レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
- 作者: 村田晃嗣
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/11/24
- メディア: 新書
- クリック: 7回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
レーガンはアイルランド系移民の曾祖父を持つ貧しい家の出身で、同じアイルランド系移民のケネディー家とは大きく異なります。酒癖の悪い父親を反面教師として育ち、母親に連れられて通った教会で楽観主義と社交性と向上心を身につけます。
ラジオのアナウンサーとして話術を身につけ、その後ハリウッドに転身してB級俳優として活躍し、「B級映画のエロール・フリン」と呼ばれるようになります。
その後軍隊に入隊した後、再び映画俳優に復帰しますが、所得に対する高い税率という個人的経験がレーガンを「小さな政府」の提唱者へと導いたという面を著者は指摘します。俳優として高収入に恵まれながらもなかなか作品には恵まれません。映画俳優組合の役員として活躍し、共産主義に対する激しい嫌悪感を抱きます。
私生活では離婚を経験し、ナンシーと再婚します。この2人を結びつけたのが「赤狩り」だったというのは興味深い話です。レーガン一家は必ずしも幸せではなく、極右の長女、父親を公然と非難する次女や息子たち。それでもレーガンは家族の絆を説き続けます。
レーガンは当初民主党員でしたが、やがて共和党員になります。そして、次第に政治への関与を深めていきます。カリフォルニア州知事に就任後、大幅な予算削減を断行しようとするものの議会の反発に会い、結局予算を大幅に増加させます。レーガンの政策はよく言えば柔軟、悪く言えば妥協的だったと著者は指摘します。レーガンの政策は保守とリベラルの奇妙な混合でした。
本書の大きなテーマは保守派の中での内部矛盾です。つまり、反共主義と小さな政府と社会秩序というテーマの相互矛盾を孕んでいたということです。反共主義から軍事力の増大を行えば大きな政府につながるし、社会的な秩序を重視しすぎれば共産主義のように個人や企業の自由を制約する方向に結びついてしまうわけです。レーガンはこれらを包含する体系的な思想を持っていたわけではなかったものの、自由や民主主義をファンタジーで包摂してしまったというわけで、それがレーガンがアメリカ保守の内包する内部矛盾を体現しているとする著者の主張に結びつきます。
ウォーターゲート事件でニクソンが失脚し、フォード大統領が誕生しますが、レーガンを支持する保守派からは不満が生じます。2人は予備選で争い、フォードが共和党候補として勝利しますが、結局民主党のカーターが大統領に就任します。しかし、イランの大使館人質事件や
スリーマイル島事故などが起こり、カーターの支持率は大きく下落します。
その後、共和党の予備選でレーガンはブッシュと争い、共和党の大統領候補となり、念願のホワイトハウスにたどり着きます。
レーガンは「小さな政府」と「強いアメリカ」という目標を標榜します。
「現在の危機において、政府なるものは問題の解決にはならない。政府こそが問題なのである。」
という就任演説がレーガンの施策を象徴しています。
著者は、レーガン政権の陣容について、保守派を満足させるには十分に保守的でなかったが、リベラル派を戦慄させるには十分に保守的であった、と述べています。執務室には戦間期もの小さな政府を象徴するクーリッジ元大統領の肖像画が飾られていたといいます。
レーガンの大統領としての器を象徴するのが、暗殺未遂事件です。病院で担架で運ばれている最中、看護師がレーガンの手を握っていると「ナンシーには内緒だよ」とつぶやき、ナンシーに対しては「ハニー、頭を下げてかわすのを忘れたよ」という世界チャンピオンのボクサーが敗れた際の言葉をつぶやき、銃弾を取り除く手術に赴く際は、医師たちに「あなた方がみな共和党員だといいんですがね」と言ったといいます。生死をさまよっているときにこんなジョークを飛ばせるレーガンの人間的魅力を感じないわけにはいきません。この事件について、著者が、レーガンは映画の中の出来事のように演出したという指摘はそのとおりです。
レーガンが米ソ関係について、米ソ関係の悪化がハルマゲドンをもたらすことを真剣におそれていたというのも興味深い話です。レーガンはゴルバチョフ書記長の誕生によって、冷戦終結に大きく貢献することになりますが、レーガンは米ソ関係が膠着すると、戦略防衛構想(SDI)を提唱しますが、ハルマゲドンを恐れてソ連と積極的に交渉しようとする一面があったわけです。
ゴルバチョフとジュネーヴで会談したレーガンは、
「うかうかしていると、好きになってしまう、危ないところだ」
と側近にもらしたそうです。
2回目の会談はレイキャビクで開催されます。レーガンの進める米ソ交渉は対ソ強硬論を唱える保守派からは批判されますが、ゴルバチョフが次第に米側の要求を受け容れていきます。そして、ついにSDIを軍縮交渉から切り離すことに合意し、INF全廃条約が調印されます。この条約が上院で批准されると、レーガンは初めての訪ソを実現します。そして、ほどなくして、ベルリンの壁が崩壊するわけです。
その後レーガンがアルツハイマーの闘病生活を送ることになるのは周知のとおりです。
このように、レーガンは、アメリカ保守の抱える矛盾を内包しながら、明るい未来を提示し続け、高い人気を誇ったわけです。「右派のローズヴェルト」「政治的タイムマシーン」など多くのキーワードが本書で登場しますが、一言でレーガンの魅力を表現すれば、、政治姿勢に共感できるか否かにかかわらず、嫌いになることができない明るいキャラクターという魅力を持っているという点につきるような気がします。そして、この点こそがアメリカの魅力でもあるわけです。
アメリカの政治姿勢については、どうしても共感できない部分は多々ありますが、それでもアメリカ自体をきらいになるかといえば、必ずしもそうではありません。そうしたアメリカに対する二律背反する複雑な感情を、レーガンの魅力をもってして説明することができるような気がします。
レーガン時代も、イラン・コントラ事件、スペースシャトルの爆発事故、グレナダ侵攻など、暗い事件は数多くありましたが、それを、ロス五輪や一流のジョークで見えにくくしてしまう点にレーガンの最大の魅力があったといえます。
現在のアメリカも、中東に対するダブルスタンダード、明確な大義なきイラク戦争など、多くの負の側面を抱えていますが、どこかアメリカ社会が持つ明るいイメージでかき消されてしまっています。
レーガンはアメリカのソフトパワーを最も体現した大統領だったと言うこともできるでしょう。
アメリカ社会を理解する上で必読の書です。