映画、書評、ジャズなど

「カフェ・ソサエティ」★★★★★


『カフェ・ソサエティ』予告編

私の大好きなウディ・アレン監督の最新作です。溢れんばかりのジャズをバックに、ウディ・アレン監督らしいセンス溢れるラブ・コメディが展開され、夢見心地で楽しめる作品です。

 

 ニューヨーク育ちの青年ボビーは、ハリウッドに漠然とした憧れを抱き、映画界を取り仕切る叔父のフィルを頼って、単身ハリウッドへ移り、フィルの会社を手伝うことに。

右も左もわからないボビーのために、フィルは秘書のヴォニーをあてがう。ボビーはヴォニーと時間を共にするうちに、ヴォニーに惚れてしまうのだが、ヴォニー曰く、ヴォニーにはジャーナリストの恋人がいるとのことだった。

しかし、ヴォニーの恋人は妻帯者であり、離婚の決断ができなかったことから、別れを告げられる。ボビーは傷心のヴォニーを献身的に慰め、やがて二人は恋人関係になる。

 

二人は結婚してニューヨークに一緒に渡るという話になっていたが、ボビーは叔父のフィルから、自分は恋人と結婚するために妻と別れる決断をしたと告げられる。つまり、ヴォニーの恋人とはフィルだったのだ。

ヴォニーは迷った挙句、フィルと結婚することを決める。ボビーは再びニューヨークに戻り、ギャングと繋がりのある兄のクラブで働くことに。セレブが集まるその店で、ボビーは多くのセレブと知り合いになり、次第に力をつけていく。そして、知人の紹介によりお店で知り合ったもう一人のヴォニーと結婚して子供を設ける。

兄が数々の犯罪により死刑になると、ボビーは店の経営を引き継ぐ。そんなとき、叔父のフィルと昔の恋人のヴォニーが連れ立って店を訪れた。すっかりセレブ気取りのヴォニーを見て、ボビーは当初嫌悪感を抱くが、ヴォニーのニューヨーク滞在中に二人は頻繁に会う。ボビーがハリウッドに行った時も二人は会い、親密な時間を過ごしたが、かといってそれぞれの家庭がある中、二人が昔の恋人関係に完全に戻ることがなかった。

新年を迎える時、二人はそれぞれ別々のパーティーを楽しんでいたが、心の中では互いを想い合っていたのだった。。。

 

 

昔の恋人同士が、その後別々の人生を歩みながらも、どこか切れない心の絆で結びついているという大人のシチュエーションがとても魅力的です。

至るところにウディ・アレン監督ならではのピリッとしたジョークが散りばめられており、正にウディ・アレン・ワールド全開といったところで、個人的には、完全にツボにはまりました。

 

ジャズのスタンダードもふんだんに使われています。中でも♪My Romanceが大変効果的に使われています。


Cafe Society Soundtrack 09 My Romance

 

ところで、この作品のタイトルになっている「カフェ・ソサエティ」というのは、1930年代にニューヨークで、バーニー・ジョセフソンという人物が開設したクラブです。人種の壁を取り払って白人も黒人も集い、人民戦線の思想に共鳴した人々が集った場所だったようです。

このクラブは、ビリー・ホリデイが♪奇妙な果実を披露した場としても知られています。アメリカの共産党員でユダヤ人のエイベル・ミーアポルがこのクラブでビリー・ホリデイに出会い、ホリデイにこの歌を歌わせます。

戦後、カフェ・ソサエティは、共産主義と結び付けられて、FBIの厳しい監視を受けることになります。オーナーの兄のレオン・ジョセフソンは議会に召喚された後収監され、カフェ・ソサエティも間も無く閉店を強いられたとのこと。

 

 この作品で登場するカフェ・ソサエティの設定は、オーナーがユダヤ人という点は一致していますが、実際とはかなり異なっています。しかし、かつて抵抗の象徴だったジャズ・クラブの名称を映画のタイトルとするところに、ウディ・アレン監督のジャズへの造詣を感じます。

 

とにかく、最初から最後まで夢見心地でうっとりしてしまう作品でした。

大沢在昌「新宿鮫」

 

新宿鮫?新宿鮫1 新装版? (光文社文庫)

新宿鮫?新宿鮫1 新装版? (光文社文庫)

 

 

日本のハードボイルド・ミステリーの代表作家である大沢在昌氏の作品を、今更ながら初めて手に取りました。1990年の作品ですが、今読んでも全く色あせておらず、完成度の高い作品です。

 

主人公の鮫島は新宿署に勤務する警察官であるが、その経歴は異色で、もともとはキャリア官僚だったものの、ある公安関係事件に巻き込まれて、新宿署預かりの形で、防犯課に籍を置いている。鮫島は正義感に燃えながら、孤立無援で犯罪捜査に当たっている。一回り以上年下の昌というロックシンガーの女性を彼女に持つ。

