映画、書評、ジャズなど

F・W・クロフツ「樽」

 

樽【新訳版】 (創元推理文庫)

樽【新訳版】 (創元推理文庫)

 

江戸川乱歩も絶賛したとされるミステリーの古典です。ロンドンとパリを舞台に、樽の中に女性の遺体が詰められた真相が明らかになっていく話です。

 

パリからロンドンに送られた来た樽が港で運搬中に壊れた際、偶然、中には金貨とともに女性の遺体が入っていた。樽の受取主は画家のフェリクス。パリのワイン商から、賭けの報償として送られてきたものだった。

バーンリー警部はパリに飛び、旧知のパリ警視庁のルファルジュ刑事と共に捜査に当たる。樽に入っていたのは会社社長ポワラックの妻のアネットだった。ポワラックの家でパーティーが開催された夜、アネットは行方不明になっていたのだが、ポワラックにはアリバイがあった。そのパーティーにはフェリクスも参加しており、アネットは、フェリクスと駆け落ちする内容の手紙を残していた。

バーンリー警部はフェリクスが犯人だと結論づけ、フェリクスは逮捕される。

しかし、ここで話は終わらず、弁護士クリフォードと私立探偵ラ・トゥーシュが真相解明に乗り出す。証拠から見れば、フェリクスが犯人である可能性は高かったが、ラ・トゥーシュらはポワラックが犯人である可能性を追求する。

フェリクスはアネットと婚約した過去があったが、今はお互いに恋愛感情はなくなっていた。しかし、2人には借金の返済に追われる共通の知人であり、アネットのいとこでもある男がいたが、2人はそのパーティーの晩にお金の工面を内密に相談していた。それを目撃したポワラックがアネットを殺害し、その罪をフェリクスに着せるため、ポワラックが一連の工作を仕組んだというのが真相だった。

ラ・トゥーシュから問い詰められたポワラックは、自宅の部屋に彼を閉じ込め、火を放ち殺害を試みるが、間一髪で救出された。。。

 

 

有栖川有栖氏による解説によれば、この『樽』の評価は、時代と共に凋落傾向となっていったようです。ただ、樽を手掛かりに事件の解明が進められていく展開はとてもスリリングで、後に多くのミステリー作家によってこのプロットは参考にされたようです。

 

一旦、バーンリー警部によって事件が解決したかに見えたものの、それが別の私立探偵の手で真相が解明されていく構成も、なかなか良くできていると思います。ただ、それまで主役だったバーンリー警部が、次の展開になると全く登場しなくなるのはやや物足りない感が否めず、できれば、バーンリー警部が引き続き登場して、シンクロしていった方が、物語の展開としては面白かったのではないかという気がします。

ジョン・ル・カレ「スクールボーイ閣下」

  

スクールボーイ閣下〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

スクールボーイ閣下〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

スクールボーイ閣下〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

スクールボーイ閣下〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

 

ル・カレのスマイリー三部作の第二作目に当たるのが本書です。第一作は最近『裏切りのサーカス』というタイトルで映画化された『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、第三作は『スマイリーと仲間たち』です。

 

正直、決して読みやすい筆致ではなく、特に最初の方は霧の中を手探りで読み進めている感覚でしたが、だんだんと重厚な雰囲気を味わいながら読み進めていくことができるようになっていったように思います。

 

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、英国情報機関MI6(いわゆる「サーカス」)にカーラの手によってソ連からビル・ヘイドン(=実在のキム・フィルビー)がスパイとして送り込まれていたというストーリーでしたが、本書は、すっかり信用を失墜してしまった「サーカス」を、ジョージ・スマイリーが建て直すという設定です。

本作で中心的な役割を担うのはジェリー・ウェスタビーです。彼には“スクールボーイ”というあだ名がつけられていました。本書の原題は“The Honourable Schoolboy”ですが、“Honourable”(=高貴なる)という呼称は、貴族の息子につける敬称なのだそうです。ウェブスタビ―も貴族の血筋だったというわけです。

