映画、書評、ジャズなど

マーク・ブラキシル ラルフ・エッカート「インビジブル・エッジ」

インビジブル・エッジ

インビジブル・エッジ

 本書を読むと、知財の価値を認識し、自社の知財を的確に防御し、かつ知財から適正な収益を確保できている企業こそが、グローバルな競争の中で勝ち抜いているという近年の実態が良く分かります。これからのものづくり企業の未来を考える上で極めて示唆に富む本です。

 プロローグの次の言葉に端的に主張がまとまっています。

「・・・知財は価値の創造の面でも、価値の分配の面でも重要な役割を果たしていることがわかった。知財を保有している企業は、価格を上乗せできる。シェアを拡大することもできれば、ローコストを維持することもできる。ライセンス料などの形で知財から直接収入を得ることも可能だ。反対に知財を持たない企業は、製品やサービスの差異化が図れない。したがって、価格で競争するしかない。知財をまったく持たない企業が営んでいるのは、本質的にはコモディティ・ビジネスである。持続可能なエッジなしにいくらよい経営をしても、気まぐれな需要と供給に翻弄され、かつかつの利益で食いつなぐ道を歩まざるを得ない。」

 本書の冒頭に出てくるソリッドボールのエピソードは、知財を持っていれば新参のブリヂストンスポルディングでもタイトリストという巨人から多額のライセンス料(売上高の3分の1!)を獲得することができるということを示しています。

 本書ではまずワットの蒸気機関の発明に言及されています。資金的に行き詰まったワットを救ったのが特許でした。特許を取っていたからこそ投資家がワットの発明に惹きつけられ、産業革命が起こったというわけです。

 本書では経済成長についてのローマーの理論に言及されています。それは、経済成長の原動力としての技術進歩の重要性等について言及するものですが、重要な点は、新しい指示(=新しいアイデア)という知的資本あるいは無形資産が他の生産要素とはまったく異なるふるまいをし、それは追加コストなしで何度でも繰り返すことができるという点だということです。これは、知的資産が経済成長に大きく寄与していることを表しています。

 さて、本書では企業経営における知財戦略の重要性を訴えています。

知財を中心に据えていない企業戦略など、戦略と呼ぶに値しないと私たちは考えている。」

という著者の言葉に象徴されています。

 近年企業は無形資産への投資をハイペースで増やしているとのこと。そうした投資による成果は、企業価値にも反映されています。株価に基づく企業価値と物的資本との差を知的資産の価値と捉えれば、近年、知的資本が時価総額に占める比率は1975年に17%だったのが、2005年には80%に達しているそうです。

 こうした知的資産を保護する方法は、それを特許等の形で財産化し、独占することです。インテルはマイクロプロッセサ市場での独占を目論み、他社へのライセンスを打ち切り、PC用プロセッサ市場で圧倒的な地位を築くことになります。
 ところが、このインテルの独占に対して脅威を与えたのがパテント・トロールです。この言葉はインテルの法務部にいたピーター・デトキンという特許専門弁護士が2001年に最初に用いたものです。テクサーチという会社が別の会社の清算過程においてある特許を買い取り、それをもってインテルを特許侵害で訴えます。結局、インテルは裁判で勝訴するのですが、その後、パテント・トロールの名付け親であるデトキンがインテレクチュアル・ベンチャーズという筋金入りのパテント・トロールに転職したことは大いなる皮肉です。

 こうしたパテント・トロールとして非難された企業にNTPという会社があります。この企業も倒産した会社の特許を保有する会社として設立されたものですが、NTPはこの特許を使ってブラックベリーを製造するRIM(リサーチ・イン・モーション)を相手取って訴訟を起こします。RIMはNTPをパテント・トロールのレッテルを貼って非難しますが、著者はNTPは数々のイノベーションを成し遂げてきた企業であり、こうしたレッテルは全く不当だと主張します。結局、差し止めを恐れたRIMが和解に応じざるを得なくなり、6億1200万ドルの和解金で決着したそうです。

