映画、書評、ジャズなど

村上春樹「東京奇譚集」

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 この本は、村上春樹氏による現代の都市伝説といった内容です。ありふれた日常の中にふと忍び込む非日常的な世界。村上作品全体について言えることですが、日常と非日常の絶妙なバランスが村上作品全体にあてはまる最大の魅力のように思います。

 1番目の「偶然の旅人」は、ある同性愛者のピアノ調律師がアウトレットのカフェである女性と偶然知り合い、その女性から乳ガンの疑いであることを告白されたその日に、10年以上も疎遠だった姉に偶然電話をかけて再会したところ、姉が次の日から乳ガンの手術で入院するところだったという話。

 2番目の「ハナレイ・ベイ」は、サーファーの息子がハワイで鮫に片足を食いちぎられて亡くなってしまった女性の話で、女性はハワイを訪れた際、日本人の頭の弱そうな2人組のサーファーに出会い、彼らから、片足の日本人サーファーを目撃したという話を聞いたという話。

 3番目の「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は、夫が同じマンションに住む母親の家から帰る途中で行方をくらましてしまうという事件の相談をその妻から受けたボランティア探偵の話で、結局夫は、20日分の記憶をなくした状態で仙台で見つかったという話。

 4番目の「日々移動する腎臓のかたちをした石」は、ある作家が年上の女性と知り合って親密になるが、腎臓の形をした石が日々移動するという内容の小説を書いている最中に女性と音信不通になってしまうが、その後彼女は高い建物の間にロープを張ってその上を歩いているパフォーマーをやっていることが分かったという話。作家は父親から少年時代に「男が一緒に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。」という話を聞かされており、この女性をその1人に加えるべきかどうか悩み続けていたものの、最後にはその1人に加える決心をする。

 5番目の「品川猿」は、自分の名前を忘れる症状を持つ女性が品川区のカウンセラーに相談したところ、その理由が、彼女の高校生時代に自殺した友人の名札を彼女が預かっており、それを猿が盗んだためだと判明するという話。その猿は品川区の土木課長であるカウンセラーの夫によって捕らえられたが、猿はその名前を忘れてしまうという女に対し、彼女が家族から愛されていなかったと告げる。


 どの話も非現実的な要素を多分に含んでいることは間違いありません。しかし、そうした非現実的な事件は、もしかすると我々の身にも起こるのではないかと錯覚してしまいそうなくらい、物語の中でごく自然に日常の中に入り込んできているのです。この絶妙さが村上作品の最大の魅力といえるわけですが、この短編集でもその魅力はあますところなく発揮されています。

 特に私が好きなのは、「日々移動する腎臓のかたちをした石」です。たまたまパーティーで知り合った女性が綱渡り師であったというあまりの意外性もさることながら、一生の中で意味を持つ女性は3人しかいないのだという主人公の父親の言葉は、何とも言いがたい説得力を持ったりしています。

 村上春樹氏の才能の片鱗とずば抜けたセンスの良さを十分に堪能できる作品集です。