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櫻井孝昌「アニメ文化外交」

アニメ文化外交 (ちくま新書)

アニメ文化外交 (ちくま新書)

 コンテンツメディアプロデューサーである著者が、諸外国でアニメの講演をした際に感じた若者たちの日本アニメに対する情熱を綴った本です。アカデミックな分析というより、エッセイ的なタッチですが、著者の肌感覚を率直に記しており、日本のアニメが世界各国でいかに受容されているかが良く伝わってきます。

 日本のアニメは実に世界の民族や文化の垣根を越えて浸透する力を持っているようです。イスラム圏のサウジアラビア、ヨーロッパではチェコ、スペイン、フランス、イタリア、東南アジアミャンマーカンボジアラオスベトナムにおける体験が記されていますが、とにかく、こうした世界各国の若者たちが、小さい頃から当たり前のように日本のアニメと接しているかが分かります。著者がローマで「日本のアニメーションは好きですか?」と聞いた際に返ってきた次の答えが印象的です。

「先生、僕たちは(日本のアニメで育っているんですよ。」

 ヨーロッパではパリのジャパン・エキスポにおける集客ぶりはよく知られていますが(2008年度は4日間で延べ14万人!)、スペインでも、バルセロナで開催された「サロン・デル・マンガ」も6万人規模、マドリッドの「エキスポマンガ」が2万人規模、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの「サロン・マンガ・デ・ヘレス」が2万人規模等々、スペインでもアニメやマンガは相当に浸透しているようです。

 著者の言うように、日本のアニメは別に世界を向いて作られていたわけではありませんが、そのことが「アニメーションは子どもが観るもの」という世界の常識をくつがえし、多様性に富んだアニメ作品を生み出すことになったわけです。この点はかつての浮世絵と似ているという著者の指摘には同意します。

 アニメが浸透することの最大の効用は、それが日本に対する関心を呼び起こし、日本語への関心、さらには日本の他の伝統文化への関心を喚起するという点でしょう。著者も、

「入口はどこにあってもいいのだ。」

と述べていますが、この点も賛同します。

 文化レベルの外交は政治や経済レベルに劣らず重要なテーマと捉えるべきです。政治レベルにおいては、国家間は一筋縄ではいかない問題を抱えがちですが、こういう文化レベルの理解が浸透すれば、たとえ政治レベルでは外交が冷え込んだとしても、国民同士が真っ向からぶつかり憎しみ会う状況は回避することができるでしょう。
 著者も、海外でドラえもんの映画を上映した際の観客の幸せそうな顔を見て、

「会議も条約も交渉も外交には必須だけど、でもこの日の“幸せの共有”が持つ意味も、私は同じように世界平和にとって大事なことだと心から信じている。」

と述べているのは、同感です。

 ただし、こうした世界的な日本アニメの浸透は、インターネットの普及による違法ダウンロードの影響によるものであるという事実は、極めて複雑な気持ちにさせられます。特に途上国における浸透ぶりは明らかにインターネットを通じたものです。著者はその解決策として、「クリエイターへの敬意」を作りあげることに求めていますが、正直この点はなかなか難しい問題です。クリエイターのモチベーションが失われれば、良質のアニメの供給が期待しにくくなるわけですから、インターネットの無法ぶりは憂慮すべき事態であることは間違いありません。他方で、あまりに厳格な取り締まりが行われれば、せっかくのアニメの世界的波及の流れを止めてしまいかねないというジレンマも生じます。この問題は何もアニメに限られた問題ではなく、あらゆるコンテンツ産業に関わってくる問題ですが、適度な権利追求の在り方を模索していくことが、アニメ外交にとっても実は最大の課題といえるでしょう。

 本書では中国やアメリカなどの動向にはほとんど触れられていないのですが、全世界をカバーする日本アニメの本格的な研究が待ち望まれます。