奥田英朗「空中ブランコ」
2004年の直木賞受賞作です。
5篇の短編から構成される作品ですが、いずれの作品にも神経科の伊良部という医師が登場します。太っていて粗野な性格の医師で、相談に来た患者にはやみくもに太い注射を刺そうとする、どう見てもポンコツな医師なのですが、なぜか様々な患者の悩みは解決されていってしまうのです。
読者は、作品を読み進める中で、この伊良部というポンコツ医師にいつの間にか魅了されてしまいます。伊良部のどこが魅力なのかは実は私もよく説明できないのですが、適当な診察をしているように見えて、実は、患者たちの悩みがひょんなことで解決してしまう取るに足らないものであること明らかにしてしまう、まるでトリックスターのような存在なのです。
あまりに直木賞らしくない作品という感じもしますが、東野圭吾氏や伊坂幸太郎氏らを抑えての受賞ですから、大したものです。
ストレスの多い現代社会に対して、もっと気楽にやれよというメッセージを投げかけているような気がする作品で、とても清々しい読後感を味わうことができました。
ロン・カーター・カルテット@すみだトリフォニーホール
すみだトリフォニーホールで、ロン・カーター・カルテットを鑑賞してきました。
御年88歳とは思えないしゃきっとした姿勢と足取りで超満員の聴衆の前に姿を現します。それから1時間半にわたりずっとリズムを刻み続ける気力と体力には脱帽です。
もはや最後のジャズの大物レジェンドと言っても過言ではないでしょう。1960年代のモダンジャズの黄金期からマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスらのレジェンドと共演してきたプレイヤーが目の前で演奏しているのは、ジャズファンにとっては夢を見ているかのような信じられない光景です。
周りを固めるミュージシャンも、ピアノのリニー・ロスネス、テナーサックスのジミー・グリーン、ドラムのペイトン・クロスリーと実力派が揃っています。特に素晴らしかったのは女性ピアニストのリニー・ロスネス。ロン・カーターとのデュオで演奏した♪My Funny Valentineは鳥肌が立つほど素晴らしい演奏でした。
これまで、ロン・カーターの演奏を生で聴いたのは何度かあります。
東京JAZZでのNHK交響楽団との共演、それから2014年の金沢ジャズストリートでは、ケニー・バロンやベニー・ゴルソンらと共演するという何とも贅沢なステージでした。
ロン・カーターの公演はあと何回見られるかわかりませんが、来日の際はきっと足を運びたいと思います。
レジェンドのレジェンドたる所以を演奏で納得させられてしまう素晴らしい公演でした。
夕木春央「方舟」
これも昨年読んだ本です。密室トリックの典型的なミステリー小説です。
若者たちが山奥の廃墟となった地下施設に閉じ込められてしまう。そこはかつて宗教団体が使っていた施設が放置されていたものだった。そこに水が流入してくる。地下室が水で満たされてしまえば、みんな溺れてしまう。脱出するためには、誰か一人が犠牲となって地下室に残られなければならない。そんな中、地下室のメンバーが次々と殺害されていく。この中に犯人はいるはずだが、一体誰が何のために殺人を犯しているのか。。。
互いの疑心暗鬼も生まれる中で、エンディングで事件が解決されます。やや強引などんでん返しではありますが、それでも十分な納得感があります。
ところで、著者は、自らがカルト宗教を信仰する親の下で宗教2世として育ち、高校や大学に通うこともなかったと告白しています。
「方舟」夕木春央さんインビュー 「愛されないことの責任はどこに」ミステリーで問う|好書好日
行く先が地獄にせよ約束の地にせよ、幼少期に選民的な価値観にさらされていたことが影響しているのかもしれません。
と著者が述べている点は意味深です。
城戸川りょう「高宮麻綾の引継書」
これも最近読んだ本ですが、新人作家による素晴らしい作品です。
松本清張賞は惜しくも逃したものの、これは売れるという話になってデビューとなったようです。
主人公の高宮麻綾は、自ら提案したビジネス企画が親会社の圧力でボツにされたことに怒りを爆発させ、その背景を徹底的に調査していくという話です。
とにかく、主人公の麻綾のキャラクターが立っています。この小説は麻綾の魅力で8割方成り立っていると過言ではありません。親会社にも筋を通して物を言える新人女性社員というキャラクターに、多くの読者が共感を寄せたわけです。それだけ、エンタメ小説にとってはキャラクターの魅力が大切だということです。
