映画、書評、ジャズなど

ベン・バーナンキ「危機と決断 前FBR議長ベン・バーナンキ回顧録」

 

危機と決断 (上) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

危機と決断 (上) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

 
危機と決断 (下) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

危機と決断 (下) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

 

 前FRB議長のベン・バーナンキ氏による回顧録です。リーマンショックの真っ只中で、金融システムの立て直しに奔走した様子が事細かに書かれています。ガイトナー氏の回顧録と合わせて読むと、今後同様の金融危機が起こった際の処方箋として大変役立つ資料になるのではないかと思います。

 

本書で指摘されている内容は、ガイトナー氏の回顧録と驚くほど同じ目線書かれており、両者の問題意識がかなり近いものであったことが分かります。

 

バーナンキ氏は2002年にFRB理事に就任してから、FRB議長を2014年に退くまで、一貫して金融政策の最前線に立って行動しました。本来であれば、サブプライム危機を未然に察知して、防がなければならない立場であったわけですが、そのリスク認識が甘かったことは率直に認めています。FRBでは住宅ローンに注目してその動きを追っていたものの、その熱狂にはマイナス面だけではなく、プラス面もあると感じていました。

「あきらかに、私を含むFRBメンバーの多くは住宅バブルとそのリスクの大きさを見誤っていた。」

ただ、バーナンキ氏は、資産バブルに対抗するのに金融政策というツールを用いるのは適切ではないとも述べています。何よりもまず金融業界への規制と監督が重要だというわけです。当時の米国では、規制・監督のツールが効果的に活用されておらず、それが金融危機の深刻度を増大させることになったとバーナンキ氏は述べています。

米国における規制体系の問題点は、ガイトナー氏の回顧録でも指摘されていたように思いますが、監督組織が分散されており、危機時の対応が一枚岩とならないという欠陥があったわけですが、リーマンショック以降、この点はだいぶ見直しがなされたようです。加えて、バーナンキ氏は、当時の規制当局は、銀行の安全性よりも信用枠増大の方に傾きすぎてしまっていたと指摘しています。

 

サブプライム危機のきっかけは、2007年8月にBNPパリバがサブプライムローン証券を担保にした投資ファンドから投資家がお金を引き出せなくしたことでした。 これが投資家たちのパニック売りを招くことになります。住宅セクターは冷え込み始めていましたが、当初はある程度のクールダウンは望ましいものとさえ見られていました。バーナンキ氏も、サブプライムは住宅ローンのわずか13%程度であるため、影響はそれほど大きくないだろうと楽観視していたとのことです。 

「比較的規模が小さいサブプライムローン市場と一見健康そうな銀行システムに基づく好調な経済から考えれば、サブプライム問題は、影響を受けそうなコミュニティと住宅産業一般には主要な問題となるものの、経済に大きな打撃となりそうではない、と私や連銀のメンバーは結論づけた。」

 

この時期起こっていた深刻な問題は、リパーチェス・アグリーメント(略称レポ)の取り付けの可能性です。レポは短期で資金を調達する際に、住宅ローン担保証券MBS)などを担保として差し出しますが、そうした担保の安全性が怪しくなると、もっと大きな保証を求めることになります。こうして、サブプライム危機は、短期金融市場のパニックにつながり、グローバルな金融システムとグローバル経済危機に変貌してしまうことになったとバーナンキ氏は述べています。

 

レポ市場から多くの資金を調達していたベアー・スターンズは、資金難に陥ります。また、リーマン・ブラザーズもレポに大きく依存していました。FRBベア・スターンズの救済には乗り出しますが、リーマンについては、他の民間金融機関による救済を模索するものの、結局崩壊することになります。

 

次のステージはAIGです。AIGデリバティブ市場に大々的に参入しており、特にクレジット・デフォルト・スワップCDS)を多く扱っていました。もう一つの問題は、AIGの監督権限が貯蓄機関監督局(OTS)という小さな機関が受け持っていたという点です。AIGはあまりに巨大で、他の金融システムとも密接につながっていたため、破綻すればその影響は計り知れないものであることが想定されました。AIGには必要な担保があったため、連銀の融資による救済が実施しやすい状況で、結果的に政府はAIGに投資した額を上回る額を回収します。

