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岡口基一「裁判官は劣化しているか」

 

裁判官は劣化しているのか

裁判官は劣化しているのか

 

著者はブリーフ姿をSNSに晒したりして、何かと話題を振りまかれている方ですが、裁判実務に関する論稿には定評があり、本書でも興味深い指摘をされています。

 

本書では、判決における「要件事実」の重要性が指摘され、その軽視が裁判の劣化につながっているという主張が主に展開されています。

 

著者によれば、民事裁判は請求権を中心に考えるべきと主張されます。請求権が認められれば、原告が勝訴、認められなければ、原告は敗訴することになります。

原告は請求権の発生要件に該当する具体的事実(=請求原因事実)を主張立証するのに対し、被告は請求権の消滅原因の主張、すなわち消滅の抗弁に向け、請求権の消滅要件に該当する事実(=抗弁事実)を主張立証します。

これが、民事訴訟の基本構造です。

 

裁判官は、主張書面を読んで、請求原因事実、抗弁事実等の主張の有無を確認し、判決書の前半部分である「当事者の主張」欄にことになります。この欄はさらに「請求原因」欄と「抗弁」欄に分かれます。

これらの、「当事者の主張」欄に記載された事実の総称が「要件事実」ということになります。

 

請求権の発生要件については、原告が主張立証責任を負い、請求権の消滅要件については、被告が主張立証責任を負うことになります。

 

判決における「当事者の主張」欄は、本来、「主張」に係るものでしたが、現場の裁判官らは、これを「立証(=証拠によって事実の存在を証明すること)」に係るツールとして利用しようとしたと著者は主張します。

つまり、証拠によって立証しようとする事実を前もって明らかにしておくという機能をも要件事実に持たせるようになったというわけです。

例えば「正当の事由」のような規範的要件については、請求権の発生要件であるから、本来原告が主張立証責任を負いそうなものですが、実際は原告被告がそれぞれに自己に有利な事実を主張立証するわけです。

この場合に被告が行う主張は「抗弁」ではありません。しかし、実務では、これを被告側の欄である「抗弁」に記載するようになったとのこと。つまり、法理論的には抗弁に当たらないものまで「抗弁」欄に記載されるようになったわけです。

 

 この扱いについて、司法研修所は、「正当の事由」という法律要件は、その評価根拠事実と評価障害事実に分割され、前者は原告が主張立証責任を負い、後者は被告が主張立証責任を負うと説明するようになったとのことです。しかし、一つの法律要件を二つに分割して、原告と被告がそれぞれ主張立証責任を負うという説明は、法理論的に奇妙であり、学者は相手にしなかったとのことです。著者もこの司法研修所の考え方を批判しています。

 

司法研修所では、かつては模擬記録を使って、判決書の「当事者の主張」欄を起案させることで要件事実の演習をさせていたそうです。

 

しかし、「当事者の主張」欄の作成は時間がかかるため、裁判所は新様式を用いるようになります。新様式では、「当事者の主張」欄はなくし、「争点に関する各当事者の主張」を記載することになります。この記載に当たっては、従来の事実摘示のルールに厳密に従うのではなく、裁判官が自らの表現方法で自由に記載しても良いことになったそうです。

 

これによって、判決の起案に要する時間は劇的に短くなった反面、従来判決のメリットは失われることになります。

こうして、裁判所は、長年の智の結集である「当事者の主張」欄をいとも簡単に捨て去るだけでなく、司法研修所の自慢の教育システムである「要件事実教育」までも廃止してしまうことになります。

 

こうした影響は、最高裁の判決の劣化にもつながっていると著者は主張します。その例として挙げられているのは平成30年6月1日「ハマキョウレックス事件」の最高裁判決です。ここでは、一つの法律要件を請求原因と抗弁に分解して、それぞれの当事者が主張立証責任を負うという司法研修所の理論を採用していますが、この理論は多くの学者や現場が否定的に捉えていたものです。学者はこの論点については、立証責任の問題は生じないと解していたにもかかわらず、最高裁がこの理論を迂闊に用いてしまい、主張立証責任の問題をあえて惹起してしまったというわけです。

 

以上、著者の指摘を私なりにまとめてみました。著者はこうした裁判官の劣化の一員に、近年の「飲みニケーション」の欠如を挙げています。裁判官の間でも「飲みニケーション」による教育システムがあったということ自体、一般人にとっては新鮮ですが、これはどこの職場でも同様なのかもしれません。

 

著者はかつて『要件事実マニュアル』をまとめたりして、この手法には格別の思い入れがあるのかもしれませんが、それを参酌したとしても、著者の主張は説得力があるように感じました。

 

裁判所というのは、我々が想像している以上に、強力な中央集権的な人事システムによって動いているのだということも、本書から感じました。それが裁判の歪みに少なからず影響を与えているように思います。

 

裁判所という未知の世界を知る上で大変有用な本でした。