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リロイ・ジョーンズ「ブルース・ピープル」

ブルース・ピープル?白いアメリカ、黒い音楽 (平凡社ライブラリー)

ブルース・ピープル?白いアメリカ、黒い音楽 (平凡社ライブラリー)

 アメリカの歴史はジャズの歴史から眺めることによって、とりわけ黒人と白人の間の心理面での葛藤の歴史が浮かび上がってきます。本書は黒人側の視点から、しかも、黒人社会内部での断裂に着目しつつ、アメリカ音楽における葛藤の歴史を描くことで、優れたアメリカ社会論となっています。

 アメリカという全く対照的な世界に連れてこられたアフリカの黒人たちは、そこで数世代が経つうちに異文化に順応して、アフリカ人とは全く異質な“アメリカン・ニグロ”が誕生することになります。しかし、かといってアフリカ的な側面が全て消し去られたわけではなく、芸術の側面においてはアフリカ的なものが残り続けることになります。それがブルースの魂として現れているのです。

 ブルースの起源は奴隷たちのワークソング(労働歌)です。それはアフリカの音楽とは無縁であるものの、アフリカニズムを含むものでした。その音楽の特徴は、アメリカ人たちの目から見れば音階の逸脱と見えましたが、こうした“ずらし”こそがブルーノートとしてブルースを特徴づけるものでした。

 やがて黒人たちはキリスト教の神を受け容れるようになります。アフリカの神への崇拝が禁じられことに加え、奴隷制を正当化するためには奴隷をキリスト教に改宗させるしかなかったという事情もありました。黒人たちは自分たちを迫害されたユダヤの境遇に重ね合わせます。そして、アメリカから離れることを望むのではなく、この国において少しでも幸せを手に入れようとするようになります。こうして黒人教会はニグロの生活の社会拠点となり、そこで音楽が重要な役割を果たすようになります。歌の主題や内容も変化し、これまでのフィールド・ハラーよりも旋律が美しく音楽的になっていきます。ダンスも踊るようになります。つまり、従来の白人の賛美歌をアフリカ音楽的なものへと変えていってしまったのです。

 奴隷制が終焉すると、黒人教会の中で起きたような変化が教会の外で起こってくるようになります。ニグロたちの間でもメタ・ソサエティが生まれ、黒人の中にも中産階級が現れてくるなど、階層分化が進むようになります。ニグロが自由になればなるほど亀裂が生じるという皮肉な状況が進みます。

 さて、奴隷から解放された黒人たちの多くは小作農となりますが、そこには奴隷時代にはなかった孤独が生じ、従来のワークソングのシャウトから変化したブルースが出現していきます。それは個人的な音楽でもありました。著者は次のように述べています。

「だが、ニグロがアメリカに適応し、アメリカを自分のものとしえたがゆえにブルースが発展したとしても、ブルースはまたこの国における黒人の特異な立場ゆえに発展した音楽でもある。初期のブルースは、シャウトやアフロ・キリスト教の宗教音楽から分化してできたものの、アメリカ社会の上部構造内におけるニグロの個人性を、おそらくもっとも鮮やかに表現したものであった。」(p118-119)

 初期のブルースは歌う音楽としての要素が強かったのですが、歌の要素が弱まっていき、次第にジャズへと近づいていきます。

「・・・ジャズをブルースの「後継者」と見なすべきではない。そうではなく、ブルースから発展し、そしてブルースと並行しながら、なおかつ独自の道のりを展開していったオリジナルな音楽と考えるべきだ。」(p125)

 著者はニューオリンズ一カ所からジャズが始まって広まったという説を否定しますが、この地域でのジャズの発展から本質に迫れるものと考えます。そこにはフランス文化の影響を受けたクレオールたちがいましたが、黒人たちはクレオールによるマーチング・バンドをまねるようになります。しかし、やがて人種隔離法が制定されると、白人の世界から追い払われたクレオールや黒人たちは、白人文化以外の資源を利用せざるを得なくなります。

「ニグロは決して白人になることはできなかった。だが、それは彼らにとっての強みだった。ある点にいたるといつも白人文化の支配的な流れに加わることができなくなった。この臨界点においてこそ、白人文化以外の資源を利用する必要が生じたのである。」(p139)

