映画、書評、ジャズなど

黒木亮「巨大投資銀行」

 

巨大投資銀行(上) (角川文庫)

巨大投資銀行(上) (角川文庫)

 
巨大投資銀行(下) (角川文庫)

巨大投資銀行(下) (角川文庫)

 

バブルからその崩壊辺りの時代の外資系金融機関の様子を描いた作品です。

 

都銀に就職したものの、嫌気がさして外資系に転職した桂木は、大型のM&Aを手掛けるなどして実績を上げ、再び邦銀幹部として戻るものの、都銀の統合の波の中で、今度は金融担当大臣の要請で再建中の都銀のトップを任されることになります。

 

他方、山一證券を退社した竜神は、外資系で裁定取引(アービトラジー)で大儲けする仕組みを開発し、幹部まで上り詰めます。市場の未成熟な部分を突いて、ノーリスクで莫大な利益を上げる仕組みです。

 

物語は主にこの2人の立身出世を中心に描かれています。2人は最先端の金融知識を駆使しし、多額の報酬を手にします。その代わり、いつクビになるか分からないというプレッシャーの中で、厳しい競争を日々繰り広げています。

そんな2人の姿は、一見すると、華々しい成功者なのですが、どこか虚しさを身にまとっているような印象も受けます。2人は確かに多額の稼ぎを生み出してはいるのですが、果たして何を生み出しているのか考えたとき、その答えは難しいように思われます。こうした華々しさの陰の虚しさこそがバブル前後の金融業界を包み込んでいた雰囲気のように思いますし、本書ではその雰囲気が巧みに描かれているような気がします。

 

本書はもちろんフィクションではありますが、要所要所で実話と分かるエピソードが浮かび上がってきます。一部の登場人物についても、実在の人物と重なるキャラクターがいたりするようです。そうしたフィクションとリアリティの絶妙なオーバーラップこそが本書の面白さだと思います。

 

それにしても、このような壮大でありながら細部も緻密な金融小説というのは、よほどの知識がなければ書けるものではありません。細部こそ完璧に理解することは至難の業ですが、読み終えた後、心地よい疲れを味わうことができる、そんな小説でした。

 

「マダム・イン・ニューヨーク」★★★★☆

 

2年ほど前のインド映画です。ところどころに歌や踊りがしっかりと散りばめられ、観終わった後、とてもハッピーな気分になれるところは、さすがインド映画といった感じです。

 

インドで暮らすシャシは、夫と2人の子供と暮らす主婦。ビジネスマンの夫と2人の子供たちは、英語を上手に操るが、シャシはヒンドゥー語しかできない。

そんなシャシは、ニューヨークで暮らす姉から、姪の結婚式を手伝うよう求められ、家族よりも一足先にニューヨークに一人で向かうことに。英語が不自由であるため、ニューヨークのコーヒーショップでも冷たくされて落ち込む。そんな中、シャシはバスの広告で見かけた英会話スクールに勇気を持って入ることに。

英会話スクールには、様々な国から来た人々が集まっていた。シャシがコーヒーショップでうまく対応できなかったときに、やさしく声をかけてくれたフランス人のロランもその中にいた。

バラエティに富んだ仲間たちの中で、シャシの英語力は次第に伸びていく。家族もやがてニューヨークに到着するが、シャシは家族との時間よりも英会話の方を優先してしまうほどにはまっていた。

そんな中、ロランは次第にシャシに好意を寄せるようになる。シャシもロランに心惹かれるものの、家庭を持つ身として、ロランからの誘いを頑なに拒んでいた。

やがて英会話スクールの卒業が近づくが、卒業試験と姪の結婚式が重なることに気付く。シャシは姪の結婚式の準備の合間を縫って卒業試験を受けるつもりだったが、得意のお菓子を作った矢先に皿をひっくり返してしまい、結局試験を受けることができなかった。

