セブン・イヤーズ・イン・チベット〈ニューマスター版〉 [DVD]
- 出版社/メーカー: 角川ヘラルド・ピクチャーズ
- 発売日: 2005/11/25
- メディア: DVD
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セブン・イヤーズ・イン・チベット―チベットの7年 (角川文庫ソフィア)
- 作者: ハインリヒハラー,Heinrich Harrer,福田宏年
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1997/11/25
- メディア: 文庫
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ハラーは何度も脱走を試みたが、捕まって連れ戻されてしまう。置いてきた妻は無事出産したものの、離婚届にサインするよう求める便りがハラーの下に届く。しかし、ようやく登山隊一行は、集団で脱走に成功する。ハラーとペーターの2人は逃走生活を共にすることになる。そして、たどり着いたのが、チベットの首都ラサだった。
ラサで2人は歓待され、仕立屋の若い娘にスーツを仕立ててもらったりする。そんなある日、ダライ・ラマの母親から、ダライ・ラマに会うように連絡があった。王宮で2人が出会ったのは、幼少時代のダライ・ラマ(ジャムヤン・シャムツォ・ワンジュク)であった。
ハラーはダライ・ラマから映画館の建設を依頼されるとともに、その家庭教師として、好奇心旺盛なダライ・ラマに様々な知識を授けた。
しかし、時代はチベットにとって厳しい方向に向かっていた。中国の共産党がチベットを含めた共和国を建設するため、チベットに様々な圧力をかけていたのだった。チベットの人々は国境で中国の侵入に徹底抗戦しようとしたが、臣下の裏切りによって、中国軍の進入を許すことになる。
中国からやってきた全権大使はダライ・ラマに敬意を払わず、宗教は害だとして、チベットの文化を踏みにじる。ハラーはダライ・ラマに対して国外へ脱出するよう促したが、ダライ・ラマはチベットに留まる決意だった。
やがて戦争が終わり、ハラーは故郷のオーストリアに戻り、顔を合わせたことのない自分の子供の下を訪れる。最初は実の父親と会うことを拒絶していた息子だったが、帰国する際に幼少のダライ・ラマからプレゼントされたドビュッシーの「月光」の曲が流れるオルゴールが、父子の絆を築くきっかけとなったのだった・・・。
映画としては、少し前段部分が長く、むしろダライ・ラマとの交流をもっとたくさん描いたらよかったのではないかという気もしますが、チベットが中国に強引な形で併合されていったポイントはしっかりと押さえられています。
原作の著者ハインリヒ・ハラー氏は2006年1月に亡くなられており、ダライ・ラマが哀悼の言葉を捧げています。
ダライ・ラマ法王 チベットに献身した友、ハラー氏への哀悼のことばを捧ぐ | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
さて、今回のチベットの情勢ですが、北京オリンピックの直前という中国にとっては極めて最悪のタイミングで、世界にチベット問題をアピールすることになってしまいました。中国は、オリンピックの聖火リレーのコースにチベットを組み入れていることもあり、何が何でもこの問題を早期に終結したいと考えていることでしょう。
現に、主要国からは、チベット問題に対する懸念の声が上がっており、中国政府に自制を促すなど、国際社会において既に政治問題化しています。
リチャード・ギアなどの大物俳優たちも、チベットを支援するためにオリンピックのボイコットを呼びかけるなど、すぐさま反応しています。
1つ興味深いことは、ビョークというアイスランドの女性シンガーが今年の2月に上海行われた公演で、「ディクレア・インディペンデンス」(独立を宣言しよう)という曲の終盤に「チベット、チベット」とささやくパフォーマンスを行ったことです。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200803040019.html
このときの観客の反応は、足早に会場を後にするなど、冷めた反応だったようですが、その後、ネットでこの話題が盛り上がり、中国政府もビョークを非難する声明を発表しています。
騒動後のビョークの発言を見ると、このビョークの発言は今回の一連の騒動と直接は関係なさそうですが、偶然にしても興味深い一致です。
中国政府は今回の一連の騒動がダライ・ラマによる策動だとして、抗議行動の弾圧の正当化を図っています。
これに対し、ダライ・ラマは今回の中国政府の対応を
「文化の大虐殺(a form of cultural genocide)」
と呼びました。
ダライ・ラマ法王の声明(2008年3月18日) | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
英語版PRESS RELEASE
この言葉が国際世論に与えるインパクトはもの凄いものを感じます。
中国というのは、一昔前の「帝国主義」をいまだに体現しているほとんど唯一ともいうべき国家であるように思いますが、北京オリンピックの直前という最も起きてはならないはずであった周辺部における反動がいとも簡単に起こり、それが国際社会に対してあっという間に広まってしまうわけですから、中国という国家の在り方もそろそろ限界に来ているのではないかと感じてしまいます。