 こうした隔離政策の強化は、肌の色が薄めのクレオールも黒人との密接な絆を持たせることにもなり、こうして無理強いされた融合から初期のジャズの母胎が生まれることになります。

 クラシック・ブルースは、ニグロ歌手がアメリカ大衆音楽の数多くの要素、とりわけ大衆演劇に関わる音楽を採り入れたものです。それは集団の音楽でも個人的な音楽でもなく、プロのエンターテイメントとしての音楽です。それは黒人を模倣したミンストレル・ショーからの流れに位置付けられます。このクラシック・ブルースの登場について、著者は次のように述べています。

「クラシック・ブルースにはっきり現れているのは、とにかく自分たちが初めてアメリカの上部構造の「一部」になったという感覚だろう。」(p150)

 それはプロ意識が強い反面、ニグロの生活から離れたものとなっていき、エンターテイメントへと化していったのです。ラグタイムはさらにエンターテイメントに走っていったジャンルですが、著者はこれを「哀しいほど通俗化し、堕落した」と嘆きます。

 1910年から20年頃になると、多くのニグロが南部からシカゴなど北部へと移動します。全土に散らばった黒人の購買層をターゲットとする「レイス・レコード」という概念も登場し、大きなビジネスとなります。そして北部で育ったニグロは、南部から移動してくるニグロが携えてくるブルースとの間で融合が生じ、そこに文化的バランスが生まれます。都市にはブギウギも現れます。

 北部への黒人の移住は黒人中産階級の台頭も生じさせます。著者は次のように述べます。

「増えゆく黒人中産階級は、アメリカで生きのびるための最良の方法とは、アフリカや奴隷制、果ては黒人というものが存在した痕跡をいっさい残すことなく完全に「消滅させる」ことだ、と考えていた。」(p206)

 黒人中産階級の家ではブルースやブギウギなど低俗とみなされる音楽が演奏されることはありませんでした。都市かが黒人内部での階層化を一層進めたのです。

「貧しいニグロは自分が元奴隷であることを常に忘れなかったし、アメリカの主流社会と付き合うときには、いつもこのことを心の基盤にした。それに対して、黒人中産階級が自己の全存在を置く基盤としているのは、ほぼ三世紀ものあいだアメリカに奴隷制が存在し、白人が主人であり黒人が奴隷であったことを誰もが覚えているはずがない、などという度しがたき仮説なのである。」(p223)

 この2つのメンタリティの違いを著者は「適応」(adaptation)と「同化」(assimilation)という言葉で表現しています。ニグロはもともと白人社会に適応しようとしてきたのが、黒人中産階級はそうした考え方を捨て去り「同化」を望むようになったというわけです。
 こうして黒人社会が引き裂かれる中で、この両極を結ぶものがジャズだったと著者は指摘します。

 1920年代のジャズは、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドやポール・ホワイトマンなど白人が活躍する時代でした。やがてキング・オリヴァーやルイ・アームストロングなどが登場するわけです。ジャズという音楽について、著者は次のように指摘します。

「ジャズがなければ、ニグロ中産階級は音楽を持つことなどできなかっただろう。白人も、ブルースなど知りえなかっただろう。ジャズとは、ニグロと黒いアメリカのみならず、白いアメリカをも反映しうる音楽だったのである。」(p243)

 シカゴでは黒人と白人との間に気軽な交流があったため、多様な文化衝突が生じたといえます。シカゴはそういう意味でアメリカの音楽だったわけですが、やがてルイ・アームストロングがキング・オリヴァーと袂を分かち、シカゴを離れることになります。こうしてニューヨークがジャズの中心となっていくのです。
 フレッチャー・ヘンダーソンのビッグ・バンドにルイ・アームストロングが在籍したことで、ソリストの時代が幕を開けます。初期のジャズにはなかった個人の表現力が出現するのです。コールマン・ホーキンスのサックスはルイ・アームストロングの完成させたスタイルの踏襲といえます。そして、レスター・ヤングによってジャズはリード楽器中心の音楽となります。ダンス・バンドはアフロ・アメリカンの音楽伝統と接触したことでジャズ・バンドへと変貌していったのです。

