映画、書評、ジャズなど

消費税増税法案の衆議院通過に思う

 消費税増税法案が衆議院を通過しました。

 おそらく、多くの方々がこのままでは社会保障制度は成り立たないことを理解しており、私も野田政権のこうした方向性には基本的に評価したいと思いますが、釈然としない感情が残ることも事実です。それは何かを考えれば、やはり政治の場における言葉の重みの問題につきるのではないかと思います。

 今の深刻な財政状況に鑑みれば、いずれ増税に踏み切らなければならないことは明らかでしょう。しかしながら、腑に落ちないのは、あれだけ増税はしなくても財源は大丈夫と主張して政権を取った民主党がどの口でそんなことを言うのか!?という点なのです。

 民主党が野党から与党になって政府内部に身を置いて真剣に考えてみたら、今まで野党の立場から見た景色とだいぶ違って見えてきた、というのはもちろんある程度理解できます。しかし、マニフェストの売りの部分について見解を覆すのは、やはり政治や政治家への信頼性を大きく損ねる深刻な負の遺産を残してしまうことになるでしょう。

 私は、もともとマニフェストに詳細なことを記載して選挙で訴えるというやり方に無理があるのではないかと思います。子ども手当の額まで詳細に記載することは明らかにやりすぎであって、詳細は政権を取ってから検討する余地を残しておかないと、結局、マニフェストを強引に押し通すか、あるいは謝罪して撤回するかに追い込まれてしまうことになります。

 そもそも、マニフェストに書いてある全ての項目について有権者の了解が得られたというストーリー自体が大いなるフィクションです。有権者マニフェストの全ての項目についてきちんとチェックするほど暇ではありません。また、マニフェストをじっくり読み込んだ有権者であっても、必ずしもすべての項目に賛成して投票したわけではなく、こっちの項目は賛成だけどもこっちの項目は反対、というバリエーションが存在するはずです。それを某元厚生労働大臣のように、役人にマニフェストをポケットに常備させるというのは明らかに馬鹿げているのです。

 これだけ複雑化した世の中においては、国民すべてがあらゆる政策に関心を持つことは不可能であり、だからこそ、間接民主制の下、信頼に足る政治家を選んで、国政の場で大いに議論してくれることを期待する制度がとられているわけです。

 にもかかわらず、マニフェストにあらゆる項目を詳細に記載して、それを有権者に選択させようという、直接民主制に近い形態を模索しようとしたため、結局選挙で訴えた政策が実現できず、政治に対する信頼性を大いに損ねてしまったのです。

 つまり、野田政権が現実的な路線をとることについては歓迎すべきことだと思う一方で、あなた方がそんなこと言える立場か??という疑問も沸々と湧いてくることは抑えがたく、私はやはり、ここで一度、衆議院解散という形でマニフェストを白紙に戻すしかないと思うわけです。今の状況で民主党政権がいくら正しいことを進めようとしても、疑念が払拭できないわけですから、解散→選挙というプロセスを通じることにより、政治家の言葉の重みを取り戻すしかないと思うのです。

 さらに言えば、この際、選挙制度をもう一度考え直す必要があるように思います。かつて政権交代の可能性を高めるということで二大政党制が指向されたわけですが、今回の造反劇を見れば、もはや二大政党制が機能していないことは明らかでしょう。そもそも、税負担の在り方という国の根幹について相異なる見解を持つ集団が一つの政党に属していることこそ、政治に対する不信を生む大いなる根源となっているわけです。こんなちぐはぐな政権与党が認められるわけがなく、民主党が分裂することは当然でしょう。

 今回造反した民主党の議員が、国民の生活のためと言っているのは、もの凄い偽善を感じざるを得ません。こんな財政状況の中で増税をしないことが国民のためなどという主張は、大衆迎合以外の何物でもありません。今、多くの国民が不安に感じているのは、今の若い世代が高齢者となったときにもはや社会保障制度が破綻しているのではないかという事態です。社会保障制度がきちんと機能するような財政再建をすることが政治の最大の責務のはずです。

 政治における言葉の重みを取り戻すためにも、やはりここは国民の信を問うしかないのではないか、というのが私なりの結論です。