 

新宿署の警察官が次々に射殺されていく。殺害に使われたのは、出所したばかりの木津という男が改造した銃だった。鮫島は木津の行方を追う。木津はゲイだったことから、鮫島は木津の出入りするゲイの店を張り込む。

鮫島はついに木津のアジトを突き止め、単身で乗り込んだものの、木津に返り討ちに会うが、鮫島の防犯課の上司が間一髪駆けつけ、木津を射殺する。

警官殺しの犯人は、木津の銃を持ち出したゲイの友人カズオと思われたが、カズオが一時泊まっていた知人の砂上だった。砂上は自分が新宿のライブ会場に向かう途中、チンピラに殴られたのだが、警察官は彼を助けに来てくれなかったため、警察官に恨みを持つことになったのだ。鮫島はちょうどその場面に立ち会っていたのだった。

鮫島は、砂上が次に鮫島の彼女の昌のライブ会場に犯行に向かうつもりであることに気づいた。昌が標的になっていたのだ。鮫島は昌のライブ会場に駆けつけ、間一髪、間に合った。。。

 

 

この作品の素晴らしいところは、一人一人のキャラクターが立っているところです。元キャリア官僚のはみだしである鮫島のキャラクターもさることながら、その上司の防犯課長の桃井は、家族を交通事故でなくして、性格が変わってしまったものの、孤軍奮闘する鮫島の唯一の理解者であり、鮫島を危機一髪で救出します。

鮫島の彼女であるロックシンガーの昌も、普段は強がっている性格で、鮫島に毒を吐きながらも、随所で女性らしさを垣間見るところが魅力的です。

 ゲイで銃の改造に執着する木津のキャラクターも独創的です。

こうしたプレイヤーたちのキャラクターの魅力が、本作品の魅力を高めているように思います。

 

新宿鮫シリーズはその後、著者の鉄板となるわけですが、こうしたキャラクター設定の巧妙さによるところが大きいと思います。

 

 

「ヒーロー・ネバー・ダイ」★★★★☆

 

ジョニー・トー監督の作品で、香港の2つのマフィアを舞台とする復讐劇です。それぞれの組織で用心棒を務めたジャック(レオン・ライ)とチャウ(ラウ・チンワン)の固い友情が見ごたえ十分です。

 

ジャックとチャウは、それぞれボスの右腕として、組織間の抗争で活躍。時には弱気なボスを鼓舞しながら、組織を支えていた。2人はとあるバーで遭遇し、互いのワイン・グラスをコインで破壊するゲームを繰り広げる。そこに、2人の彼女も合流。2人のネームプレートを付けたワインのボトルがキープされる。そのときにバンドが演奏していた曲が♪Sukiyaki(♪上を向いて歩こう)だった。

ところが、壮絶な抗争の中、2人はそれぞれ大怪我を負う。チャウは両足を切断することになり、車いすの生活を送ることに。ジャックもしばらく意識が戻らない状況が続いた。

そんな中、2つの組織は手打ちを行い、手を組むことに。2人は組織にとって邪魔な存在となってしまう。

生きる気力を失ったチャウを見た彼女は、チャウをボスのところに執拗に連れていき、抗議するのだが、鬱陶しく感じたボスは彼女を射殺する。チャウは物乞いの生活をしながら、彼女の敵を取るために、復讐を誓う。

一方、ジャックも組織から狙われ、ジャックを守ろうとした彼女は、ボスの一味に火をつけられ全身やけどを負う。

最後、ジャックとチャウは手を組んで、壮絶な復讐劇の末、ボスたちを射殺する。。。

 

 

全体的によくできたプロットであるとともに、ボスへの復讐心に燃える2人の男たちの心理が実によく描けています。散々ボスへ忠誠を尽くした挙句に、組織にとって要らない存在になると途端に手のひらを返して命まで狙われる、そんなドライで冷たいマフィアの論理に対抗して、壮絶な復讐を遂げる男たちの友情がとにかくかっこ良過ぎます。

 

こうした作品というのは、アジア映画ならではの醍醐味であり、ハリウッド映画では絶対に表現できない面のような気がします。

 

音楽も効果的に使われており、ゆったりとしたリズムで演奏される♪Sukiyakiが作品全体のムードを醸成しています。

 

ジョニー・トー監督の作品はこれまでもいくつか鑑賞しましたが、こうした人間性の本質をえぐるような作品を作るのが本当にうまいと思います。

 



F・W・クロフツ「樽」

 

樽【新訳版】 (創元推理文庫)

樽【新訳版】 (創元推理文庫)

 

