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仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか」

 現代思想の世界をのりにのって疾走している感もある仲正昌樹氏が、現代思想系譜を概観した本です。戦後日本の論壇の動向やその構造がパッと開けるように見えてくる優れた作品です。

 まず本書では、戦後日本の思想を代表するマルクス主義について述べられています。労農派と講座派の対立、市民派の台頭などについて触れられていますが、仲正氏は、日本のマルクス主義者たちは、西欧のモデルを無理に導入したため、最初から現実とズレていたのだとしています。そして、マルクス主義者たちが無理に作りだした敵が「保守」だったわけですが、それは「革新」が登場した後でその反作用として「保守」が登場してきたため、

「空気のような相手に対して、無理な二項対立図式を振り回したせいで、マルクス主義的な左翼の思想の現実離れが余計に助長されることになった。」(p49)

と冷たく突き放します。

 それから本書では、全共闘運動などの新左翼運動について分析がなされた後、思想が「生産から消費へ」シフトしていった点が取り上げられます。「消費」を軸とした資本主義分析に先鞭をつけたベンヤミンの思想、ボードリヤール記号論的世界観、そして我が国では田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が取り上げられます。

なんとなく、クリスタル (新潮文庫)

なんとなく、クリスタル (新潮文庫)

 それから、従来のマルクス主義と対立する思想としての「構造主義」ブームが取り上げられます。「構造主義」とは、周知のとおり、人間の行動や認識を規定する無意識レベルの構造を想定するものですから、マルクス主義の発展史観や下部構造の議論とは相容れず、サルトルレヴィ=ストロースの論争が起こるわけで、この点も本書で簡潔に取り上げられています。それから、同じ文脈でフーコーエピステーメー論なども取り上げられます。

 こうした「構造主義」に対しては、その限界も指摘されます。つまり、構造主義者がその不可視の構造を発見するまでの思考プロセス自体が何か別の次元の構造によって規定されているのではないか、という疑問があり得るわけで、そうなると、構造主義という方法によって得られた知とは一体何だったのかが分からなくなる、というものです。それがポスト構造主義的な思想の出発点になると仲正氏は言います。

 そこで登場するのがデリダの「脱構築」、すなわち批評家のテクストを読解し、テクストの隠れた構造をあらわにしていくという手法です。ただ、「脱構築」は「構造主義」を超えようとするものではありません。仲正氏は次のように述べています。

デリダは、その「限界」を超えようとするのではなく、むしろその「限界」の中(=エリクチュールの内部)でしか思考できない“我々”の思考の有限性を自覚し、すべてを「知」によって把握しようとする“我々”のエクリチュールの暴力を抑えようとする。」(p132)

 デリダエクリチュール

「どこに終わり=目的があるのかわからないポストモダン系思想の難解さを象徴している」(p132)

というわけです。

 さらに、ドゥールーズとガタリは、マルクス主義とは違った形での資本主義批判への展開を試みます。これはフロイト精神分析を批判的に読み替えた理論で、資本主義に内在する分裂症的な傾向を指摘し、

「“我々”全員が根本的に分裂症であり、安定した“主体”であり続けることはできないと自覚するほうが、ネクスト・ステージへの移行を促進する上で有効である」(p137)

と考えるものです。

 このドゥールーズとガタリの理論をいち早く日本に持ち込んで論じたのが浅田彰の『構造と力』であったことはよく知られています。

 この浅田氏の『構造と力』の前に近代的な人間観に揺さぶりをかけた論者として、本書では栗本慎一郎が挙げられています。81年に出版された『パンツをはいたサル』は、経済、法律、道徳などの、あらゆる社会制度を「蕩尽」へと向かう欲望を蓄積し、強度を高める「パンツ」として分析することを試みたものです。

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か

「「生産的に労働する人間」観から「蕩尽する人間」観へのパラダイム・シフト」」(p156)

というわけです。

 それから、83年に出版された『構造と力』がベストセラーになります。

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

「シラケつつノリ、ノリつつシラケること」という有名なフレーズが書かれているものです。浅田氏らはいわゆる「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる独自のスタンスに立ちますが、このスタイルとは、仲正氏によれば、

「真面目なのかふざけているのか判然としないような、“知の実践”スタイル」(p161)

といったものです。浅田氏は、カイヨワの「聖/俗/遊」という3つの次元にならって、「遊」としてのシラケに重点を置いたわけです。

 こうしたニュー・アカデミズムの受け皿となったのが、山口昌男氏や中沢新一氏を始めとする文化人類学です。とりわけ中沢氏については、88年に東大駒場助教授として招こうという人事に対する反発が噴出したことがよく知られています。中沢氏は、自らの密教体験を語るという、近代知に対する際どい挑戦を行っており、そうしたスタイルも含めた中沢氏に対する反発が噴出したわけですが、この騒動について仲正氏は、この騒動において、ブルジョワ的な近代知を解体することを目指していたと思われていた左翼の学者たちがいつのまにか、近代的な実証主義の擁護者の役割を果たすようになっていたという興味深い指摘をされています。

 こうしたニュー・アカデミズムの後に来たのが、現代思想の左転回です。つまり、改憲を目指すナショナリズムの台頭や市場原理主義的な経済政策に対抗する反権力的な動きが見られるようになってくるわけです。加藤典洋氏の敗戦後論争や、NAMと呼んだ運動が挙げられます。つまり、

「今や「思想」業界は、一九七〇年代以前のわかりやすい「左/右」の二項対立状況に戻ったかのような様相を呈している。」(p233)

と仲正氏は言います。

 では、現代思想はもはや有効でなくなったのかといえば、仲正氏の答えは否です。

ポストモダン的に複雑化しつつある現状分析の道具としては、「現代思想」は今でも、というよりは、今こそ、有効である―と少なくとも私は思っている。」(p243)

 最後は、仲正氏の叫びのような声が伝わってくるのですが、本書は、現代思想につながっていく思想の淵源や系譜が実に分かりやすく書かれており、すっきりと頭の中で整理するにはもってこいの本であり、現代思想入門として大変お勧めです。


 余談ですが、本書を読んでいて思い出したのは、私が予備校に通っている時分にその予備校の教師が中沢新一氏に傾倒しており、東大駒場の騒動に対して大変憤慨していたことです。当時中沢氏はすでにいくつかの著作を発表しており、特にその教師が勧めていたのが『雪片曲線論』でした。当時の私にとっては、実に分かりにくいことこの上ない文体で、正直にいえば当時は手に取る気にもなれなかったのは言うまでもありません。