姪の結婚式には、サプライズで英会話スクールのメンバーたちが参加することに。シャシはそこでたどたどしいながらも立派に英語のスピーチを披露したのだった。。。


映画『マダム・イン・ニューヨーク』予告編

 

見終わった後、とても清々しい気分になれる作品です。英会話スクールのメンバーたちのキャラクターがそれぞれとても魅力的で、シャシも最後はロランを振って家族の大切さを再認識するわけですが、苦手な英語が上達していく中で、自信を勝ち取り、家族から馬鹿にされてきたコンプレックスを克服し、家族の大切さを再認識していく過程が、とても上手に描かれているように思いました。

 

当初は日本で公開される予定がなかったものの、たまたま海外でこの作品を鑑賞した人が権利を買い付けたことで、公開が実現したとのこと。

 

ちなみに、主演のシュリ―デヴィは50歳だそうですが、この役柄を演じられる50歳は、なかなかいないと思います。

村上春樹「職業としての小説家」

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

今年もノーベル文学賞は惜しくも逃してしまった村上春樹氏ですが、小説家になるまでの過程や小説家として長くやっていくための心構えを率直に語っている点で極めて興味深い本でした。

本書を読むと、村上氏が自然体で小説家になり、長きにわたり小説家としてやってきたのだということが伝わってきます。これまで小説が書けなくなるという「ライターズ・ブロック」を経験することもなく、書きたいという欲望のままに小説を書き続けてきたと吐露しており、やはり並大抵な小説家ではないということを改めて実感します。

村上氏によれば、小説を書くこと自体はそれほど難しくないとしても、書き続けることは難しいとのことです。

「小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくない。優れた小説をひとつ書くのも、人によってはそれほどむずかしくない。簡単だとまでは言いませんが、できないことではありません。しかし小説をずっと書き続けるというのはずいぶんにむずかしい。」

また、小説家になるための秘訣として、本をたくさん読むことを推奨されています。それから、自分が目にする事物や事象をとにかく子細に観察する習慣をつけること。そして、観察したものについて、あれこれ考えをめぐらせ、細部を頭に留めておくこと。そうした具体的細部の豊富なコレクションが小説を書く際に必要であり、小説の中に組み入れていくと、小説がナチュラルで生き生きとしたものになるのだというわけです。

 

村上氏は、断片的なエピソードやイメージを組み合わせていく上で、ジャズが役に立ったと述べています。

「ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕が文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました。」

ジャズのリズム、コード、フリー・インプロビゼーション、といった要素は、確かに小説を作る上でも使えそうな感じはしますし、村上氏の作品のある種の曖昧さ、自由さはジャズのこうした要素に近いものがあるように思います。

 

それから、村上氏がフィジカル面の重要性を指摘している点は、大変共感を覚えました。長編小説を書くということは持続力が必要な作業です。そこで、村上氏は、専業作家になってからマラソンを始められたとのこと。ちょうど『羊をめぐる冒険』を書き始めた頃だったそうです。

 

最後に、村上氏は、自分の小説が海外で受け入れられたことについて触れています。村上氏の小説が海外で読まれるようになった時期は、ちょうど世界全体が変革していた時期です。東欧では社会主義体制が崩壊し、日本やアジアでも、ゆっくりではあるものの、社会システムにランドスライド(地滑り)が起きていた。そんな中、人々は新たな物語=新たなメタファー・システムを必要としており、現実社会のシステムとメタファー・システムを連結させ、相互にアジャストさせることで人々は不確かな現実を受容し、正気を保つことができた、村上氏の小説はそうしたアジャストメントの歯車としてグローバルにうまく機能したのではないか、というのが村上氏の見立てです。なるほどと思う面もある見方ではあります。

 

 

以上のように、本書は小説家村上春樹氏がこれまであまり語ってこなかった内面を率直に吐露している点で、大変興味深いエッセイ集でした。

本書を読むと、誰しもが村上氏のような小説を書けるわけでもなく、ましてや小説を書くことを継続することなどとてつもなく至難の業だということを思い知らされることになります。