 

こうして、ベアー・スターンズAIGは救済され、リーマン・ブラザーズは破綻の道を歩むことになったわけですが、リーマンをなぜ救済しなかったのかという批判に対して、バーナンキ氏は反論しています。政府がそういう選択をしたわけではなく、リーマンはベアーとは違って買収してくれる投資家もおらず、AIGのように、連銀からの多額の融資を裏付ける十分な担保もなかったのです。

「私たちはリーマンを救う必要があることを知っていた。ただ、その手段がなかった。」

この論点については、バーナンキは議会であえてかなり曖昧な態度をとったとのことですが、今はもっと率直に言うべきだったかどうか迷っていると吐露しています。

 

その後、政府は資産買い取りの権限を持つことを検討します。買取価格の決定方法が最大の問題点でしたが、この政策は不良資産救済プログラム(TARP)として提案されます。買取価格については、政府による買い取り価格が投げ売り価格と満期価格の範囲内に収まっていればよく、競売をすればこの価格内に収まるのだとバーナンキ氏は主張します。

また、このスキームでは、政府が金融機関の株式を取得することも禁じられていませんでした。不良債権を買い取るスキームと銀行の株式を取得することにより資本注入を行うことのいずれの方法を選択すべきかは悩ましいところですが、バーナンキ氏は、資本注入の方がお好みのようで、以下のように述べています。

「資本注入は政府が銀行の株式を取得するので政府による部分的な銀行所有となる。資本注入によって損失による打撃を吸収できる体力が増すので、銀行を直接強めることになる。対照的に不良資産の買い取りは銀行が保有している資産を政府が購入することで間接的な体力増強をはかるが、その効果は資産価格の上昇範囲にとどまることが特徴だ。」

 

この時期は、住宅の差し押さえを減らす政策にも重点が置かれました。住宅ローン借り換え促進プログラム(HARP)や住宅ローン条件緩和プログラム(HAMP)などにより、条件緩和を推し進めます。

 

それから、バーナンキガイトナーも強調しているのがストレステストです。大銀行の資産について徹底的な考査を実施し、これを公表することで、先行きの不透明感を払しょくさせようというのが狙いです。これが、米国の銀行システムに対する信頼を回復させるのに大いに寄与したというのが、バーナンキガイトナーの見方です。

「ストレステストは決定的な折り返し地点になった。この時点から米国の銀行システムは緩やかながら回復させ、最終的には経済も追随して息を吹き返す。」

 

バーナンキFRBの危機対応を4つの要素で説明しています。1つめは経済を支えるための金利水準の引き下げ、2つめは金融システムを安定させるために流動性を供給する緊急融資、3つめは主要金融機関が秩序なく破綻することを防ぐ救済、4つめは銀行の状況を検査するストレス・テストの情報公開です。今回の危機対応を通じて、FRBは一つの処方箋のパターンを確立させたことは大きいように思います。

 

今回の危機の教訓で大きかったのは、取り付けが生ずるのは、預金者ではなく、大量の資金を提供する大口の短期債権者だということです。短期の金融市場を正常な形に戻すためにいかに流動性を確保するかが、今回の金融危機の当初の課題でした。

その後、銀行の破綻の回避のための救済策、そしてストレステストを公表するという一連の流れは、今後の金融危機の処方箋となるでしょう。

 

ガイトナー氏も協調していた点ですが、危機時の対応において最大の壁となるのは、モラルハザード論です。なぜ国家予算を使ってまで救済しなければならないのか?という問題は常に議会内で提起され、マスコミからも批判を受けます。そうした批判の中でも、正しい選択をしていくことこそ、危機時におけるリーダーの役割だということを痛切に感じます。

 

分厚い回顧録でしたが、読みぬく価値はあると思います。