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安丸良夫「神々の明治維新」

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

 日本人は過去に2度抜本的な精神構造の転換を迫られました。1度目は「明治維新」であり、2度目は「第二次世界大戦の敗戦」です。いずれも、欧米という外からの強力な影響力によるものです。

 2度目の第二次世界大戦敗戦後の占領政策や近代化が日本人の精神構造に与えた影響というのは、比較的よく研究されているように思われます。例えば、占領軍による映画や出版に対する検閲がいかに日本人の精神構造に影響を与えたかについては、江藤淳を始めとする業績があります。

 これに対し、明治維新が日本人の精神構造にどのような影響を与えたかについては、冷静な分析は少ないように見受けられます。あるとしても、明治維新を肯定的に捉え、欧米列強に並ぶための積極的な近代化の改革というイメージの下での文献が目立つように思われます。もちろん、そうした側面を否定するわけではないのですが、明治維新というのは、旧来の人々の精神構造を根底から崩した上にできあがっているわけであり、そこには当然「負」の側面もあったはずです。そうした「負」の側面にスポットを当て、明治維新が日本人の精神構造にどのような影響を与えたのかについて分析したのが、今回取り上げる安丸良夫氏の『神々の明治維新』(岩波新書)です。

 明治維新の際の宗教政策は「神仏分離」「廃仏毀釈」です。江戸末期にあっては、対外関係が切迫し、幕藩体制が動揺する中で「祭政一致」が水戸学や後期国学によって唱えられるようになります。そこには、キリスト教の影響に対する強い不安と恐怖がありました(日本史上、権力者がいかにキリスト教を畏怖したかは、秀吉を挙げるまでもなく明白です。)。そうした思想を受け継いだ者が、明治維新において「国家的祭祀」の体系を構築することが大きな課題とし、これを推し進めたのです。

 ここで廃滅の対象となったのは仏教だけかといえばそうではありません。現実の廃滅の対象となったのは

「国家によって権威づけられない神仏のすべて」(P6)

でした。つまり、人々の間に根付いていた信仰の対象が悉く「淫祠」(=いかがわしい神)とされ、破却され、伊勢神宮を頂点とする国家公認の神の体系に組み込まれていったのです。これは、国家権力が人々の宗教世界の奥深いところまで介入したことを意味します。現場においては、相当強引な宗教政策が進められ、僧侶たちも新たな神の体系に組み込まれていくことになります。明治維新の宗教政策とは、

「あらたな宗教体系の強制」(P143)

だったのです。

 その後、明治政府は結局「神道非宗教説」に立つことになります。それは、「政教分離」という近代国家の原則を模倣したことによります。国家神道は、実際には宗教として機能しながら、近代国家の制度上のタテマエとしては、儀礼や習俗だと強弁されることになります。
 「信教の自由」も大日本国憲法に盛り込まれますが、法的に神社崇拝は宗教ではないと言っても、「安寧秩序ヲ妨ゲズ、及臣民タルノ義務ニ背カザル限」という曖昧な制限規定の下で「神社神道の受容とそれへの同調化が、それぞれの宗派教団にほとんど極限的なきびしさで求められてしまうことにさえなった」(P210)のでした。

 今日の日本人は宗教とは関わりのない生活を送っている反面、初詣や神式の結婚式を行うなど、神社神道の世話にならないと内心の落ち着きが得られないわけですが、これは明治維新の宗教政策によるものなのです。

「これらの宗教的行為がふかい宗教性なしになされるのは、その由来からしても当然のことなのである。ふかい内省なしに、雑多な宗教的なものがほとんど習俗化して受容されている、といえよう。そして、ほとんど無自覚のうちにそのなかに住むことを強要してくる習俗的なものが圧倒的に優勢で、そこからはみだすとおちつかなくなり、ついにはほとんど神経症的な不安にさえとりつかれてしまうところに、私たちの社会の過剰同調的な特質があるのであろう。」(P10−11)

 「過剰同調的」という評価が今日において当たるかどうかは疑問ではありますが、いずれにしても、今日の日本人の生活意識の中には、明治維新の際の宗教政策の「痕跡」がしっかりと埋め込まれているわけです。

 そして、何よりも重要な点は、明治維新の際に、従来の日本人が崇拝していた神々がそっくり新しい神様に入れ替えさせられてしまったということです。真宗を始めとする仏教は、廃仏毀釈の嵐が収まった後、再び建て直しが図られますが、人々の間に息づいていた民俗信仰の多くは、明治維新を機に失われてしまったわけです。このことは、その時代を生きた人びとにとって、想像を絶する重大な転換を意味したに違いありません。生活の支えであった神様が別の神様に上からの力で入れ替えられてしまったわけですから。

 もちろん、こうした宗教政策を含む民衆の意識改革が、その後の日本の近代化を推し進める原動力となり、列強に伍する近代国家へと日本を導いたのは事実だとしても、失われた民間信仰の中に、実は我々日本人のアイデンティティの源泉とも言えるような何かがあったとすれば、それは残念なことでもあります。

 東京の中に江戸時代以前の痕跡を見出すことに喜びを覚えるのも、明治維新の際の「断絶」の深さを物語っているように思えます。