- 作者: マイルスデイビス,クインシートループ,Miles Davis,Quincy Troup,中山康樹
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 1999/12
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この自伝の中には、白人中心社会への強烈な憎悪の言葉が散りばめられています。それほどマイルスは、全人生を白人社会との闘いに費やしたのです。
かといって、マイルスは個々の白人が嫌いだったというわけではありません。現にマイルスのバンドには、白人のビル・エバンスを始め人種の垣根なくメンバーになっていましたし、盟友というべきギル・エバンスも白人です。付き合った女性も黒人より白人が多かったとマイルスは認めています。
マイルスが憎悪の感情を向けていたのは、同じことをしていても白人ばかりがちやほやされる<米国社会>にほかならなかったのです。
「オレが頭にきているのは、自分達が見つけると、それを全部自分達の手柄にしてしまう、白人のやり口だ。自分達が見つけるまで、何も起きてなかったという具合に決めつけるだろ。おまけに白人連中が見つけるのは、必ず遅いときてる。黒人を除け者にして、功績を全部一人占めしようとするんだ。」(Ⅰp81)
「黒人というだけで、本当にひどい扱いをされてしまう。白人のスターは王様か女王様のように扱われるが、そいつらはブラック・ミュージックから盗み取って、そのうえ黒人みたいに振る舞おうとしている。わかるだろ、オレが怒るのも。」(Ⅱp208)
こんなフレーズが、この自叙伝の中で繰り返しリフレインされます。
マイルスにしてみれば、黒人のミュージシャンが最初にやったことを白人のミュージシャンが後追いでまねしているにもかかわらず、米国の音楽界は白人のスターばかりをフィーチャーしているという現状に我慢ならなかったのです。
そんなマイルスの強烈な反骨精神は、親愛なるディジー・ガレスピーとルイ・アームストロングにも向けられます。マイルスは彼らについて、次のように述べています。
「オレは、ディズとルイ・アームストロングは大好きだが、彼らが客に向ける微笑みだけは大嫌いだ。・・・オレは、自分が彼らみたいなエンターテイナーだと考えたことはない。楽器もろくにできない、人種偏見だらけの馬鹿な批評家にゴマをすろうとも思わない。あいつらのために態度を変えるなんて、馬鹿げたことだ。立派なミュージシャンとしての評価には、愛想笑いなんかいらない、演奏がすべてだ、そうだろう?」(Ⅰp126)
また、マイルスがニューヨークにあるジュリアード音楽院の授業を受けているとき、音楽史の授業の講師である白人の女性が「黒人がブルースを演奏する理由は、貧しくて綿花を摘まなければならないから、悲しくて、その悲しみがブルースの根源となった」という説明をしたとき、マイルスはすかさず手をあげて次のように言います。
「ぼくは東セントルイスの出身で、父は歯科医なので金持ちですが、でもぼくはブルースを演奏します。父は綿花なんか摘んだことがないし、ぼくだって悲しみに目覚めてブルースをやっているわけじゃありません。そんな簡単な問題じゃないはずです。」(Ⅰp88)
講師の白人女性も悪気があって言った言葉ではなかったのかもしれませんが、こういう言葉に敏感に反応するところに、マイルスの強烈な反骨精神が現れています。結局、マイルスは白人一辺倒のジュリアード音楽院を辞めてしまいます。
さらに、マイルスの攻撃は、グラミー賞の選考にも向かいます。
「オレは、黒人のようにみせかけている白人にグラミー賞を与えるというやり口、黒人ミュージシャンに対する扱いに、心底腹を立てていた。」(Ⅱp192)
こうしたマイルスの態度は、ある事件をきっかけとしてより一層硬化します。それは、可愛い白人娘をタクシーに乗せてあげたマイルスに対して白人の警官が「そこをどけ」と発言したことに端を発します。その場を動かなかったマイルスを別の警官が殴りつけ、マイルスは流血し、大騒ぎになりました。ただ白人のガールフレンドがタクシーに乗るのを手伝っただけなのに、白人の警官はそういう黒人の行動を見たくなかったのだ、と自叙伝の中でマイルスは激しく憤ります。
「この事件のおかげで、オレは白人連中に取り囲まれ、黒人には正義がこれっぽちも存在しないってことを学んだ。」(Ⅱp41)
このように、この自叙伝は、人種差別の激しい米国社会への激しい批判がその多くの部分を占めていますが、モダン・ジャズの変遷の過程を克明に記した記録としても大変面白い読み物となっています。マイルス自身がモダン・ジャズの歴史そのものだったと言っても過言ではないかもしれません。
マイルスは白人社会を見返すことをモチベーションとして、周囲の多くのミュージシャンたちからいろんな要素を吸収し、その上で様々なチャレンジを繰り返していきます。そうしたチャレンジ精神は、マイルスが一定のステイタスを築き上げてからも衰えることはありません。
「ビバップの本質は変化であり、進展だ。じっと動かず、安全にしているのとは違う。創造し続けようと思う人間には、変化しかあり得ない。人生は変化であり、挑戦だ。」(Ⅱp318)