もろもろの意味で大変興味深い本でした。

ベン・バーナンキ「危機と決断 前FBR議長ベン・バーナンキ回顧録」

 

危機と決断 (上) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

危機と決断 (上) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

 
危機と決断 (下) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

危機と決断 (下) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

 

 前FRB議長のベン・バーナンキ氏による回顧録です。リーマンショックの真っ只中で、金融システムの立て直しに奔走した様子が事細かに書かれています。ガイトナー氏の回顧録と合わせて読むと、今後同様の金融危機が起こった際の処方箋として大変役立つ資料になるのではないかと思います。

 

本書で指摘されている内容は、ガイトナー氏の回顧録と驚くほど同じ目線書かれており、両者の問題意識がかなり近いものであったことが分かります。

 

バーナンキ氏は2002年にFRB理事に就任してから、FRB議長を2014年に退くまで、一貫して金融政策の最前線に立って行動しました。本来であれば、サブプライム危機を未然に察知して、防がなければならない立場であったわけですが、そのリスク認識が甘かったことは率直に認めています。FRBでは住宅ローンに注目してその動きを追っていたものの、その熱狂にはマイナス面だけではなく、プラス面もあると感じていました。

「あきらかに、私を含むFRBメンバーの多くは住宅バブルとそのリスクの大きさを見誤っていた。」

ただ、バーナンキ氏は、資産バブルに対抗するのに金融政策というツールを用いるのは適切ではないとも述べています。何よりもまず金融業界への規制と監督が重要だというわけです。当時の米国では、規制・監督のツールが効果的に活用されておらず、それが金融危機の深刻度を増大させることになったとバーナンキ氏は述べています。

米国における規制体系の問題点は、ガイトナー氏の回顧録でも指摘されていたように思いますが、監督組織が分散されており、危機時の対応が一枚岩とならないという欠陥があったわけですが、リーマンショック以降、この点はだいぶ見直しがなされたようです。加えて、バーナンキ氏は、当時の規制当局は、銀行の安全性よりも信用枠増大の方に傾きすぎてしまっていたと指摘しています。

 

サブプライム危機のきっかけは、2007年8月にBNPパリバがサブプライムローン証券を担保にした投資ファンドから投資家がお金を引き出せなくしたことでした。 これが投資家たちのパニック売りを招くことになります。住宅セクターは冷え込み始めていましたが、当初はある程度のクールダウンは望ましいものとさえ見られていました。バーナンキ氏も、サブプライムは住宅ローンのわずか13%程度であるため、影響はそれほど大きくないだろうと楽観視していたとのことです。 

「比較的規模が小さいサブプライムローン市場と一見健康そうな銀行システムに基づく好調な経済から考えれば、サブプライム問題は、影響を受けそうなコミュニティと住宅産業一般には主要な問題となるものの、経済に大きな打撃となりそうではない、と私や連銀のメンバーは結論づけた。」

 

この時期起こっていた深刻な問題は、リパーチェス・アグリーメント(略称レポ)の取り付けの可能性です。レポは短期で資金を調達する際に、住宅ローン担保証券MBS)などを担保として差し出しますが、そうした担保の安全性が怪しくなると、もっと大きな保証を求めることになります。こうして、サブプライム危機は、短期金融市場のパニックにつながり、グローバルな金融システムとグローバル経済危機に変貌してしまうことになったとバーナンキ氏は述べています。

 

レポ市場から多くの資金を調達していたベアー・スターンズは、資金難に陥ります。また、リーマン・ブラザーズもレポに大きく依存していました。FRBベア・スターンズの救済には乗り出しますが、リーマンについては、他の民間金融機関による救済を模索するものの、結局崩壊することになります。

 

