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田中慎弥「共喰い」

共喰い

共喰い

 文藝春秋に掲載された作品を読んでみました。この作品はご存じのとおり、受賞時の著者のユニークな会見で話題になりましたが、内容は至って純文学といった感じです。

 17歳の少年篠垣遠馬は、性行為の際に暴力を振るう父親と、その再婚相手の女性の琴子と一緒に暮らしている。遠馬の産みの親の仁子は近所で魚屋を営んでいる。遠馬は同い年の千種と恋に落ちるが、自分が父親の暴力癖を受け継いでいるのではないかと怯えている。そして、遠馬が初めて千種と好意に及んだ際、遠馬は案の定、千種に暴力を振るってしまう。

 琴子は遠馬の父親との間の子供をお腹に宿していたが、父親のもとを去ることを決断する。

 祭りの日に2人は再会するはずだったが、当日は大雨。神社の境内で遠馬を待っていた千種のところにやってきたのは遠馬の父親だった。父親は千種を襲い、暴力を振るった。
 その話を聞いた仁子は、遠馬の父親を殺害する。発見された父親の遺体に仁子の義手が突き刺さっていたことから、仁子は逮捕される。

 収監された仁子に面会した遠馬が、差し入れしてほしいものがないか?と尋ねると、仁子は何もないと返答。遠馬は生理用品は拘置所が出してくれるだろうと思ったところで、物語は終わる。。。


 個人的には、よくできた作品だと思います。最後の生理用品のくだりも、生理の時は神社の鳥居をよけなくてはならないという言い伝えと絡められています。警察に連行される仁子は鳥居をよけたという話を聞いて、遠馬は仁子に生理が戻ったことを悟ったわけです。

 この作品には、近親の性的欲望が複雑に絡んだ描写が随所に見られます。近くに住む娼婦と遠馬の父親は性交に及んでいたが、遠馬も彼女と交わることになります。

 こうした近親が絡んだ性描写に対して、嫌悪感を抱く人たちも多いとは思います。宮本輝氏は選評の中で、この作品について、生理的に受けつけることができず、一人受賞に反対したことを告白しています。

 しかし、そこがフィクションの持ち味でもあります。個人的な好き嫌いを当然あるにせよ、一人の生理的嫌悪を作品の総体的評価に反映させることは適当とは言えません。

 石原慎太郎氏の選評が私は個人的に一番好きです。

「かろうじての過半で当選とはなった田中慎弥氏の『共喰い』も、戦後間もなく場末の盛り場で流行った「お化け屋敷」のショーのように次から次安手でえげつない出し物が続く作品で、読み物としては一番よみやすかったが。田中氏の資質は長編にまとめた方が重みがますと思われる。」

 石原氏にしては精一杯ほめている言葉のように思います。

 普遍的な評価を得られる作風ではないものの、こういう文学があっても良いと想いました。