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モーム「お菓子とビール」

お菓子とビール (岩波文庫)

お菓子とビール (岩波文庫)

 モームの代表作の一つです。最近出た行方昭夫氏の翻訳がとても読みやすく、モームの小説の持つ流暢さを存分堪能できます。

 主人公アシェンデンは、作家仲間のキアから、ある小説家の伝記の執筆のための材料提供を求められる。この小説家はドリッフィールドという偉大な人物であり、その妻がキアに執筆を依頼したのであるが、この小説家の若かりし頃を知るのはアシェンデンくらいだったのだ。

 アシェンデンは少年の頃にドリッフィールド夫妻に出会った頃を思い出していく。当時の妻だったのはロウジーという大変魅力的な女性であった。性的に奔放であったがとても誠実な女性であった。ドリッフィールド夫妻は夜逃げして姿を消した。

 やがてアシェンデンはロンドンに出て行くが、そこでドリッフィールド夫妻と再会する。ドリッフィールドは、支援するトラフォード夫人の庇護を受けながら執筆していた。アシェンデンはロウジーの魅力に惹かれていき、やがて親密な関係となる。

 ところが、ロウジーはあるとき突然、旧知の男と駆け落ちしてしまう。2人の行方はその後分からなかったが、やがてアシェンデンの作家としての名が知られるようになり、ニューヨークで芝居が上映された際、ロウジーから手紙が届き、アシェンデンはロウジーと再会する。駆け落ちした相手は既に亡くなっていた。

 ロウジーは自分がなぜ駆け落ちしたかについてアシェンデンに説明する。ドリッフィールドとの間には実は子どもがいたのであるが、その子が6歳で亡くなったことがその原因だった。ロウジーは子どもが亡くなった後、知り合いの役者と一晩過ごしていたのだった。そして、夫もそれを分かっていて、その後の小説の中でその顛末を描いたのだった。

 アシェンデンはロウジーに対して、駆け落ちした男のどこが良かったかを聞いた。ロウジーは答える。

「どこがいいって、あの人はいつだって完璧な紳士だったわ」

 この台詞でもって小説は幕を閉じます。この一言にアシェンデンから見たロウジーの魅力が凝縮されていると言えるでしょう。ロウジーは性的に奔放であり、夫を見捨てて駆け落ちしたわけで、妻としては全くの失格の人物です。しかし、アシェンデンはロウジーの誠実さに心から惹かれていたのです。

 アシェンデンはロウジーをけなす後妻に次のように反論します。

「・・・彼女は生来愛情深い人でした。誰かが好きになれば、その人とベッドを共にするのは、ごく自然のことに思えたのです。思いわずらうようなことは一切なかったのです。不道徳とは違うのですよ。好色でもない。生来の性質がそうなのですから。太陽が熱を与え、花が香りを与えるように、美しい体をごく自然に与えたのです。自分にとって楽しいことで、彼女は楽しみを友人に与えるのが好きでした。それが彼女の人格に悪影響を及ぼしたとは思いません。常に誠実で、汚れを知らず、無邪気でしたから」

 ロウジーというキャラクターの魅力は正にこのアシェンデンの言葉にしっかりと込められています。この小説の魅力はロウジーのキャラクターの魅力にあるといって間違いないでしょう。

 ところで、訳者の解説によれば、このロウジー含め、この小説の登場人物にはそれぞれモデルがいるそうで、刊行後にモデル問題が生じたのだそうです。語り手のアシェンデンがモーム自身であることは言うまでもありませんが、ドリッフィールドはトーマス・ハーディ、伝記の執筆を依頼されたキアはヒュー・ウォルポールという作家、そしてロウジーはスー・ジョーンズという舞台女優だったそうです。モームは夫と離別したスーと出会い、その包容力に惹かれて8年間関係が続いたのだそうです。実際のスーは不幸の中で若くして亡くなったようですが、モームはそのスーの像を晩年をアメリカで幸せに暮らす明るいロウジーの姿に描き変えているのです。

 そういう目で見ると、この小説が何ともロマンチックに感じられます。

 清々しい爽快感の中で幕を閉じる物語でした。