さて、本書でスマイリーが手がけるのは、香港の実業家であるドレイク・コウに多額の資金が流れていた事案。スマイリーは、田舎で暮らしていた元諜報員のジェリー・ウェスタビーを呼び寄せ、記者を装わせて香港に派遣する。

コウは東南アジアからの麻薬の密輸を仕切っていた。麻薬を運ぶ飛行機のパイロットであるリカルドが協力者であったが、その愛人のリジー・ワージントンに対し、ウェスタビーは思いを寄せることに。ドレイク・コウの弟ネルソンは、カーラの手によって中国に送り込まれた二重スパイだった。

ウェスタビーは、やがて本国の指令を超えて、独自に行動を始める。ラオス、タイへと渡り、リカルドに面会するが、あやうく殺されそうになる。

一方、スマイリーは、ネルソン・コウを捕らえるために香港に向かう。スマイリーはウェスタビーに対して帰国を命ずるが、ウェスタビーはその指示に従わず、愛するリジーと行動を共にする。

ネルソンは無事捕らえられるが、ウェスタビーは非業の死を遂げたのだった。。。

 

 

 

冒頭にも書いたように、本書は決して読み進めやすい類の本ではなく、最初から細部まで理解しながら読んでいくことはほぼ不可能だと思います。それでも苦労して読み進めていくうちに、だんだん開けてきます。おそらく、3回くらい読んでみると、詳細を理解しながら読み進めるようになるのではないかという気がします。

 

本書ではウェスタビ―が主役級の扱いとなっているわけですが、ウェスタビーの人間的なキャラクターが光っています。冷徹なスパイでありながら、美しい女性には心が揺れ動くという人間的な面も持ち合わせるウェスタビーのキャラクターに大変魅力を感じました。

 

また、スマイリーが、様々な外部勢力との葛藤の中で必死に組織を立て直しながら、本案件に対処している姿が巧妙に描かれています。アメリカの諜報部である“カズンズ”との間では、ネルソン捕獲の成果を争います。また、同じ英国政府内部でも、財務当局や外務省との間で常に闘っています。そんなスマイリーの孤軍奮闘する姿がとても魅力的に映ります。

 

 とにかく、ル・カレの小説はスケールが大きいです。この作品でも、基本は米ソの対立がベースになっているわけですが、香港から東南アジア諸国にまたがる国々まで舞台が広がっていきます。しかも、それらの国々についての描写はとてもリアリティにあふれています。よくここまで調べて書いたものだと感心してしまいます。

 

機会があればまた読んでみたいと思います。

 

「ミッシング」★★★★

 

ミッシング [DVD]

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1982年の米国映画です。チリのクーデタで行方不明になった米国人の話で、実話を基にしたもののようです。

 

作家を志望するチャールズ・ホーマンは、妻のべスとともにチリに滞在していたが、そのときにクーデタが勃発する。チャールズの父親のエドワード・ホーマンが米国からすぐにチリに駆けつけ、べスと共にチャールズの捜索を開始する。

 

領事館のつてを使っていくうちに、エドワードとべスは、チャールズの失踪の背景には、米国が絡んでいるのではないかとの心証を抱くようになる。チャールズは、クーデタの当時、友人のテリーとともにビーニャという街を訪れていたのだが、そこでチャールズは米国から来ていた退役軍人らと知り合いになったのだが、彼らこそがクーデタに絡んでいる可能性が高かった。また、領事館サイドは、どこかに隠れているのだと主張するばかりだった。

当初、関係が険悪だったエドワードとべスも、領事館の対応に不信感を募らせていく一方で、徐々に心が通じ合うようになっていく。

結局、チャールズは殺害されていたことが判明したのだった。。。

 

 

