映画、書評、ジャズなど

呉座勇一「応仁の乱」

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

応仁の乱といえば、名前を聞いたことがない日本人はほとんどいないくらい有名な歴史的事件ですが、他方で、この大乱がどのような内実であったかについて詳しく語れる人も、極めて少ないのではないかと思われます。本書はそんな大乱を精緻に描いたものですが、地味なテーマの新書にしては異例の売上となっているようです。

 

応仁の乱と言えば、細川勝元率いる東軍と、山名宗全率いる西軍が京都を中心に戦を繰り広げた事件です。本書でも触れられていますが、かつて内藤湖南が以下のように述べています。

大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。

このように、応仁の乱は、日本史において過大ともいうべき評価を得ているようにすら思えます。

本書は、興福寺の2人の僧の日記を拠り所にしながら、応仁の乱を描き直した研究です。

 

確かに、応仁の乱細川勝元山名宗全を中心とする争いであったわけですが、著者は、この対立を過度に強調するのは誤りだと述べています。つまり、両者の激突は宿命的なものではなかったというわけです。

また、著者は、東軍も西軍も決して一枚岩ではなく、急造の寄り合い所帯であった点も強調しています。

山名宗全も当初は細川との全面戦争を企図していたわけではなかったものの、畠山義就と政長の争いに援軍を派遣してしまったばっかりに、細川の全面介入を招いてしまったというのが著者の見方です。そして、山名、細川共に多数の大名を自陣営に引き込んだ結果、戦争の獲得目標が急増し、参戦大名が抱える全ての問題を解決することは極めて困難になってしまいます。しかも、長期戦になって諸大名の被害が増大すればするほど、彼らは戦争で払った犠牲に見合う成果を求めたため、さらに戦争が長期化するという悪循環が生まれてしまったと著者は指摘します。

こうして期せずして大乱となってしまった応仁の乱ですが、それまでの守護在京制が崩れるきっかけとなり、乱後ほとんどの大名が京都を離れ在国するようになります。そして、応仁の乱に参戦した大名たちが没落していく中、戦国大名が台頭してきたわけです。

 

 

本書では、史実が事細かに書かれており、登場人物も多いので、正直あまり読みやすい本ではありません。なぜ本書がベストセラーになっているのかは、率直に言ってよくわからない面もあります。

 

ただ、歴史を変える大きな出来事とされる応仁の乱が、登場人物たちの当初の意図とは違った方向にどんどん進んでいってしまった結果として起きたという著者の見方は、大変興味深く感じました。それこそが歴史の醍醐味と言えるかもしれません。