次のステージはAIGです。AIGデリバティブ市場に大々的に参入しており、特にクレジット・デフォルト・スワップCDS)を多く扱っていました。もう一つの問題は、AIGの監督権限が貯蓄機関監督局(OTS)という小さな機関が受け持っていたという点です。AIGはあまりに巨大で、他の金融システムとも密接につながっていたため、破綻すればその影響は計り知れないものであることが想定されました。AIGには必要な担保があったため、連銀の融資による救済が実施しやすい状況で、結果的に政府はAIGに投資した額を上回る額を回収します。

 

こうして、ベアー・スターンズAIGは救済され、リーマン・ブラザーズは破綻の道を歩むことになったわけですが、リーマンをなぜ救済しなかったのかという批判に対して、バーナンキ氏は反論しています。政府がそういう選択をしたわけではなく、リーマンはベアーとは違って買収してくれる投資家もおらず、AIGのように、連銀からの多額の融資を裏付ける十分な担保もなかったのです。

「私たちはリーマンを救う必要があることを知っていた。ただ、その手段がなかった。」

この論点については、バーナンキは議会であえてかなり曖昧な態度をとったとのことですが、今はもっと率直に言うべきだったかどうか迷っていると吐露しています。

 

その後、政府は資産買い取りの権限を持つことを検討します。買取価格の決定方法が最大の問題点でしたが、この政策は不良資産救済プログラム(TARP)として提案されます。買取価格については、政府による買い取り価格が投げ売り価格と満期価格の範囲内に収まっていればよく、競売をすればこの価格内に収まるのだとバーナンキ氏は主張します。

また、このスキームでは、政府が金融機関の株式を取得することも禁じられていませんでした。不良債権を買い取るスキームと銀行の株式を取得することにより資本注入を行うことのいずれの方法を選択すべきかは悩ましいところですが、バーナンキ氏は、資本注入の方がお好みのようで、以下のように述べています。

「資本注入は政府が銀行の株式を取得するので政府による部分的な銀行所有となる。資本注入によって損失による打撃を吸収できる体力が増すので、銀行を直接強めることになる。対照的に不良資産の買い取りは銀行が保有している資産を政府が購入することで間接的な体力増強をはかるが、その効果は資産価格の上昇範囲にとどまることが特徴だ。」

 

この時期は、住宅の差し押さえを減らす政策にも重点が置かれました。住宅ローン借り換え促進プログラム(HARP)や住宅ローン条件緩和プログラム(HAMP)などにより、条件緩和を推し進めます。

 

それから、バーナンキガイトナーも強調しているのがストレステストです。大銀行の資産について徹底的な考査を実施し、これを公表することで、先行きの不透明感を払しょくさせようというのが狙いです。これが、米国の銀行システムに対する信頼を回復させるのに大いに寄与したというのが、バーナンキガイトナーの見方です。

「ストレステストは決定的な折り返し地点になった。この時点から米国の銀行システムは緩やかながら回復させ、最終的には経済も追随して息を吹き返す。」

 

バーナンキFRBの危機対応を4つの要素で説明しています。1つめは経済を支えるための金利水準の引き下げ、2つめは金融システムを安定させるために流動性を供給する緊急融資、3つめは主要金融機関が秩序なく破綻することを防ぐ救済、4つめは銀行の状況を検査するストレス・テストの情報公開です。今回の危機対応を通じて、FRBは一つの処方箋のパターンを確立させたことは大きいように思います。

 

今回の危機の教訓で大きかったのは、取り付けが生ずるのは、預金者ではなく、大量の資金を提供する大口の短期債権者だということです。短期の金融市場を正常な形に戻すためにいかに流動性を確保するかが、今回の金融危機の当初の課題でした。

その後、銀行の破綻の回避のための救済策、そしてストレステストを公表するという一連の流れは、今後の金融危機の処方箋となるでしょう。

 

