今、政治的に大きな問題となっている自衛隊空自幹部の田母神俊雄氏の論文を読んでみました。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
率直に言って、仮に思想面の妥当性を度外視して考えたとしても、政府の幹部が堂々と発表するにはやや稚拙な論稿であり、この論文に賞を与えてしまう主催者の見識も問われるような気がします。
論文の主な主張を取りまとめてみると、以下のとおりです。
①我が国は、コミンテルンが入り込んでいた蒋介石率いる国民党の度重なる挑発に我慢しきれなくなって日中戦争に引きずり込まれた被害者である。
②我が国は唯一植民地の内地化を図ろうとした国であり、我が国の努力によって現地の人々は圧政から解放され、生活水準も向上した。しかも、我が国は現地人の教育に力を入れていた点で他の列強とは異なっている。
③アメリカ政府に送り込まれたコミンテルンのスパイによって、我が国は太平洋戦争に引きずり込まれていった。あのとき戦わなければ、現在の私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大。人類の歴史の中で、支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
私は、田母神俊雄氏の挙げた数々の例証が史実として合っているのかそうでないのかを問うつもりはありませんが、注目したいのは、なぜこの時期にこのような内容の論文を、しかもよりによって我が国の実力組織のトップに立つ人間が発表しなければならなかったのかが、不思議でなりません。
中国や韓国の歴史問題の執拗な取り上げ方に対して、多くの日本人がしびれを切らしていることは事実です。そして、歴史問題というのは、日本が両国に対してひたすら謝罪を続ければ解決されるような簡単な問題ではないと思います。
結局、将来に向けた日中関係や日韓関係を築いていくためには、歴史問題に関しては、双方ともに少し「棚上げ」することが必要なのではないかと私は考えています。
近年、我が国のアニメや漫画が中国の若者を熱狂的に捕らえていたり、韓国のドラマや映画が日本において広く受け入れられたりして、東アジア地域を柔らかく包み込むような文化的な基盤が構築されつつあるように見受けられます。こういう時期にあっては、歴史問題の提起は双方ともに極力避けるべきです。
ところが、こういう時期にあって、この田母神俊雄氏は、堂々と歴史問題について提起してしまったわけです。
そうなれば、中国も韓国もこの問題を取り上げざるを得なくなってしまうわけです。
以前、ズーザン L.シャークというアメリカの元高官の方が描かれた「中国 危うい超大国」という本を取り上げましたが、この本では、現在の共産党政権は国内の反発を異常におそれてビクビクしている政権であることが描かれています。つまり、かつて江沢民という自信のない指導者が民衆を抗日のナショナリズムで煽ってしまった影響が、胡錦涛政権にも依然として大きな影響を与えてしまっているわけです。
どうやら、中国指導部は、本音では歴史問題については忘れてしまいたいと考えているようなのです。
「外交部も党指導層も、日本に関する世論を変えて、歴史問題については忘れてしまいたいというのが本音だ。だが、それにはもう、遅すぎるのだ。」「まだ党が国内の情報の流れを完全に掌握していた十年前なら、できたかもしれないが、今ではもう無理だ」(p297)
つまり、中国民衆の抗日熱は中国政府の手に負えないほどに高まってしまっており、中国指導部としては、日本側が歴史問題を提起するような行動を起こしたときにこれを看過すれば、民衆の抵抗の矛先が自らに向かうのではないかとの危惧を強く抱いている状況なのです。
こういう時期こそ、両国政府は、歴史問題を「棚上げ」するよう慎重に対応すべきであるのに、田母神俊雄氏は、公然とこの問題を提起してしまったのです。田母神氏には、こういう内容の論文をかけば、中国指導部がこれを取り上げたくなくても取り上げざるを得ない状況に陥ってしまうのだという視点がまったく欠けていたのです。思慮の浅さ以外の何ものでもありません。
ただ、最近の趨勢を見てみると、政治の場面において歴史問題が過熱したとしても、文化レベルでは大きなダメージを受けていないというのが大きな救いです。映画や漫画、文学といった文化レベルの交流は、政治レベルの動きにかかわらず、相変わらず活発になされています。だから、私は、文化レベルの交流が大変重要だと思うわけです。
文化レベルの交流が続いている限り、日中関係が致命的に悪化することは今後ともないのではないかと私は思っています。