今回、倉敷まで足を伸ばしてみました。前回赴いたのは修学旅行のときですから、本当に久しぶりの再訪です。均質で古風な街並みと情緒溢れる水辺が印象に残っていました。
倉敷はもともと江戸時代は米の積み出し港として栄え、幕府の天領として代官所が置かれていました。明治に入ると勇士が倉敷紡績(現クラボウ)を興し、それが現在まで都市の発展の基盤となっています。
明治期に紡績業の勃興を支援したのが、資産家であった大原孝四郎です。そして孝四郎の三男の大原孫三郎が跡を継ぎ、事業を拡大しました。
この孫三郎が児島虎次郎に依頼して収集した各国の美術品が収蔵されているのが、大原美術館です。
OHARA MUSEUM of ART
大原美術館は1930年に開館しました。ルノアール、モネ、コロー、マティス、モジリアーニなど、蒼々たる顔ぶれの画家の作品が収められており、作品の質の高さは地方美術館としては飛び抜けています。
中でも有名なのは、エル・グレコの「受胎告知」です。真っ黒な壁の専用の部屋で一際明るいスポットライトを浴びているこの作品は、やはり見る人を圧倒する力を持っています。
今回はゴーギャンの「かぐわしき大地」が貸し出されていたのが残念でした。
大原美術館の分館には、児島虎次郎の作品の数々が収められています。児島は作品を収集した事実ばかりに目がいってしまいがちですが、数々の素晴らしい作品を残した画家でもあります。
また、児島虎次郎記念館には、インドやペルシアなどの膨大な数の土器や骨董品が収められています。
もともと代官所があった場所にある倉紡アイビースクエアは、広い中庭を持つ素晴らしい空間を形成しています。
一言で言えば、倉敷の街は大原家を中心として発展したと言えるでしょう。
それにしても、よくまあこれだけの街並みを維持し、発展させてきたなぁ、と感心してしまいます。大原美術館を核として、実に素晴らしい空間が広がっています。訪れる人を非日常的な感覚に包み込んでしまう点ではテーマパークのような空間です。
私は、街づくりの理想型はテーマパークのような空間の構築だと思っていますが、倉敷美観地区は、それを実現している数少ない街と言えるでしょう。
大原家の文化に対する造詣の深さがあってこそ、こうした街が構築できているのだと思います。街づくりには優れたリーダーが欠かせないということを証明している街だと思います。
それにしても、大原孫三郎という人は大変な人物だったようです。倉敷紡績や倉敷絹織(現クラレ)の社長を務めたほか、現在法政大学に置かれている大原社会問題研究所までも設立しています。
文化を核としたクリエイティブな街づくりという点では、倉敷は群を抜いているように思います。