チリクーデタに米国が関与しており、そこに首を突っ込みすぎた米国人ジャーナリストが拷問を受け処刑されることになった、というストーリーでこの映画は構成されています。

真相がどうだったかについて判断する知識は私にはありませんが、当時、CIAがチリの内政に中途半端に首を突っ込み、チリの政治の混迷を深めたことは事実のようですので、こうした事実があったとしても、納得はいきます。

 

大変見ごたえのある作品でした。

「ショック集団」★★★★

 

<エンタメ・プライス>  ショック集団 [DVD]

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これまたサミュエル・フラー監督による作品です。

記者のジョニーは、精神疾患を装って精神病院に潜入し、その病院で過去に起こった殺人事件の犯人を突き止めようと試みる。ジョニーは、それによってピューリッツァー賞の受賞を狙っていたのだ。

ジョニーは、ダンサーの恋人キャシーがいたが、キャシーがジョニーの妹のふりをして、ジョニーはキャシーに歪んだ思いを寄せているというシナリオだった。

病院には様々な患者がいた。オペラを歌いだす大男、南北戦争で活躍した軍人だと思いこんでいる男、白人至上主義を声高らかに訴える黒人の男などなど。

ジョニーは患者たちからの聞き込みを続けるうちに、殺した人物の特定に至る。

しかし、ジョニー自身の精神バランスを崩し始める。電気ショックを受けたりしているうちに、どこからが演技なのか、境目が分からなくなってくる。

結局、ジョニーは精神病院から出れらなかった。。。

 

 

この作品のシチュエーション設定で思い浮かぶのは、もちろん『カッコーの巣の上で』でしょう。いずれも狂気と正常な精神の境目の曖昧さ、両者が紙一重であることがテーマになっているように思います。哲学者フーコーの『狂気の歴史』を彷彿とさせます。 

 

ただ、作品としては、『カッコーの巣の上で』の方がよくできているように思います。

 

それにしても、最近、サミュエル・フラー監督の作品にややはまっています。もっと評価されてしかるべき映画監督のように思います。

「裸のキッス」★★★★

 

裸のキッス [DVD]

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「チャイナ・ゲイト」に続き、サミュエル・フラー監督の作品です。最近、イマジカで放映されているのを、録画して観ました。とにかく、娼婦が男を滅多打ちにした後、かつらが外れて坊主頭になる冒頭のバイオレンスなシーンがあまりに印象的です。

 

娼婦のケリーが、田舎町を訪れる。そこに警察官のグリフが声をかけ、早速一夜を共にする。ケリーは娼婦から足を洗うことを決意し、障害者施設の看護師として勤務する。ケリーは天職を得たかのように、生き生きと働く。

やがて、ケリーは、富豪のブラントと恋をし、プロポーズを受ける。ケリーは、ブラントに過去を告白したが、ブラントはそれも受け入れたうえで婚約する。幸せ絶頂と思われたが、グラントが小児性愛者と知ったケリーは、ブラントを殴り殺す。

ケリーは拘束されるが、グラントに猥褻な行為をされた少女が判明し、ケリーは晴れて釈放された。。。

 

この作品は、とにかく冒頭のシーンがあまりに印象的です。ケリーが恐ろしい顔をして元締めの男を殴り倒して、金をふんだくるシーンは、あらゆる映画作品の中でもっともインパクトのある冒頭のシーンの一つでした。

そんなケリーが、娼婦の身から足を洗うのですが、冒頭のシーンが脳裏にこびりついた観衆は、常に冒頭のシーンがフラッシュバックされ、ケリーのひた隠された本性が見え隠れしてしまう効果を持ち続けます。

 

この作品では、音楽が効果的に使われています。冒頭の暴力シーンのバックで奏でられる激しいジャズ音楽。そして、婚約者との甘い時間のバックで流れるベートーベンの♪月光ソナタなどなど。

 

この監督は実に映画づくりの巧みさが際立っていると思います。

 

 