 こうした特許管理会社のビジネスモデルに対して懐疑的な目が向けられているわけですが、時代とともにイノベーション企業の定義が変わってきていると捉えます。例えば、テキサス・インストルメンツ(TI)はメモリーチップのライセンス料を10倍に引き上げ、日本企業を相手取って訴訟を起こします。そして、勝ち目がないことに気付いた企業はTIの条件を呑んで高額なライセンス料を支払うことになります。TIの92年における税引き前利益の71%をライセンス収入が占めていたとのこと。この事例は、知財それ自体が貴重な利益の源泉であることをはっきり示したと著者は述べています。とりわけ製薬業界ではこうした流れは顕著です。

 こうした現状を見てくると、会社の定義自体が変化しているように捉えざるを得ません。こうした道を追求している企業としては、クアルコムが挙げられます。クアルコムを設立したアーウィン・ジェイコブズは、かつて女優だったラマールが発明した、魚雷を誘導する無線の制御信号を分割して異なる周波数に拡散して送信する方法を携帯電話に応用した符号分割多重接続技術(CDMA)の特許を取得します。クアルコムはこの技術の商業化に成功した後、ジェイコブズは重大なある問いを発します。

「利益を上げるのに、製品をつくる必要はあるのか。」

 こうしてクアルコム

イノベーションに専念して、製造は他社に任せる」

ことになるのです。

 この結果、クアルコムは特許からのライセンス料とCDMAチップ設計料が全体売上高30億ドルの90%を占めるようになり、売上高利益率は40%近くまで跳ね上がったとのこと。こうしたビジネスモデルにもかかわらず、クアルコムパテント・トロール呼ばわりされていません。
 本書ではCDMAの特許についての分析が掲載されていますが、クアルコムの特許は数が多いだけでなく、引用件数も多く重要度が高いことが分かります。

 クアルコムは製造をしていないことから、製造メーカーに対する交渉力は強くなります。クアルコムノキアサムスンらに対してライセンスを提供しても、逆にノキアサムスンから技術提供を受ける必要がないわけです。多くの企業は知財と製造両方に力を入れていますが、そうなると他社との間でクロスライセンスを結ばざるを得なくなり、攻撃を仕掛けることができなくなります。つまり、貴重な知財がそれに見合った適正な収益を生み出せなくなってしまうのです。

 携帯電話1台辺りの小売価格が200ドル前後だとすると、部品調達に150ドル前後かかるとされるようですが、さらにライセンス料が50ドル程度かかります。そうなると、例えばサムスンの利益は雀の涙ほどになり、研究開発に再投資るる分をほとんど確保できないことになります。他方、クアルコムは1台辺り10ドルずつライセンス料が入ってくるとすれば、製造設備への投資が不要であることから、そっくり研究開発投資に回せるというわけです。

 著者はこうしたクアルコムのように知財に特化した企業を「サメ型企業」と呼びます。これに対し、知財と製造両方を手がける企業を「ガラスの家」と呼びます。


 本書では社外とのネットワークを重視するP&Gの事例が取り上げられています。CEOのラフリーは自社内の研究開発に固執することなく、効率的にイノベーションを生み出すためには、自社の研究開発チームを社外とうまく協力させればよいという結論を出します。社外へのライセンス供与も積極的に行います。こうした結果、P&Gの研究開発効率は50%以上向上し、新製品のヒット率は倍以上にアップしたのだそうです。

「戦略のカギを握るのは、いまや製品でもプロセスでもなく、ネットワークだ。」

と著者は述べています。


 さて、本書では、知財保護の重要性を示すいくつかの事例が掲載れています。その一つがジレットのカミソリの刃です。ジレットを成り立たせているのは特許だというわけです。世界のシェーバーと替え刃の市場に占めるジレットのシェアは70%を上回るそうです。ジレットとシックは法廷で闘争を繰り広げますが、結局、P&Gがジレットを買収し、両社は和解することになります。
 ジレットは「フュージョン」の技術、すなわちブレードがシェーバーの面に沿って滑るように動き、肌に吸い付くような快適な剃り心地を実現する技術について、特許をしっかりと押さえます。こうした特許こそがジレットの強みになっているのです。

 本書の

「保護なきイノベーションは慈善事業である。」

という言葉は印象的です。
 ジレットの事例では、替え刃カートリッジをはめ込む方法が特許で押さえられているので、純正品以外のカートリッジに付け替えることはできません。ヒューレット・パッカードのインクカートリッジの例も同様です。