江戸川乱歩も絶賛したとされるミステリーの古典です。ロンドンとパリを舞台に、樽の中に女性の遺体が詰められた真相が明らかになっていく話です。

 

パリからロンドンに送られた来た樽が港で運搬中に壊れた際、偶然、中には金貨とともに女性の遺体が入っていた。樽の受取主は画家のフェリクス。パリのワイン商から、賭けの報償として送られてきたものだった。

バーンリー警部はパリに飛び、旧知のパリ警視庁のルファルジュ刑事と共に捜査に当たる。樽に入っていたのは会社社長ポワラックの妻のアネットだった。ポワラックの家でパーティーが開催された夜、アネットは行方不明になっていたのだが、ポワラックにはアリバイがあった。そのパーティーにはフェリクスも参加しており、アネットは、フェリクスと駆け落ちする内容の手紙を残していた。

バーンリー警部はフェリクスが犯人だと結論づけ、フェリクスは逮捕される。

しかし、ここで話は終わらず、弁護士クリフォードと私立探偵ラ・トゥーシュが真相解明に乗り出す。証拠から見れば、フェリクスが犯人である可能性は高かったが、ラ・トゥーシュらはポワラックが犯人である可能性を追求する。

フェリクスはアネットと婚約した過去があったが、今はお互いに恋愛感情はなくなっていた。しかし、2人には借金の返済に追われる共通の知人であり、アネットのいとこでもある男がいたが、2人はそのパーティーの晩にお金の工面を内密に相談していた。それを目撃したポワラックがアネットを殺害し、その罪をフェリクスに着せるため、ポワラックが一連の工作を仕組んだというのが真相だった。

ラ・トゥーシュから問い詰められたポワラックは、自宅の部屋に彼を閉じ込め、火を放ち殺害を試みるが、間一髪で救出された。。。

 

 

有栖川有栖氏による解説によれば、この『樽』の評価は、時代と共に凋落傾向となっていったようです。ただ、樽を手掛かりに事件の解明が進められていく展開はとてもスリリングで、後に多くのミステリー作家によってこのプロットは参考にされたようです。

 

一旦、バーンリー警部によって事件が解決したかに見えたものの、それが別の私立探偵の手で真相が解明されていく構成も、なかなか良くできていると思います。ただ、それまで主役だったバーンリー警部が、次の展開になると全く登場しなくなるのはやや物足りない感が否めず、できれば、バーンリー警部が引き続き登場して、シンクロしていった方が、物語の展開としては面白かったのではないかという気がします。

ジョン・ル・カレ「スクールボーイ閣下」

  

スクールボーイ閣下〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

スクールボーイ閣下〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

スクールボーイ閣下〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

スクールボーイ閣下〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

 

ル・カレのスマイリー三部作の第二作目に当たるのが本書です。第一作は最近『裏切りのサーカス』というタイトルで映画化された『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、第三作は『スマイリーと仲間たち』です。

 

正直、決して読みやすい筆致ではなく、特に最初の方は霧の中を手探りで読み進めている感覚でしたが、だんだんと重厚な雰囲気を味わいながら読み進めていくことができるようになっていったように思います。

 

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、英国情報機関MI6(いわゆる「サーカス」)にカーラの手によってソ連からビル・ヘイドン(=実在のキム・フィルビー)がスパイとして送り込まれていたというストーリーでしたが、本書は、すっかり信用を失墜してしまった「サーカス」を、ジョージ・スマイリーが建て直すという設定です。

本作で中心的な役割を担うのはジェリー・ウェスタビーです。彼には“スクールボーイ”というあだ名がつけられていました。本書の原題は“The Honourable Schoolboy”ですが、“Honourable”(=高貴なる)という呼称は、貴族の息子につける敬称なのだそうです。ウェブスタビ―も貴族の血筋だったというわけです。

さて、本書でスマイリーが手がけるのは、香港の実業家であるドレイク・コウに多額の資金が流れていた事案。スマイリーは、田舎で暮らしていた元諜報員のジェリー・ウェスタビーを呼び寄せ、記者を装わせて香港に派遣する。

コウは東南アジアからの麻薬の密輸を仕切っていた。麻薬を運ぶ飛行機のパイロットであるリカルドが協力者であったが、その愛人のリジー・ワージントンに対し、ウェスタビーは思いを寄せることに。ドレイク・コウの弟ネルソンは、カーラの手によって中国に送り込まれた二重スパイだった。

ウェスタビーは、やがて本国の指令を超えて、独自に行動を始める。ラオス、タイへと渡り、リカルドに面会するが、あやうく殺されそうになる。

一方、スマイリーは、ネルソン・コウを捕らえるために香港に向かう。スマイリーはウェスタビーに対して帰国を命ずるが、ウェスタビーはその指示に従わず、愛するリジーと行動を共にする。