山下洋輔ソロ@第一生命ホール

 

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昨日は山下洋輔氏のソロコンサートを鑑賞してきました。毎年この時期にこのホールで開催されてきているようですが、客席はほぼ満席で、往年のファンが集まっているような印象です。

 

冒頭は、4月らしい曲ということで♪I Remember Aprilから始まり、♪やわらぎ、童謡をアレンジした♪さくら、♪早春賦と続きます。


早春賦(NHK東京放送児童合唱団)

後半では♪砂山、♪Brick Block、その後、赤塚不二夫氏が大好きだったというチャップリンの映画から、♪Eternally、♪Titinaが演奏されます。


Charlie Chaplin - Eternally (From ''Limelight'') (1952)


Charlie Chaplin - Titina (Modern Times,1936)

そして、最後の曲はやはり♪Boleroです。山下氏のボレロの演奏を最初に聞いたとき、その想像力溢れる斬新な解釈に衝撃を受けたことを覚えています。


山下洋輔氏母校でボレロ

 

今回のコンサートでは、童謡が比較的多く取り上げられてきましたが、いずれ童謡のアルバムを出す予定があるのだそうです。ジャズミュージシャンたちは多様なジャンルの楽曲を取り上げてスタンダードにしてきたわけですが、日本の童謡の中にも、ジャズ・スタンダードとして定着する可能性がある曲もあるような気がします。

 

これまで山下氏の生演奏は何度かで聴いたことがありましたが、今回改めてその演奏の素晴らしさを実感しました。山下氏といえば、どちらかといえば、フリージャズ的な印象が強烈ですが、演奏の繊細さに改めて気づきました。これだけの豪胆さと繊細さを併せ持つピアニストは、山下氏以外には見当たりません。

 

正に日本のトップピアニストとしての風格が漂う、大満足のコンサートでした。

 

レイモンド・チャンドラー「高い窓」

 

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 村上春樹訳を読みました。

チャンドラーらしいハードボイルドさを持ち合わせた作品です。

 

探偵マーロウに、裕福な未亡人のミセス・マードックからの依頼が舞い込む。ミセス・マードックの息子レスリーの嫁リンダが失踪し、しかもミセス・マードック保有する貴重なコインのブラッシャー・ダブルーンがなくなっていた。

マーロウが、リンダがかつてナイトクラブで働いていたときの友人の女のもとを訪れる。彼女はナイトクラブのオーナーと結婚していたが、ヴァニアーという愛人がいた。

その後、2つの殺人事件が起こる。マーロウに接触してきた私立探偵と、ブラッシャー・ダブルーンの売買を持ちかけられたコイン商が殺害されたのだ。いずれの現場にもマーロウは居合わせてしまう。さらに、ヴァニアーも殺害される。

ブラッシャー・ダブルーンを盗んだのは、ヴァニアーと組んだ依頼人の息子レスリーだった。ヴァニアーが2人を殺害した後、ヴァニアーはレスリーに殺されたのだった。しかも、ヴァニアーは、依頼人の秘書の女マールの弱みを握っており、ミセス・マードックから長年にわたり金をせしめていた。

マーロウは、マールに深い同情を寄せる。。。

 

 

ラストでは依頼人の秘書のマールが急に話の中心に躍り出てくるところにやや違和感を感じます。この点も含め、物語全体にわたり、展開のスムーズさに欠けている感があることは正直否めません。村上春樹氏が解説の中で、

「自然なドライブ感が不足している」

と評しているのもうなづけます。

 

他方で、村上春樹氏も

「脇役の人物描写は相変わらず本当にうまい」

と述べているように、この物語に登場する脇役は魅力的です。

 

思うに、チャンドラーの小説は、物語全体の構成や細部のロジックではなく、物語全体に漂う雰囲気なのではないかと思います。そういう意味では、本作品もチャンドラーらしさが十分に堪能できる作品となっているのではないかと思います。