 本書で取り上げられているトヨタの系列の事例も興味深いものです。ここではコラボレーションのメリットが強調されています。
 トヨタサプライヤーのネットワークを強みに活かしています。アメリカの自動車会社はサプライヤーとの間で対立関係を続けてきたのに対し、トヨタは効率的で競争力のあるサプライヤー・ネットワークを形成してきました。
 トヨタサプライヤーの株を保有しており、財務上の利害関係を持つことによって、サプライヤーにとっての利益がトヨタ自身の利益にもつながるような関係を構築しています。トヨタはこうして「イノベーション・ケイレツ」ともいうべきサプライヤーのネットワークを構築したわけです。

「ネットワーク参加者が互いを信頼することによって、それぞれの持てるものを提供して成果を分け合うという信託が形成されていった。このような信託が根付いたのは、トヨタが戦略的にコラボレーションに取り組み、長い時間をかけて育ててきたからである。」

 その他のネットワークの方式としては、クロスライセンスやパテントプールがあります。パテントプールとしては、映像データ圧縮技術MPEGを扱うライセンス管理会社ですが、こうしたパテントプールは長らく非合法だと考えられてきました。しかし、大企業のクロスライセンス・ネットワークの仲良しクラブが蔓延るようになると、再びパテントプールの良さが見直されるようになったといいます。こうしてMPEGの技術を扱うMPEG LAのほか、ドルビーサウンド技術のプールを運営するビア・ライセンシングなどが設立されていきます。


 本書ではIBMがパソコン事業の失敗についても述べられています。IBMのチームは知財の観点から危険なほどフリーであり、頼れる知財はBIOSの著作権しかありませんでした。しかし、著作権を侵害せずにリバースエンジニアリングの方法で同様のソースコードを再現するクリーンルームという手法によって格安のクローンが生まれていくことになります。つまり、オープン・スタンダードにはメリットがある反面、リスクも大きいということです。そして、マイクロソフトのDOSに対して多額のライセンス料を支払うのを拒んで、マイクロソフトが他社にライセンスすることを認めてしまった結果、マイクロソフトは多数のパソコンメーカーからライセンス料を徴収することが可能となってしまったと指摘します。つまり、主要コンポーネントはがっちり守らなければならないということです。


 本書ではさらに、米国のかつての知財政策の失敗に言及されています。ゼロックスは光源を当てて感光体にインクを付着させて放電によりそれを紙に転写する仕組みを考えつき、それをしっかりと特許化します。その技術を製品化したのがゼロックスです。ところが、これに言いがかりをつけたのが連邦取引委員会(FTC)です。FTCは特許の追加取得により普通紙コピー機市場を不正に独占したとしてゼロックスを槍玉に挙げたのです。圧力をかけられたゼロックスはライバル企業に対し廉価でのライセンス供与を受け容れることになります。ライセンスを供与しなければ、やがてライバル企業が特許を侵害し、ゼロックスが訴えれば相手は反トラスト法で逆提訴して法廷闘争が延々と続くことになるのではないか、ゼロックスはそう考えてライセンスを供与することにしたわけです。しかも、ゼロックスはそうしたライセンス供与は市場シェアにそれほど影響がないだろうと楽観的に考えていました。
 しかし、いざライセンスが供与されると、ゼロックスのシェアは激減し、100%のシェアが4年後には14%を下回ることになります。しかも、新たに米国市場に参入してきたのは国内のライバルではなく、国外のライバル企業でした。
 戦後の米国では反トラスト政策により、100社以上に対して強制的なライセンス供与命令が出されたそうです。こうした政府主導の強制的な技術移転の結果、多くの技術が安売りされ、そのメリットを日本企業が最大限に被ったのだと著者は述べています。

「「日本経済の奇跡」は、アメリカから輸入された技術によるところが大きい。」

と著者は指摘します。日本企業がトランジスタラジオを開発できたのも、RCAのライセンスによるところが大きいとのこと。

 こうした政策の結果、米国は知財によるリターンが減少し、投資に対するインセンティブが減退し、イノベーションの危機が起こります。こうして1970年代後半には、知財の保護強化が叫ばれるようになってくるわけです。

