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堀江敏幸「雪沼とその周辺」

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

 「雪沼」という地方の小さな町での人々の素朴な生き様を訥々と描く短編集です。

 短編集なので、もちろん個々の作品は独立して完結する物語なのですが、いずれの作品も「雪沼」を舞台を通じてうっすらとつながっている、そして、物語全体を通じて、「雪沼」の人々の精神文化が浮き上がってくる、というところに本書の特徴があります。

 妻に先立たれたボウリング場のオーナーの廃業の日を描く「スタンス・ドット」。
 都会から雪沼に移り住んで料理教室を開いていた一人の女性について描いた「イラクサの庭」。
 河岸段丘に小さな工場を営む一人の男と、不器用だが熟練の機械修理工の話である「河岸段丘」。
 「送り火」はかつて息子を大雨で亡くした年の離れた夫婦の話。妻は、行く先々でランプを買い集めている。
 雪沼に移り住んで商店街の小さなレコード屋を継いだ男の話である「レンガを積む」。
 小さな定食屋と行きつけの客の信用金庫職員の話である「ピラニア」。定食屋はピラニアを飼っている。
 最後は、雪沼に戻って旧友の誘いで消化器販売業に就いた男の話である「緩斜面」。二人は昔、緩斜面を使って凧を飛ばして遊んでいた。

 いずれの話も、現代のマス化する社会とは一線を画して生きている人達の話です。彼らはおそらくは都会の生活にはなじめないが、何か執拗なこだわりをもった人々です。そんな人々を雪沼は優しく抱擁するかのように受け入れ、彼らは雪沼の町で、質素ではあるものの、幸せに包まれた生活を送り、過去の思い出に浸りながら生きているのです。

 この本を読むと、高度資本主義社会における幸せの在り方をもう一度考え直させられます。資本主義社会は欲望によって動かされる社会であるのに対し、雪沼での人々の生き方は欲望が押さえられた世界です。そこには、かつてカール・ポランニーが市場化する以前の社会に見出した「互酬」の原理が生きているかのようです。

 こんな社会の在り方も、この近代文明の中で肯定されてもよいのではないか、そんな気がしてしまいます。

 非常に内面的な純文学的作品ですが、文学という手段による表現が、他の手段による説明よりもはるかに説得力を持つ場合もあるということを証明するかのような素晴らしい作品です。