ガイトナー氏も協調していた点ですが、危機時の対応において最大の壁となるのは、モラルハザード論です。なぜ国家予算を使ってまで救済しなければならないのか?という問題は常に議会内で提起され、マスコミからも批判を受けます。そうした批判の中でも、正しい選択をしていくことこそ、危機時におけるリーダーの役割だということを痛切に感じます。

 

分厚い回顧録でしたが、読みぬく価値はあると思います。

油井正一「生きているジャズ史」

 

著者は日本のジャズ全盛期を支えた評論家ですが、20年近く前に亡くなられています。もともとは雑誌の連載をベースに1959年に刊行された『ジャズの歴史』という本がベースで、1988年に復刊された同名の本が底本となっているようです。

 

ディキシーランドからスイング、ビバップというジャズの流れに沿って、論評が並べられています。数々の評論の中で、印象的だったものを、以下、いくつか取り上げてみたいと思います。

 

まずは、油井氏がビックス・バイダ―ベックと、ビックスにトランペットを教えたエメット・ハーディというトランぺッターを評価している点。エメットは1903年に生まれ1925年に亡くなっているようなので、22歳くらいで亡くなっている計算です。吹き込んだレコードが1枚もなかったことから、歴史からは忘れられた存在となってしまいましたが、ビックスを見出し、奏法に大きな影響を与えたようです。こうして埋もれてしまったジャズ・ミュージシャンたちはたくさんいるということでしょう。

 

それから、フランスのユーグ・パナシエという評論家への鋭い反論。パナシエという人は、強烈にバップを批判しますが、こうしたバップ批判を被害妄想として切り捨てます。油井氏は、ジャズの本質について、進歩とか後退といったような見方を否定し、次のように述べています。

「音楽の本質というものは変わらない。そして、そのうえに世相や生活感覚をうつしたファッションでお化粧をほどこしたものが、そのときどきに応じて現れてくる」

また、大橋巨泉氏が当時述べていた「ファンキー論」についての批判も興味深いものです。大橋氏は「ファンキー」について、「ユーモラスで、ブルーな」という気分や雰囲気を表しているというような言い方をしているのですが、油井氏に言わせれば、「ファンキー」とは「黒人くさい」という意味で、ユーモラスというような意味はこれっぽちもないということです。しかも、ファンキーと呼ばれるモダン・ジャズには、教会音楽的な要素が見られるとのことで、とてもユーモア精神とはかけ離れたものだと主張しています。

 

そして最後に、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』への賛辞です。油井氏は、このアルバムを試聴した際、「歴史を揺るがす傑作ついに出ず」というタイトルで論稿を書いたそうです。油井氏によれば、このアルバムは、アフリカ固有の複合リズムと電化サウンドという特徴があり、このサウンドを運び出す土台としてのリズムは、1960年代を通じてあらゆるミュージシャンが探求し続けたものの集大成となっているとのこと。

「この多彩なポリリズムは、一見ロックに似て非なるものであり、いろんな形のスイングを包含しています。総括的にこれらのリズム・フィギュアは、大きなサイクルを描いて回転し、サウンドを前へ前へと押し進めていきます。こうしたポリリズムは、マイルスの創案のように見えてそうではなく、遠くヴ―ドゥーに発していることは、前に述べた通りであり、多くのフリー・ミュージシャン同様、マイルスもまた、大昔の黒人ルーツを見直す「先祖返り」によって、伝統に結びつけながら、もっとも新しいサウンドのヴィークル(車輪)としたものであります。」

もちろん、このアルバムに対する反対論も強かったことは周知の事実であります。油井氏も、その後、考え方を修正されていったようで、本書の最期では、フォー・ビート・ハード・バップこそジャズ発展の究極ではなかったかと述べるとともに、成長には限界があり、頂点を極めたあとは、衰微に向かいものだと述べています。さらに、当時のフュージョンについて触れながら、

「でもこの辺で一本の線を引いた方が、ジャズという音楽の全体像がスッキリと掴めるような気がするのです。」

とさえ述べています。

 

