られる構図であり、それが今日まで続いているわけです。

国譲りの最後の談判が行われたのが、出雲大社のすぐそばにある稲佐の浜です。ここで国を譲ることを約束させられたわけですから、この地は、旧来の出雲民族にとっては、屈辱の地であるともいえます。

大国主命出雲大社に籠ってしまった後、天穂日命出雲大社の斎主になることによって、出雲の占領統治が正当化されます。天穂日命の子孫は出雲国造となり、連綿と出雲大社の斎主となった。それが千家家と北島家です。

 

ところで、司馬遼太郎の『歴史の中の日本』には「生きている出雲王朝」と題する論考が収められています。

その説明によれば、もともと出雲民族はツングースであったかもしれないという説が紹介されています。そして、八岐大蛇の伝説のオロチはツングースの一派であるオロチョンという説もあるようです。満州から本州にわたり、出雲にたどり着いたツングースたちは、鉄器文明を背景に強大な帝国を建てたものの、そこに高天ヶ原から天孫民族が押しかけてきて国を譲れと言われる。このタイミングで出雲王朝は交代していると言えます。

司馬遼太郎は、国譲りの前までの出雲王朝を第一次出雲王朝、天穂日命に連なる家系を第二次出雲王朝と呼びます。この第二次出雲王朝の家系は、天皇家と並んで日本最古の家系として現代まで受け継がれているわけです。

 

出雲大社の本殿については、今の2倍の高さ、すなわち48mあったという説がありますが、これを裏付けるものとして、10年ほど前に、敷地内から巨大な杉の柱の跡が出土し、再び大本殿が注目を浴びています。いろいろな建築家がそれぞれ想像力を働かせながら、当時の本殿が再現されているようですが、以下のその一つです。

 

天穂日命が出雲に派遣された際の拠点とされたのが、神魂(かもす)神社です。

出雲大社の本殿に似たつくりになっていて、とても神々しい雰囲気を醸し出しています。

そのやや近くに位置するのが、八重垣神社です。

この神社を奥へと進んでいくと、そこには「鏡の池」があります。

湧水からなるごく小さな池なのですが、ここは素戔嗚が八岐大蛇を退治する際に稲田姫をかくまった時の飲料水として使われたという重要な池であり、縁結びのご利益があるといわれています。

 

このほか、この地域の有名な神社として、玉造湯神社があります。

玉造といえば、もちろん温泉が有名ですが、古くから勾玉の産地として知られています。玉造温泉の中心部には川が流れ、川に沿って温泉宿が立ち並ぶ光景は、とても風情があります。

 

この地域を巡ると、至る所に神話に由来する古くからの神々が祀られており、古代のロマンを満喫することができます。想像力を膨らませながら巡ることで、楽しさは倍増します。