 とりわけ米国の知財保護強化の象徴となっているのは国際貿易委員会(ITC)です。この機関は米国の知財を侵害する輸入品を国境で阻止する機関です。

 著者は知財開発のプロセスとして次の5段階を示しています。

第1段階 輸出主導で成長する
第2段階 付加価値を高める
第3段階 代償を払う
第4段階 知財開発に本腰を入れる
第5段階 知財で利益を生む

 最初はローテクで労働集約型の製品の輸出から始まり、やがて付加価値の高いコンポーネントを自ら作れるように技術を獲得し、次に先進国企業から知財の侵害を問われるようになり、その後自ら知財の開発に力を入れ、知財の買収を開始するようになる。最後に知財からの利益を享受できる段階に到達する。端的にまとめればこんなイメージです。
 日本は2003年にロイヤリティの受取額が支払額を上回るようになっていますし、韓国もそろそろ黒字転換に近づいています。


 最後に知財評価について。知財はまだ取引市場の整備が不十分な状況です。市場で価格形成があまり行われないため、持ち主自身も知財の価値を認識できず、クロスライセンスのような物々交換的な交換形態が取られることになります。
 しかし、やがて専門家が登場し、投機家も登場してくるようになることになります。知財についても、生産のための利用と所有権を切り離すことができれば、大きな価値が生まれるだろうと著者は述べています。その後取引コストが低下していけば、やがて市場取引の対象となることが想定されます。

 現在、知財への投資は財務諸表には乗ってきません。知財を活用しても製品コストには乗ってきません。クロスライセンスは知財を無駄にしているにもかかわらず、帳簿には現れてきません。こうした会計慣行から、研究開発やブランド構築などはコストセンターとみなされていることが本書では指摘されています。例えば、自社の知財は「ただ」で使えるのに対し、社外から知財を調達すれば知財は高くつくことになってしまいます。

 自社の知財をもっとしっかり評価できれば、社内のパワーバランスも変わってきます。手持ちの知財で製造するよりもライセンスする方が効率的だという判断もなされるかもしれません。

「現代の経済で認識されていない資産の筆頭格は、企業内部で死蔵された知財である。」


 以上、本書の内容を備忘的につらつら書いてきました。知財を戦略的に活用する企業がもっとも成功しているという実態が手に取るように理解できます。

 多くの日本の大企業にも知財部門がありますが、いかんせん経営と直結しているとは言えません。知財の専門家が知財村を形成している節があります。

 しかし、これからの企業経営は、やはり知財からの収益をいかに高めていくかを考えていく必要があるでしょう。製造業も自ら生産設備や労働者を抱えて生産するよりも、クアルコムのように知財や設計のみを担って、後は部品から組立まで社外に出してしまう方が効率的だというケースも既に多くあるような気がします。しかし、今の日本の大企業の内部では知財が適切に評価されておらず、本来であれば多額のライセンス収入につながる可能性のある知財もクロスライセンスのような形で埋もれてしまっているケースが多いものと思われます。

 大きな流れとしては、正に著者が論じたとおりだと思います。

 しかしながら、本書のいうように知財にシフトしていった場合、生産に携わる従業員たちの雇用をどう維持していくかという視点が重要になってきます。こうした人たちが更なるイノベーションに向けた研究開発に従事できれば良いのですが、そうした転換はなかなかスムーズには進んでいかないでしょう。そう考えると、ものづくり企業は、R&Dに特化する企業と実際の生産に特化する企業とに二分化していくということが考えられるのかもしれません。

 今日、多くの総合電器メーカーが苦況に立たされていますが、特許からの収益構造の見直しは一つの大きな切り札になり得るように思います。
 週刊東洋経済の4/27-5/4号の特集の中でも、電器産業の打開策として埋もれた特許の掘り起こしが挙げられています。この記事で取り上げられているのは「アルダージ」というパテントプールで、地デジ放送関連特許の管理業務を行う企業です。この企業は利用者である放送局に特許使用料を支払わせることに成功しますが、これは多くのエレクトロニクス企業から特許を集約して運用した結果だといえるでしょう。この記事によれば、クアルコムの売り上げの30%を特許収入が占めているのだそうです(12年10-12月期の全売上げ60億1800万ドルのうち18億1900万ドルが特許料収入)。

 これからの日本の製造業の帰趨を見据える上で、必読の書といえると思います。