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隈研吾「個人主義優先の近代に幕」

 本日の日本経済新聞の経済教室に隈研吾氏が書かれていた論文が、かなり興味深いものでした。

 隈氏は1755年に起こったポルトガルリスボン地震の持つ重要性に着目します。この地震は歴史のハンドルを切るほど大きな災害をもたらしたらしく、人間の思考に大きな影響をもたらしたもののようです。この地震をきっかけに、人々は神が人類を見捨てたのではないかと思うほどショックを受け、その絶望から近代科学や啓蒙思想が始まったというわけです。

 中でもこの地震によってパラダイムシフトを迫られたのが建築と都市計画の分野です。災害から身を守るために、強くて合理的な建築と都市が必要とされ、その実現のためのバックグラウンドとして合理的な科学・思想・政治が必要とされたというのです。

 こういう中で求められたのが、既存の都市から隔離された単純な形の「白い箱」型建築でした。この「白い箱」型の住宅を手に入れるために人々は土地の私有制を洗練させ、住宅ローンを発明し、勤勉に働くようになった、それがリスボンの災害から始まり、その流れの行き着いた先の20世紀文明社会の姿だったわけです。

 ところが、この「白い箱」は21世紀に入るとハリケーン・カトリーナリーマン・ショックによって打撃を受けることになります。

「「白い箱」は物理的にも、経済的にも、少しもわれわれを守ってくれないということが様々な出来事を通じて明らかになった。リスボン地震が生んだ「夢」が、破綻を始めたのである。」

 そして起こったのが3・11の東日本大震災です。

「「白い箱」に住むわれわれは、地縁・血縁などのきずなをすでに喪失していて、「白い箱」同士をつなぐものはなく、箱が壊された後に再び支えあうすべはなかった。」

 こうして、建築という強い存在を頼りにして災害から身を守ろうというポストリスボンの思考回路は破綻したのです。

 では、これからは何がわれわれを守ってくれるのか?それは「きずな」です。

「きずなが鍵となることを、われわれは今回発見した。再びつなぐことしか、われわれを守ることができない。リスボン地震のあと、人々はあらゆるきずなを切って、きずなの代わりに「白い箱」で身体を守ろうとした。強い住宅(白い箱)で人間を守ろうとする考えは、家族を孤立させ、人々は箱の中で利己主義に傾斜していった。われわれは3・11の後、逆に、きずなによってしか、人間は守れないことを再発見している。」

 リスボン地震におけるパラダイムシフトによって近代合理主義が生まれ、それが21世紀に入ると綻びを見せ、3・11で壊滅的打撃を受けた、という隈氏の論旨は、大変斬新であり、かつ、説得力を持つものです。3・11の後、「きずな」の大切さがが盛んに喧伝されていますが、この隈氏のような説明を受けると、その文明的意義が鮮やかに浮かび上がってきます。

 久々に興味深い文明論に接しました。