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穐吉敏子「ジャズと生きる」

ジャズと生きる (岩波新書)

ジャズと生きる (岩波新書)

 日本人のジャズミュージシャンとして戦後いち早く渡米し、ジャズの本場アメリカでの高い評価を勝ち得た穐吉敏子さんが1996年に出された自叙伝です。この時期にアメリカで活動して名声を得た女性は数少なく、一女性ジャズミュージシャンとしてだけでなく、一日本人女性としての波乱に富んだ生き様が描かれています。また、アメリカの大物ミュージシャンの寵愛を受けてきた彼女の豊富な体験談が興味深く描かれています。

 戦前に満州に生まれた穐吉さんは、戦時中は看護婦に従事した後、戦争終結後に本土に帰国し、別府の街でピアノの仕事を見つけて活動をしていきます。それから福岡に出て演奏活動を行った後、東京に出て進駐軍のショーバンドのメンバーとして活躍します。しかし、次第にダンスホールでの演奏に飽き足らなくなり、穐吉さんは渡辺貞夫さんらを迎えた「コージー・カルテット」を結成します。

 それから穐吉さんはバークリー音楽院で学ぶために渡米します。途中で立ち寄ったロサンゼルスではマイルス・デイビスと対面します。

ニューヨークののデビューも果たします。やがて、アルトサックス奏者でバークリー音楽院の教授だったのチャーリー・マリアーノと出会い結婚。日本に帰国した際には大歓迎を受けますが、夫のチャーリー・マリアーノが日本での仕事をあまり見つけられず、アメリカに戻ることになります。やがてマリアーノの前妻が子ども4人を置いて家出したためマリアーノがボストンの子どもたちの元へと飛んだのをきっかけに、2人は離婚への道をたどることになります。

 穐吉さんはやがて1人娘を日本に送り返し、ジャズの道に没頭していきます。やがて2人目の夫ルー・タバキンと出会い再婚します。小野田少尉をモチーフにした♪孤軍も大きなヒットを記録し、日本でも穐吉の名は広まっていきます。


 本書は穐吉さんの人生観がストレートに現れていて、大変興味深い読み物に仕上がっています。数々の興味深い点がありますが、やはり、穐吉さんが多くの魅力的なミュージシャンたちと出会い、影響を受けている点が大きな魅力です。来日したオスカー・ピーターソン、ピアノテクニックを大いに見習ったバド・パウエル、♪ジャンゴで知られるジョン・ルイス、穐吉さんのコンサートに足を運んだチャールズ・ミンガス、日本から本場のジャズの世界に飛び込んだ一女性ミュージシャンを温かく迎えてくれるアメリカのジャズの世界が何かもの凄く身近に感じてしまいます。

 それから、穐吉さんのジャズと家庭の間を行き交う葛藤が本書の大きな柱となっている点も興味深い点です。子どもを一人アメリカから日本の親族の元へと送る際の穐吉さんの切なさ、ジャズのキャリアがどんどん積まれていく中で娘との関係がなかなか修復できなもどかしさが大変良く表現されています。ばりばりと働いている多くの女性に共通して付きまとう人生の大きな課題なのではないでしょうか。


 少し本書から逸れますが、穐吉さんと日本のミュージシャンとの出会いの一つに渡辺貞夫さんとの出会いがあります。穐吉さんは若手の頃から渡辺貞夫さんと演奏を共にします。ここで思い出されたのは、先日渡辺貞夫さんがブルーノートのライブでチャーリー・マリアーノの死に触れていたことが思い出されました。マリアーノは穐吉さんの前夫だったのですね。それから、『ジャズ旋風』という本で読んだのですが、渡辺貞夫さんは穐吉敏子さんのバンドで演奏していた時分に、穐吉さんが急にチャーリー・パーカーの♪Moose the Moocheを演奏するということで渡辺さんは初見で吹いたものの、穐吉さんから、

「プロだったらすぐに吹けなきゃいけない」

とステージで叱られ、ガクッときたということです。

 なぜ、この記述を引用したかといえば、先日のブルーノート渡辺貞夫さんの講演で、渡辺さんが若手のアメリカ人ミュージシャンを相手にこの♪Moose the Moocheを演奏していたからです。
渡辺貞夫@BLUE NOTE TOKYO - loisir-spaceの日記
 20歳前後の若かりし時代にとっさに演奏できずに穐吉御大からステージ上で叱られた曲を、今となって自分よりも二回りくらい若い若手を相手に生き生きと演奏するなんて、渡辺貞夫さんもなかなかお茶目だと思いませんか??


 独りで本場のジャズの世界に飛び込み、日本人としての強烈な自意識をもってアイデンティティの確立を図ろうとした穐吉さんの努力には本当に頭が下がります。人種差別や文化の差にもかかわらす世界に飛び込んでいく勇気ある先人たちがいたからこそ、日本は今や国際化を遂げることができたということを、我々は忘れるべきではありません。