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カント「永遠平和のために」

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

 光文社古典新訳文庫がなかなか素晴らしいセレクションで古典の新訳を手頃な価格で提供してくれていますが、その中でも、今日の社会情勢に最もマッチした出版はカントの「永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編」でしょう。これに含まれる「永遠平和のために」と題された論稿は、200年以上前の1795年に書かれたものです。今、我が国では、憲法、とりわけ9条の平和主義の議論が活発化しているところですが、そうした議論に対しても少なからぬ示唆を与えてくれるものです。

 まず、カントが掲げている条項を抜き出してみましょう。

〔予備条項〕
一.(戦争原因の排除)将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない。
二.(国家を物件にすることの禁止)独立して存続している国は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有とされてはならない。
三.(常備軍の廃止)常備軍はいずれは全廃すべきである。
四.(軍事国債の禁止)国家は対外的な紛争を理由に、国債を発行してはならない。
五.(内政干渉の禁止)いかなる国も他国の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
六.(卑劣な敵対行為の禁止)いかなる国家も他の国との戦争において、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為としてはならない。たとえば暗殺者や毒殺者を利用すること、降伏条約を破棄すること、戦争の相手国での暴動を扇動することなどである。

 その後の国際情勢を見てみると、これらの提言が守られたきたとはとてもいえません。特に、このカントの提言の中で特徴的である「常備軍の廃止」は、全く無視されてしまっています。

 カントは、これらの「予備条項」に続けて、「確定条項」を掲げています。これらは、このカントの論稿のクライマックスといえます。

〔確定条項〕
一.どの国の市民的な体制も、共和的なものであること。
二.国際法は、自由な国家の連合に基礎をおくべきこと。
三.世界市民法は、普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと。

 このうち、一と二は広く知られた条項です。

 一は、共和的な体制こそが永遠平和の実現にとって望ましい体制であるという考えによるものです。この点についてもう少し分かりやすく書かれたのが、以下の記述です。

「この体制では戦争をする場合には、「戦争するかどうか」について、国民の同意を得る必要がある。共和的な体制で、それ以外の方法で戦争を始めることはありえないのである。そして国民は戦争を始めた場合にみずからにふりかかってくる恐れのあるすべての事柄について、決断しなければならなくなる。みずから兵士として戦わなければならないし、戦争の経費を自分の資産から支払わなければならないし、戦争が残す惨禍ををつぐなわねばならない。さらにこれらの諸悪に加えて、たえず次の戦争が控えているために、完済することのできない借金の重荷を背負わねばならず、そのために平和の時期すらも耐えがたいものになる。だから国民は、このような割に合わない<ばくち>を始めることに慎重になるのは、ごく当然のことである。」(光文社古典新訳文庫p169)

 こうした理由から、共和制の体制は戦争よりも平和を望むのだ、とカントは指摘しているのです。

 二は、国際連盟を提言したものとして知られています。カントの提言する「平和連盟」は、次のように述べられています。

「和平条約は一つの戦争を終結させようとするだけだが、平和連盟はすべての戦争を永遠に終わらせようとするのである。この平和連盟は、国家権力のような権力を獲得しようとするものではなく、ある国家と、その国家と連盟したそのほかの国家の自由を維持し、保証することを目指すものである。しかも連盟に加わる国家は、そのために公法に服し、その強制をうける必要はない。それが自然状態における人間とは異なるところである。」(光文社古典新訳文庫p180)

 ここで注意すべき点は、カントは、「国際国家」のようなものを設立しようと言っているわけではないということです。そうではなくて、カントは「消極的な理念」が必要だとして、

「たえず拡大しつづける持続的な連合という理念」

を提唱しているのです。このことは、次の記述にも現れています。

「…理性の理念によれば、ある一つの強大国があって、他の諸国を圧倒し、世界王国を樹立し、他の諸国をこの世界王国のもとに統合してしまうよりも、この戦争状態のほうが望ましいのである。というのは、統治の範囲が広がりすぎると、法はその威力を失ってしまうものであり、魂のない専制政治が生まれ、この専制は善の芽をつみとるだけでなく、結局は無政府状態に陥るからだ。」(光文社古典新訳文庫p207−208)

「この平和は専制政治のように、すべての力を弱めることによって、自由の墓場の上に作りだされるものではなく、さまざまな力を競いあわせ、その均衡をとることによって生まれ、確保されるものである。」(光文社古典新訳文庫p208)

 つまり、カントは世界が画一的な1つの国家として統合されるのではなく、緩やかな形で世界が「連合」することを目指しているわけです。そして、それぞれの国家が競いあい、均衡をとりながら、平和が確保されるという形態を目指していることが分かります。


 こうしたカントの提言は、今日の社会情勢においても極めて示唆的であるという気がします。

 まず第一に、カントが掲げた予備条項と、我が国の日本国憲法の掲げる平和主義の近似性です。今日の自衛隊の規模や自衛隊海外派遣の現状を見るとやや当初の理念からは離れている感じが否めませんが、九条が生まれた当時の理念は、常備軍の廃止や内政干渉の禁止などを含んだものと言えるかもしれません。日本の平和主義は、まさにカントの理想を世界に先駆けて実現しようとしたという面があることは指摘しておくべきでしょう。

 それから、第二に、カントが世界王国の樹立を目指しているわけではなく、各国の多様性を前提にして、それらが競いあうような「連合」を目指している点です。例えば、イラクを始めとする中東地域に対して民主主義を押しつけようとする米国の姿勢は、自らの価値観を押しつけようとするものです。それは、カントの提言する平和の在り方とはやはり食い違っていると言わざるを得ないでしょう。


 こうした今日でも数多くの示唆を与えてくれる古典を分かりやすく手頃な価格で提供してくれている光文社に、賛辞を送りたいと思います。