 デューク・エリントンは集団的即興音楽を練り上げられたオーケストラ的言語に代えました。デュークはアフリカの音楽を演奏しながら、それを洗練されたアメリカ人としてやったところに特徴があります。こうしてジャズは大衆化していきます。そして、ベニー・グッドマン・オーケストラという白人バンドが出現します。そこは白人中心の社会で、ニグロたちは高額のギャラで演奏することも許されませんでした。テディ・ウィルソンライオネル・ハンプトンといったベニー・グッドマンが雇い入れてスウィング世界のビッグネームへと押し上げた構図について著者は、ちゃんちゃらおかしいと指摘しています。

 こうしたスウィングは人気を博しましたが、アフロ・アメリカンの音楽的伝統の遺産を大衆的商業主義の下に鎮めてしまうことになります。気の抜けたようなスウィングが闊歩してつまらなくなる中、カウント・ベイシー楽団が登場します。

「ベイシーの音楽は、アフロ・アメリカン音楽の伝統を現代的に再解釈するための新鮮で解放的な方法をもたらした。」(p295)

 ベイシーはリフ−ソロという形をとることで、ソロの余地を拡げることになります。

「ベイシー楽団のソリスト、とりわけサックス奏者たちは、リフが提示するコードに乗りながら、メロディに富んだソロをひねり出し、しかも長く展開することができたのだ。」(p296)

 これを深みのある形にしたのがレスター・ヤングです。

 こうしたベイシーの音楽は、1940年代の若いミュージシャンたちに小編成バンドの魅力を伝えることになります。当時、多くの若いミュージシャンたちにとってスウィングは退屈なものとなっていました。そこに登場したのがビバップです。

「密やかにではあるが、ビバップがジャズを「芸術」の領域へと連れ出してしまったわけである。」(p307)

 このビバップは、同時代のジャズに興奮と美を取り戻させたわけですが、それは黒人中産階級からジャズを奪うものであるとも言えました。それは「不服従」という感情を表に出したものでもありました。

 やがて「クール・ジャズ」と呼ばれるスタイルも登場します。マイルス・デイヴィスを除けば、白人がこう呼ばれるケースが多かったのも特徴的です。

 さらに「ハード・バップ」が出現しますが、著者はこれを黒人ミュージシャンたちにとって“ルーツへの回帰”を表していると指摘しています。

「ニグロが“ルーツ”を持っているという考え、しかもそれが価値ある所有物であって、根絶しえぬ恥辱ではないと考えるようになったことは、二〇世紀初めからこのかたニグロの心理の内で起きたもっとも深遠な変化である。」(p350-351)

 以上、本書の内容を私なりにかいつまんでまとめてみたのですが、著者の最も表現したかったことは、黒人社会の間に生じた中産階級とその他という分裂が、音楽に対する態度に表れているということではないかと思います。黒人中産階級は奴隷制につながる過去のルーツを隠蔽しようとして白人社会に「同化」しようとするのに対し、その他の黒人たちはルーツを自覚した上で「適応」しようとしてきたわけです。そして、音楽面においても、黒人中産階級がブルースを嫌悪するのに対し、その他の黒人たちはブルースを取り込みながら自らの音楽を追究してきたということでしょう。

 著者が白人に対してのみならず、黒人中産階級の態度に対して批判的な視線で見ていることはいうまでもありません。だからこそ、ジャズに「ハード・バップ」という新風が吹き込まれている光景を見て、著者は好ましく評価しているわけです。

 アメリカ社会の変遷とジャズが大きくシンクロしていることは漠然とイメージしていたのですが、それを黒人社会内部の断裂という側面から論じている本書は大変新鮮でした。そもそも、我々日本人から見ると、白人社会は白人社会、黒人社会は黒人社会で同質なものというイメージで見ている場合が多いと思うのですが、実は白人社会にもアングロ・サクソン系、アイルランド系、イタリア系など決して同質ではないことは知られています。

アフター・アメリカ―ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>

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 日本のジャズ関連文献がレコード評、ミュージシャン評に終始してしまっているものが多い中、こういう本を読むと、日本におけるジャズ論の幅をもっと広げられないものかと思ってしまいます。唯一、ジャズと日本社会を関連づけた本をマイク・モラスキー氏が書かれています。
戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ

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 今後、アメリカ社会論と結びついた本格的なジャズ論が日本でも現れるのを待ちたいと思います。