このマイルスの言葉に、マイルスの姿勢の全てが凝縮されています。後年のマイルスに対して「マイ・ファニー・バレンタイン」の演奏を頼む人たちに対して、マイルスは「古いヤツが聴きたかったらレコードを聴いてくれ」と応じました。
そして、マイルスは、実に幅広いジャンルの音楽からの吸収を図っています。例えば、「Kind Of Blue」で開花した<モード技法>ですが、これは、マイルスがギニアのアフリカ・バレエ団の公演を見てヒントを得たものです。
また、後年のマイルスは、エレクトリカルなサウンドを積極的に取り入れようとします。当時、レコードの売り上げで見ると、ジャズはロックに遙かに及ばないものでした。マイルスのコンサートも次第に満員にならないものも見られ始めます。そんなあせりも、マイルスの一層のチャレンジを促します。
「ミュージシャンは、自分が生きている時代を反映する楽器を使わなきゃダメだ。自分の求めているサウンドを実現してくれるテクノロジーを活用しなきゃならない。」(Ⅱp137)
チック・コリアに対してエレクトリック・ピアノを弾かせたのはマイルスだったようです。チック・コリアは当初乗り気でなかったのをマイルスは強引に弾かせ、いつのまにかチック・コリアはエレクトリック・ピアノの第一人者になってしまった、とマイルスは述懐しています。
マイルスには、不思議な吸引力があったように思います。モダン・ジャズで名を残した多くのミュージシャンたちは、一度はマイルスの下に引き寄せられ、共に活動し、マイルスの洗礼を受けるとともに、マイルスの下に集まった他の仲間たちから多くの刺激を受けた後、やがてマイルスのやり方について行けなくなり、マイルスの下から離れて、マイルスとは別の方向に進み出していく、モダン・ジャズの歴史の中では、こういう光景が繰り返し見られます。
言ってみれば、マイルスという<バス>が道なき道を突き進んでいる中、多くのミュージシャンたちがその<バス>に飛び乗り、しばらくとどまった後、やがて降りていく・・・そんなイメージです。
こうしたマイルスという圧倒的な存在がモダン・ジャズの歴史を語る上で絶対に欠かせないことは言うまでもありません。ただ、マイルスの旺盛なチャレンジ精神は、モダン・ジャズに対して功罪両面の影響を与えたこともまた事実であるように思います。
例えば「ビッチェズ・ブリュー」は、後年のマイルスの名盤とされていますが、私はどう考えても、マイルスの全盛期は1950年代後半から60年代前半くらいの時期なのではないかと思わざるを得ません。確かに、「ビッチェズ・ブリュー」でマイルスは斬新なチャレンジをしていることは認めるものの、この頃になると、マイルスは自らのチャレンジに対する欲求を満たすために演奏をしているように思え、聴く側の気持ちに立った演奏を放棄しているような気がしてなりません。
マイルスがモダン・ジャズの歴史を牽引してきたことは誰もが認める事実でしょう。しかし、だからこそ、マイルスが次第に道をそれていったとき、モダン・ジャズ全体が立ち位置を見失ってしまったという感じがしてしまうわけです。
最後に、マイルスが自叙伝の中で、日本に対して大変好意を抱いていたことに触れており、大変嬉しく感じました。
日本に向かう飛行機の中でマイルスはコカイン、睡眠薬そして酒をがんがん飲み、日本に着いたときはそこら中に吐きまくる始末だった。そんなマイルスに対して、日本人は薬を出して介抱し、マイルスを王様のように扱った。
「あの日以来、日本の人々を愛しているし、尊敬もしている。ビューティフルな人々だ。いつでも大変な歓迎をしてくれるし、コンサートも必ず大成功だ。」(Ⅱp91)
また、マイルスは、黒人と日本人の共通点についても論じています。
「・・・黒人はとても日本人に似ているところがあるってことだ。どちらも笑うのが好きで、白人のように型にはまりきっていない。黒人が白人の周りで笑みをふりまくとアンクル・トムと思われるが、日本人は金と力を持っているから、そのようには思われない。・・・オレにとって世界で最高の女性は、ブラジル人、エチオピア人、日本人だ。オレが言いたいのは、美しさ、女性らしさ、教養、立ち居振る舞い、態度、男に対する敬意、すべてを総合した評価だ。」(Ⅱp329−330)
マイルスのこうした日本に対する好意的な態度は、米国社会とは異なり、日本人が黒人ジャズを適正に評価していることに起因するものと言えます。
「ヨーロッパや日本では、オレ達の世界への貢献である黒人文化に十分な敬意が払われている。彼らはよく理解している。」(Ⅱp340)
マイルスに限らず、今日においても、多くの一流ジャズ・ミュージシャンたちが頻繁に来日するなど、日本に好意を抱いているジャズ・ミュージシャンは数多くいます。おそらく、白人でも黒人でもない日本人は、両者に中立的な態度をとることができる立場にあるということが影響しているのでしょう。日本人は自らの持つこうした利点を案外気づいていないのかもしれません。
私は、正直、これほど衝撃的な自叙伝を読んだことは初めての経験でした。そして、人種問題を鋭く内包した黒人ジャズが、人間の魂の叫びのようなものであるということを、改めて実感しました。
この自叙伝を、少しでもジャズに関心を持つ人が読めば、おそらく私と同じような感想を抱くのではないかと思います。ジャズの深さを改めて実感することになるでしょう。
文庫本2冊という手軽な形で入手できるので、是非手に取ることをお勧めします。