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赤染晶子「乙女の密告」

文藝春秋 2010年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 09月号 [雑誌]

 第143回芥川賞受賞作品です。文藝春秋9月号に掲載されています。

 この作品は、ある外語大学の女子学生たちが「アンネの日記」のスピーチ・コンテストに向け、ある外国人男性教員の下でレッスンに励むストーリーで、その過程の女子間の人間関係のフリクションを「アンネの日記」に重ねながら描いている作品です。

 主人公みか子は、スピーチの練習に熱心に励んでいる麗子に密かな憧れを抱いている。しかし、麗子は、他の女子学生から、外国人男性教員バッハマン教授との不適切な関係を疑われ、やがて孤立する。それは、バッハマン教授の部屋から女性に話しかける声が聞こえるという噂が根拠となっていた。

 みか子はある日、バッハマン教授の部屋から声が聞こえたためとっさにバッハマン教授の部屋に入ったが、バッハマン教授はアンゲリカ人形に話しかけていたのだった。麗子とバッハマン教授の関係にまつわる噂は噂に過ぎなかった。しかし、今度はみか子がバッハマン教授の部屋にいるところが他の女子学生によって見られてしまい、バッハマン教授との関係を疑われる身となってしまう。誰かに「密告」されたのだ。

 いよいよコンテストの日、みか子はスピーチで、

「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します。」「アンネ・フランクユダヤ人です。」


 筆者なりの強いこだわりがあってこの「アンネの日記」という題材を選んで執筆に取り組まれたのでしょうが、作品には共感できないところが多々あり、かなり違和感を感じました。

 まずバッハマン教授のキャラクター。いつもアンゲリカ人形に語りかけ、人形がなくなるとふさぎこんで寝込んでしまう。キャラクターとしてあまり共感できません。

 一番の違和感は、やはりアンネ・フランクと女子学生間の些末な嫉妬話を対照させているところでしょう。アンネ・フランクたちは最後何者かに密告されるわけですが、これを女子学生間の嫉妬に基づく密告に重ねているところに本書の骨格があるわけですが、あまりに次元が違い過ぎます。

 最後にみか子が不規則なスピーチをしなければならなかった趣旨も理解できません。そこまでせっぱ詰まった感覚が読者に全く伝わってこないのです。

 石原慎太郎氏が選評の中で、

「今日の日本においてアンネなる少女の悲しい生涯がどれほどの絶対性を持つのかは知らぬが、所詮ただ技巧的人工的な作品でしかない。こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか。アクチュアルなものはどこにも無い。」

と書いているのも思わず納得してしまいます。

 高樹のぶ子氏も、

「生死のかかったアンネの世界に比べて、女の園の出来事が趣味的遊戯的で、違和感をぬぐえなかった。」

という選評が私の感想に最も近いものです。

 これが石原慎太郎氏のいう「現代文学の衰弱」の表れでないことを祈るばかりです。