50年代、60年代の知識人たちが、ジャズという素材を使いながら、あれこれと議論を繰り広げている様子が、本書からは伝わってきます。良し悪しは別にして、ジャズを題材にここまで議論ができた時代をうらやましくも思います。

 

他方で、現在の視点から見ると、なぜこんな議論を繰り広げなければならなかったのか、という疑問は本書を読んでいる過程で常に付きまといます。先に紹介したいくつかの主張を見てみても、だからどうなの?という冷たい視線で見てしまう自分が心のどこかにいることは否めません。

 

そういう意味で、文庫版の解説を書いている菊地成孔氏の文章は大変興味深いものです。これはあくまで私の受け止め方に過ぎないのですが、菊地氏は、一見、油井氏に対して敬意を表しているのですが、書いている内容を見ると、油井氏の評論に対して極めて冷めた視線に満ち溢れているような気がするのです。

菊地氏は、油井氏らの後のジャズ世代を「団塊以降」として、以下のとおり、完膚なきまでに切り捨てています。

「筆者は個人的に、60年代の「政治の季節」に、左翼運動と共にフリー・ジャズを原体験的に経験し、ジャズ喫茶通いをしながらジャズを学び、ジャズ評論家に成った者共、つまり「団塊以降」の言葉は、1文字も信用する必要は無いと思っている。」

対照的に、菊地氏は、油井氏のように戦前からジャズを聴いて勉強してきた世代は「ジャズの芯を喰らえている世代」として、「団塊以降」とは一線を画して敬意を表しているように見えます。

 

他方、菊地氏は、油井氏が本書で、ジャズがリアルに外界と繋がって進化していると書き始めているものの、世界の変化についてどんどん触れなくなってゆくことをアイロニカルに指摘します。

また、油井氏が、1960年代の様子について、エレキにしびれた若者がボサノバを経由してジャズに目覚めたと述べていることについても、「牧歌的」と評しています。

さらに、油井氏の最期の結論、すなわち、ジャズをハードバップ辺りで線を引くべきという結論について、菊地氏は、次のように述べます。

「どれだけ優れた一個人であろうと、一個人が「生きている歴史」という化け物に対峙する際、老境に入った時に生じざるを得ない誤謬である。」

このように、菊地氏は、油井氏も含めて、過去のジャズ評論家全体について、どこか冷めた目で見ているように私には思えるのです。こうして菊地氏の解説まで含めて読むと、本書は、ジャズの歴史とともに、ジャズ評論家の筆の勢いが徐々に衰えていく歴史であるかのようにも思えてしまいます。

 

というわけで、本書を解説まで含めて読み通した後、油井氏の評論の内容はどこかにすっ飛んでしまい、菊地氏の鋭いジャズ評論ばかりが脳裏に残ってしまうことになったのでした。これも悲しい現実なのかもしれません。。。

「東京キッド」★★★

 

東京キッド [DVD]

東京キッド [DVD]

 

 斎藤寅次郎監督の1950年の作品です。若き日の美空ひばりの演技と歌声が印象的な作品です。

 

マリ子(美空ひばり)は、父親が長らく行方不明で、母親に育てられていたが、母親が病死する間際になって、父親が現れる。その父親は家族を置いて渡米し、仕事が軌道に乗ったため、一時帰国していた。

父親は、マリ子を連れて米国に帰ろうとしていたが、マリ子は富子という女のもとに身を寄せる。しかし、富子が事故死すると、富子を狙っていた流しのギタリストの三平と共に暮らすようになる。

やがて、マリ子は父親に見つかってしまう。マリ子は父親とともに渡米する道を選んだのだった。。。

 


東京キッド/ 美空ひばり・川田晴久

 

少女の時代の美空ひばりが大人びた歌声を披露しているところが唯一の売りで、ストーリーは正直あまり面白くはありません。

ただ、戦後の混乱の中でこうした作品を見れば、全然違う印象を抱いたでしょう。力強く生き、堂々とした歌声を披露し、最後にはアメリカに旅立っていく、そんな美空ひばりを見て、多くの観衆が勇気づけられたに違いありません。