ネルソンは無事捕らえられるが、ウェスタビーは非業の死を遂げたのだった。。。

 

 

 

冒頭にも書いたように、本書は決して読み進めやすい類の本ではなく、最初から細部まで理解しながら読んでいくことはほぼ不可能だと思います。それでも苦労して読み進めていくうちに、だんだん開けてきます。おそらく、3回くらい読んでみると、詳細を理解しながら読み進めるようになるのではないかという気がします。

 

本書ではウェスタビ―が主役級の扱いとなっているわけですが、ウェスタビーの人間的なキャラクターが光っています。冷徹なスパイでありながら、美しい女性には心が揺れ動くという人間的な面も持ち合わせるウェスタビーのキャラクターに大変魅力を感じました。

 

また、スマイリーが、様々な外部勢力との葛藤の中で必死に組織を立て直しながら、本案件に対処している姿が巧妙に描かれています。アメリカの諜報部である“カズンズ”との間では、ネルソン捕獲の成果を争います。また、同じ英国政府内部でも、財務当局や外務省との間で常に闘っています。そんなスマイリーの孤軍奮闘する姿がとても魅力的に映ります。

 

 とにかく、ル・カレの小説はスケールが大きいです。この作品でも、基本は米ソの対立がベースになっているわけですが、香港から東南アジア諸国にまたがる国々まで舞台が広がっていきます。しかも、それらの国々についての描写はとてもリアリティにあふれています。よくここまで調べて書いたものだと感心してしまいます。

 

機会があればまた読んでみたいと思います。

 

「ミッシング」★★★★

 

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1982年の米国映画です。チリのクーデタで行方不明になった米国人の話で、実話を基にしたもののようです。

 

作家を志望するチャールズ・ホーマンは、妻のべスとともにチリに滞在していたが、そのときにクーデタが勃発する。チャールズの父親のエドワード・ホーマンが米国からすぐにチリに駆けつけ、べスと共にチャールズの捜索を開始する。

 

領事館のつてを使っていくうちに、エドワードとべスは、チャールズの失踪の背景には、米国が絡んでいるのではないかとの心証を抱くようになる。チャールズは、クーデタの当時、友人のテリーとともにビーニャという街を訪れていたのだが、そこでチャールズは米国から来ていた退役軍人らと知り合いになったのだが、彼らこそがクーデタに絡んでいる可能性が高かった。また、領事館サイドは、どこかに隠れているのだと主張するばかりだった。

当初、関係が険悪だったエドワードとべスも、領事館の対応に不信感を募らせていく一方で、徐々に心が通じ合うようになっていく。

結局、チャールズは殺害されていたことが判明したのだった。。。

 

 

チリクーデタに米国が関与しており、そこに首を突っ込みすぎた米国人ジャーナリストが拷問を受け処刑されることになった、というストーリーでこの映画は構成されています。

真相がどうだったかについて判断する知識は私にはありませんが、当時、CIAがチリの内政に中途半端に首を突っ込み、チリの政治の混迷を深めたことは事実のようですので、こうした事実があったとしても、納得はいきます。

 

大変見ごたえのある作品でした。

「ショック集団」★★★★

 

<エンタメ・プライス>  ショック集団 [DVD]

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これまたサミュエル・フラー監督による作品です。

記者のジョニーは、精神疾患を装って精神病院に潜入し、その病院で過去に起こった殺人事件の犯人を突き止めようと試みる。ジョニーは、それによってピューリッツァー賞の受賞を狙っていたのだ。

ジョニーは、ダンサーの恋人キャシーがいたが、キャシーがジョニーの妹のふりをして、ジョニーはキャシーに歪んだ思いを寄せているというシナリオだった。

病院には様々な患者がいた。オペラを歌いだす大男、南北戦争で活躍した軍人だと思いこんでいる男、白人至上主義を声高らかに訴える黒人の男などなど。

ジョニーは患者たちからの聞き込みを続けるうちに、殺した人物の特定に至る。

しかし、ジョニー自身の精神バランスを崩し始める。電気ショックを受けたりしているうちに、どこからが演技なのか、境目が分からなくなってくる。

結局、ジョニーは精神病院から出れらなかった。。。

 

 

この作品のシチュエーション設定で思い浮かぶのは、もちろん『カッコーの巣の上で』でしょう。いずれも狂気と正常な精神の境目の曖昧さ、両者が紙一重であることがテーマになっているように思います。哲学者フーコーの『狂気の歴史』を彷彿とさせます。 

 

ただ、作品としては、『カッコーの巣の上で』の方がよくできているように思います。

 

それにしても、最近、サミュエル・フラー監督の作品にややはまっています。もっと評価されてしかるべき映画監督のように思います。