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森本あんり「反知性主義」

 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

アメリカにおけるキリスト教の歴史をたどりつつ、「反知性主義」の歴史をたどる本です。この「反知性主義」の概念こそ、トランプ現象を理解する上で、必要不可欠な概念だと思います。アメリカのキリスト教の歴史の幾度も反復された「反知性主義」のうねりこそ、トランプ現象の底流にあるのではないかという気がします。

 

 本書では、キリスト教の「信仰復興運動」(リバイバリズム)を、反知性主義と見ています。「信仰復興運動」というのは、ピューリタニズムに対する反動ですが、このピューリタニズムこそが知性主義であり、ピューリタニズムに対する反動である「信仰復興運動」は反知性主義と捉えられるというのが本書のスタンスです。

 

アメリカ建国当初のピューリタンの牧師たちは、高学歴の牧師たちによって占められていました。そんな高学歴な牧師たちを養成するためにできたのがハーバード大学であり、イェール大学であり、プリンストン大学です。

ところが、こうした高学歴の牧師たちが完全に否定されるという事態が18世紀半ばに起こります。これが「信仰復興運動」です。これを支えたのがジョナサン・エドワーズジョージ・ホイットフィールドです。

ホイットフィールドは、大勢の聴衆を前に説教を繰り返し、「メソポタミア」という一言を繰り返すだけで全聴衆が涙にうち震えたのだとのこと。このホイットフィールドが実業家たるベンジャミン・フランクリンと意気投合したという事実は興味深い点です。なぜなら、「信仰復興運動」は宗教的動機に加え、実利的なビジネス精神と密接に結びついているからです。

バイバリストたちの説教は、言葉が平明で分かりやすいものであり、無学な者にも等しく受け入れられる点に特徴があります。そのルーツは、学者やパリサイ人を批判したイエスに究極の原点を持っています。このように「信仰復興運動」は、“神の前でのラディカルな平等”を前面に押し出すものであり、あらゆる権威を吹き飛ばしてしまうインパクトを持ちます。これこそが、「反知性主義」の源流といえます。

 

第2次「信仰復興運動」は、1820年代から30年代にかけて起こります。この時期、メソジストとバプテストが発展します。特にバプテストは、普通の農民たちがある日神の召しを受けて仲間に説教を始めるというものです。彼らは説教者となるための訓練や準備すら受けておらず、既存の教会の権威を完全に否定するものです。

 この時期、「反知性主義」の流れの後押しで大統領となったのがジャクソン大統領です。ジャクソンは名家の出身のアダムズを大差で破って当選します。ジャクソンは常に人民に近い存在であることをピーアールし、特権階級が持つ既得権に強い反感を示します。議会を尊重せず、しばしば拒否権を行使して自説を通したとのことです。

また、第2次「信仰復興運動」をけん引したのがチャールズ・フィニーです。彼は「リバイバルは奇跡ではない」と述べ、リバイバルは神頼みではなく、人間の努力が必要だとしました。

 

19世紀末の第3次「信仰復興運動」をけん引したのはドワイト・ムーディです。米国で工業化・都市化が進み、大量の移民が流入した時期です。恵まれない境遇で育ったムーディは貧困階級のための独立系教会を作ります。そして、ビジネスと密接に結びついた活動を行った点に特徴があります。シカゴで成功を収めたのち、イギリスに伝道旅行に出かけ、大きな評判となります。ムーディのイギリスでの活動は、エンゲルスの『空想より科学へ』の英語版序文でも触れられていたことからも、ムーディが大きな話題となったことが分かります。

ムーディのリバイバリズムは産業そのものだったようです。大規模な集会を開催し、歌手も連れて娯楽性も高めます。

こうしてムーディは、神学のまともな教育を受けることなく、大衆から絶大な支持を受けることになります。

 

20世紀になると、ビリー・サンデーという反知性主義のヒーローが出現します。サンデーも貧しい開拓農家の生まれですが、運動能力を買われて大リーガーになり、その後、伝道者に転身します。サンデーも学歴はありませんが、やがては、大統領とも一緒に食事するほどの人気を集めます。サンデーは伝道をビジネスそのものと捉え、資産を蓄えます。しかし、足元の家族関係は崩壊し、寂しい晩年を迎えたそうです。

 

 

 

以上、本書をなぞってみましたが、アメリカ社会で繰り返し「反知性主義」が勃興していることが分かります。「反知性主義」について、著者は以下のように述べます。

「知性が欠如しているのでなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。」

つまり、アメリカ社会では、知性と権力の固定的な結びつきが怒っていないかをチェックする大衆の大きなうねりが、反知性主義という形で顕在化するといえます。

 

もう一つ重要なのは、反知性主義がラディカルな平等意識に支えられている点です。人々の強烈な平等意識が、エスタブリッシュメントに対する異議申し立ての動機になっているわけです。

 

こうして見てくると、今日のトランプ現象は、反復する「信仰復興運動」「リバイバリズム」の波の1つと位置付けられるような気がします。既得権益を鋭く批判し自らを大衆の側に位置付けるトランプの言動やスピーチを見ていると、正に「反知性主義」そのものです。

ここ最近のアメリカ社会では、富めるものが益々富める社会に向かってきたことは否めません。ウォール街の一部の人々や、大企業のトップたちの給与が大きく上昇する一方、中間層や貧困層の給与はそれほど伸びていません。

ロバート・ライシュが『最後の資本主義』で指摘しているように、政治や経済のゲームのルールそのものが一部の人たちの都合の良いように制度が形成されるようになってしまっており、その結果、富める者とそうでない者の格差が益々拡大しているわけです。

 

最後の資本主義

最後の資本主義

 

 こうして権威に対する大衆の不満が膨張し、それがトランプ現象となって表れたといえるわけですが、反知性主義によって権力をチェックするというやり方こそがアメリカのやり方であり、その繰り返しこそがアメリカの歴史そのものだったわけです。

 

本書を読んで、なぜ多くのアメリカ人がトランプを熱狂的に支持したかが理解できるような気がしました。