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木田元「反哲学入門」

反哲学入門

反哲学入門

 ハイデガー関連を始めとする数々の著作で知られる著者が、ニーチェ以前の<哲学>に対してニーチェ以降の思想を<反哲学>と位置付け、<反哲学>がいかにそれ以前の<哲学>を乗り越えていこうとしたのかについて概観している本です。木田氏が最も信頼するハイデガーの思想がベースになっています。編集者が木田氏に対して行ったインタビューを基にしているので、比較的理解し易いものとなっています。

 木田氏はまず、日本人の思考が<反哲学>と親和的であることを強調されています。これは「自然」との関係をどう捉えるかにかかってくるわけですが、要するに、自分が「自然」を超えた「超自然的な存在」だと思うのが<哲学>であるのに対し、自分が「自然」に包まれて生きているとして、その中で考えるような思考が<反哲学>だということです。そして、日本人の思考の中には、<哲学>の基本となるような「超自然的原理」を見出すことができないというわけです。

 木田氏は、そもそも日本語の「哲学」という言葉自体、誤訳から生まれたものだとします。「哲学」の語源であるphilosophyは、「知を愛する」(=愛知)という意味なのだそうですが、当初、この言葉を最初に訳した西周は「希哲学」と訳していたのだそうです。しかし、西周はなぜかその後に「希」の字を削ってしまい、「哲学」と訳したのだそうです。「希」には愛するという意味があるので、「希哲学」であればphilosophyの意味が残っているのですが、「希」を削ってしまうと愛するという意味合いが削がれてしまいますので、肝心な部分が抜け落ちてしまうことになります。これはなかなか興味深い指摘です。

 さて、本書の柱となるのは、古代ギリシアからハイデガーに至るまでの思想の流れの通観です。まず、木田氏は、ソクラテスについて、

「地中海のなかのせまい地域で、自然にうまく包みこまれて生きていた人たちの古い世界観を完全に断ち切る役目をした人」(p66)

と位置付けます。そして、ソクラテスのお膳立ての上に、プラトンが現れてくるわけです。

 プラトンは、自然的思考に反逆して、「制作」を「自然」に従属させるのではなく、「制作」に独自の権利を認めようとします。そうすると、「自然」は「制作」のための単なる「材料・質料」としかみなされなくなります。

「「自然」はもはや生きておのずから生成するものではなく、「制作」のための死せる質料、つまり無機的な物質(質料でしかない物)になってしまうのです。」(p77)

 その後、アリストテレスは、プラトンの原理を自然的事物にもうまく適用できるように組み替えます。

「…アリストテレスは、自然的存在者と制作物とを統一的にとらえ、これらすべての存在者は可能態から現実態へ向かう運動のうちにあると考えます。」(p87)

 こうして、アリストテレスは、プラトンの超自然的思考様式を批判し、ギリシア伝来の自然的思考に立ち返ろうとしたわけですが、木田氏は、結局アリストテレスは、プラトンの超自然的思考様式を修正しながら、それを承け継いだという捉え方をされています。

 その後、アウグスティヌスプラトン哲学を下敷きにしてキリスト教の教義体系を組織します。プラトンイデアの世界と現実の世界という二世界説を「神の国」と「地の国」という形で承け継ぎ、イデアに代えてキリスト教的な人格神を位置付けたというわけです。

 ちなみに、ニーチェは「キリスト教は民衆のためのプラトン主義にほかならない」(p97)と述べているそうです。

 やがてキリスト教は世俗政治に介入していくようになりますが、そうなると「神の国」と「地の国」を厳然として区別するプラトンアウグスティヌス主義的教義体系では都合が悪くなります。そこで、13世紀のアリストテレス−トマス主義が現れてくることになります。

 スコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナスは、アリストテレスの教義に基づき、「神の国」と「地の国」の関係をより連続的なものとして捉え、教会が世俗の政治に介入することを擁護します。しかし、その後、教会や聖職者たちの腐敗が進むと、再びプラトンアウグスティヌス主義の復興の動きが現れてくるわけです。

 さて、こうしたキリスト教義体系の延長線上に現れてくるのがデカルトです。デカルトは、数学的自然科学についての存在論的基礎づけをし、これを自然研究の普遍的方法にすることを自らの仕事とします。

「…結局デカルトは、私たち人間にあって実体をなしているのはあくまで「精神」であり、「身体」の方はたまたまくっついているだけだ、「精神」は「身体」と実在的に区別されうるし、「身体」がなくても「精神」はそれだけで存在しうる、と言いたいのです。なぜなら、この「精神」つまり「理性」は神の創造した実体であり、私たち人間のうちにあっても、いわば神の理性の出張所のようなものだからです。」(p123)

 つまり、

「人間の理性に生得的な観念と、世界を貫く理性法則とは、神を媒介にして対応し合っている。」(p125)

というわけです。

 このようなデカルトの理性主義は、神的理性の後見によって支えられたものでしたが、その後18世紀に入ると、神的理性を脱した啓蒙的、批判的理性が登場してきます。つまり、