それにしても、作者は多忙な商社に勤務しながらこの小説を仕上げたといいます。それがいかに大変なことかを想像すると、作者のバイタリティには脱帽です。
こういう形で新しい才能が文壇に登場してくれることは、文学ファンとしてはありがたいことです。
木爾チレン「神に愛されていた」
少し前に読んだ本ですが、胸にグッと突き刺さるような印象深い作品でした。
主人公の作家東山冴理は、断筆して以来、久びりに編集者の訪問を受ける。断筆の原因となったのは、あの事件だった。
冴理は若くして人気作家の仲間入りを果たすが、そこに後輩作家の白川天音が颯爽と文壇に登場し、あっという間に注目をさらっていく。冴理は美人で才能に溢れる天音に嫉妬心を抱く。天音は冴理の高校の後輩だったから冴理のことを知らないはずはなかったのだが、一度対面した際にそっけない対応をされたことから、天音に対する憎悪は燃え上がっていく。その真相は実は。。。
純文学としての文体の美しさに加えて、物語が進むにつれて真相が明らかになっていくミステリー的な要素が秀逸です。心が揺さぶられるという感覚を久しぶりに小説を読んで味わいました。読み終わってからしばらく呆然としてしまいました。それだけ、読者の心の奥深くを刺激するような素晴らしい小説でした。
著者の本を読んだのはこれが初めてだったのですが、他の本も読んでみたくなりました。
柚木麻子「BUTTER」
久々の投稿になってしまいました。最近は、Amazonのaudibleで読書することが多くなり、本書も読んだというよりも聴いたという方が正確です。
本書は日本では2017年に刊行されていますが、2024年に英訳版が出版されると英米で大ヒット。特に英国ではブリティッシュ・ブック・アワードのデビュー小説賞、全英書店協会の読者投票新人賞、全英書店チェーン<ウォーターストーン>のブック・オブ・ジ・イヤーを次々と受賞し、2025年のダガー賞翻訳部門の最終候補にも残っています。
週刊誌記者の主人公里佳は、連続殺人で逮捕・起訴されている梶井真奈子の記事を書くために、拘置所に足を運び梶井を面会を重ねる。梶井は容姿端麗ではなく体型もぽっちゃりだったため、梶井の周辺の男たちが次々と変死した事件は世間は好奇の目を寄せた。梶井は男たちにバターをふんだんに使った美味しい手料理を振舞った話を里佳にする。里佳は次第に梶井に陶酔していき、梶井からの指南通りにレシピを再現し、彼氏とSEXをする。変わっていく里佳を心配した親友の伶子らも、梶井に翻弄されていく。。。
拘置所の中から人々の心を手玉にとって翻弄していく梶井という女の不思議な魔力がよく描かれています。梶井は男女を問わず周囲の人間を破滅に追いやっていくわけですが、それでも梶井という女に得体の知れぬ魅力を感じてしまうところが不思議です。そうした心理描写が海外で受けたのかもしれませんが、正直なところ、この小説がどうしてそこまで英米で受けたのか、その理由をはっきりと確信することはできませんでした。もちろん面白い小説であることは疑いなく、登場人物もそれぞれ陰を抱きながらも精一杯生きる魅力的な人間ばかりです。ただ、ラストミステリーというには少し物足りなさも感じられ、ミステリーとしての意外性には欠けていることは否めません。それが、数年経た後に海外で翻訳版が大ヒット。何が起こるかわかりません。
おそらく、本書でたびたび登場する「バター」というキーワードが効果的に使われていることや、里佳と伶子の間の友情と愛情をさまようような微妙な関係性、その辺が海外の読者には新鮮だったのかもしれません。最近人気のある日本文学では、同性愛的な描写が増えているような気がします。そういう描写をさらっと描けてしまうのは、タブーの少ない日本だからこそという面もあるのかもしれません。
いずれにしても、昨今海外で好調な日本文学の秘訣を探る上でも必読の書です。
澁澤龍彦「高丘親王航海記」
著者の晩年に書かれた遺作です。享年は59歳です。
本書の内容は、主人公高丘親王が天竺を目指して旅に出る話です。高丘親王は、義母の薬子から幼少期に性の手ほどきを受け、そのことが旅の最中にたびたび浮かびあがってきます。
道中では、ジュゴンや獏、鳥の下半身をした女など、おとぎ話の世界観が広がります。一番印象的なのは、子供を産んだ後に王妃がミイラになるという国の話です。
著者が死が迫る中で夢の世界と行き来しながら書いたことがうかがえます。
人生のはかなさをこんな形のファンタジーで描けるのは、並大抵の作家にできることではありません。
著者の作品を手に取るのはこれが初めてでしたが、他の作品も読んでみたいと思いました。