江戸川乱歩「江戸川乱歩名作選」

 

江戸川乱歩名作選 (新潮文庫)

江戸川乱歩名作選 (新潮文庫)

 

江戸川乱歩といえば、小学生の頃、怪人二十面相シリーズを夢中になって読みましたが、それ以外の作品にはあまり触れてきませんでした。大人になってこうして江戸川乱歩の作品に触れてみると、ぞっとする感覚がじわじわと湧き上がってくる感じがします。

 

「石榴(ざくろ)」は、警察官の主人公が山奥の温泉旅館で知り合った探偵小説好きの猪股という青年を話し相手として、自らの捜査経験談をする話。その話は「硫酸殺人事件」ともいうべき話で、空き家から顔が硫酸で石榴のようになった遺体が発見された。身元の捜査は難航したが、主人公も知り合いだったお菓子屋の谷村という主人が、商売敵である琴野という主人を殺害したのではないかとの疑いが浮上する。しかし、主人公は、それは琴野が自分が殺害されたように偽装して、実は亡くなったのは谷村ではないかと推理したのだった。

そうした主人公の推理に対し、猪股は谷村こそが犯人だと反論する。実は、猪股こそが谷村本人だったのだ。谷村は勝ち誇った様子で、そのまま谷底に向かって飛び降りたのだった。。。

 

押絵と旅する男」は、列車の中で遭遇した不思議な押絵を手にした老人の話。その押絵には、白髪の老人とそれに寄り添う美少女が描かれていた。老人によれば、押絵で描かれているのは兄で、かつて凌雲閣から遠眼鏡で眺めていて見つけた美少女と一緒になるために、遠眼鏡を逆さに覗かせ、そのままいなくなってしまったのだという。それ以来、老人は、その押絵を手にしてあちこち旅しているのだった。。。

 

「目羅博士」は、動物園で出会ったルンペン風の青年が語った話。あるビルの部屋の住人が決まってビルの谷間で首をくくる。その理由を探ると、目羅博士が隣のビルでマネキンを使って、対岸の住人が鏡に映ったように見せかけながら、最終的に首をくくらせるように持って行っていたのだった。。。

 

「人でなしの恋」は、若くして美男子の夫の家に嫁いだ女の話。夫は毎晩離れに閉じこもっていたのだが、女性と話すような声が聞こえてくる。その正体は人形だった。女は嫉妬からその人形をバラバラにしたところ、夫は自害していた。。。

 

「白昼夢」は、道で演説をしている男の話。男は妻を愛するばかりに、妻を殺害し、バラバラにして屍蝋にして、店先に飾っていた。。。

 

「踊る一寸法師」は、テント小屋の中で虐待されている不具者の話。彼は虐待された後、美人の女を手品と称して滅多刺しにして首を切り落としてしまう。そして、テントに火を放ち、生首を持って近くの丘の上で踊っていた。。。

 

「陰獣」は、探偵小説家の主人公と人妻の小山田静子の話。主人公は静子から、かつての恋人の男で今は探偵小説家をしている大江春泥から脅迫を受けていると相談を受ける。脅迫状によれば、春泥は夜な夜な天井裏から夫妻の行動を観察して楽しんでいるらしい。そしてついに、人妻の主人の変死体が発見される。主人公は当初、殺された主人こそが春泥として自分の妻を脅迫していたと推理する。しかし、その後推理を変える。静子が春泥であり、春泥の妻でもあり、一人三役を演じていたのだった。。。

 

 

どれも、じわじわとぞっとする感情が高ぶってくるようなタッチの作品ばかりですが、やはり圧巻は「陰獣」でしょう。他の短編に比べるとやや長いのですが、読み進めるうちに引き込まれていき、そしてラストの意外性たっぷりの結末につながっていきます。