「…神的理性の後見を排して、自立した人間理性が、これまで自分を支えてくれると思っていた宗教や、さらには形而上学をさえ迷蒙と断じて、その蒙(くらがり・無知)を啓き、それを批判する理性になるということです。」(p137)

 カントは、神的理性の媒介なしにも、われわれ人間の確実な理性的認識と世界の存在構造とが一致しうるということを論証します。当時、イギリスの経験主義者たちは、人間には神のように絶対的真理を手に入れることはできず、経験的認識の蓋然的・相対的真理でがまんするしかないという立場をとっていたのに対し、カントはこの経験主義に深く共感するものの、イギリスの経験主義が数学や理論物理学の認識の普遍性や客観的妥当性までも否定することには疑問を持ちます。そして、理性的認識にもそれが有効に機能する場面と、それが有効に機能できなくなる場面とがあり、それを区別する必要があると考えます。

 カントは、物自体に由来する材料を我々はある形式を通して受け容れ、受け容れた材料を一定の形式に従って互いに結びつけて整理する、そうしたことによって人間の間尺に合った「現象界」が現れてくるのだ、と考えます。木田氏は次のように説明されています。

「カントの考えでは人間の認識能力には、受け容れ(直観)の能力と規定と結合(思考)の能力とがあり、その二つが協力し合って、与えられた材料を現象界に形成するのです。してみれば、現象界にどんな材料(感覚)が現われてくるかのはは一々経験してみなければ知ることはできませんが、どんな材料であれ、それが一定の直観の形式のもとに現われ、一定の枠組に従って規定され結合されているということについては、一々経験してみなくても、つまり先天的に、理性的に知ることができることになります。現象界の内容に関しては、経験的に認識するしかないけれども、その形式的構造に関しては先天的認識、理性的認識が可能だということです。」(p147)

 そして、カントは、幾何学・数論・理論物理学については、理性的(先天的)認識の体系であるとして、我々の認識する現象界に当てはまるものであり、普遍性と客観的妥当性を備えた確実な認識の体系として考えますが、それ以外については、地道に経験を積み、なるべく蓋然性の高い認識を手に入れるしかないと考えたわけです。

 こうした考えによれば、神を理論的認識の対象として論じることは無意味だということになります。だから、カントは「神様の首を切りおとした」と評されたわけです。

 このようにカントは、神的理性の後見を退けたものの、「物自体」と「現象界」という二元論をとったわけですが、その一元化を図ろうとしたのがヘーゲルです。

 カントは人間理性の有限性を強く主張し、人間理性の支配が及ぶのはあくまで現象界に限られ、物自体の世界にまでは及ばないものとして捉えました。これに対し、ヘーゲルは、人間の精神は労働を通じて弁証法的に生成してゆくものとして捉えます。そして、精神がその労働によって世界の諸力諸領域を次々に自分の分身に変え、もはや精神に立ち向かってくるような異質な力がなに一つなくなったとき、精神は絶対の自由を獲得し、いわば「絶対精神」として顕現することになり、それは精神にとって苦難の前史の終わりを意味すると捉えます。しかも、ヘーゲルは自分の哲学こそ、人類の精神がその苦難の歴史を振り返って、ついに絶対精神になる場なのだという途方もないことを考えていたのだそうです。

 木田氏は次のように述べています。

「こうして、人間理性は、カント哲学によって、自然の科学的認識と技術的支配の可能性を約束されましたが、今度はヘーゲル哲学によって、社会の合理的形成の可能性を保証され、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れたことになります。しかも、もはやカントにおいてのように、現象界という限られた領域に関してだけではなく、みずから弁証法的に生成してゆくことによって世界の全体に対してそうした位置に立つことができるようになったのです。」(p160−161)

 実はここからがようやく本書の本題に入ることになります。

 ヘーゲルはこうして近代哲学を完成させたわけですが、「根源的自然」の概念を拠り所にして壮大な批判を展開したのがニーチェです。木田氏は、ニーチェ以前と以後を同じ哲学史に一線に並べることに強い異議を唱えます。ニーチェに言わせれば、それ以前の哲学は「プラトニズム」と呼ぶべきものなのです。

 ニーチェはもともとギリシア悲劇の成立史を研究テーマとしていました。そして、「デュオニソス的なもの」と「アポロン的なもの」という二つの原理を立てて、それが見事に結びついたときに「悲劇」という芸術様式が成立したのだと解き明かしました。ニーチェは、古代ギリシアの明るいアポロン的な精神の根底には、実は暗く厭世的なデュオニソス的な精神が潜んでいるのだと主張したのです。ギリシア人は厭世観に堪えるためにアポロン的なものを創造し、両者が見事に均衡したところにギリシア文化が最高の完成に達したというわけです。

 木田氏によれば、ニーチェは、「アポロン的なもの」、つまり理性をも自分自身の一つの契機として含み込んだ「デュオニソス的なもの」という新しい「生」の概念を「力への意志」と呼び、この概念を用いて、西洋文化の形成を導いてきたプラトン以来の西洋哲学の伝統、つまりプラトニズムを根底から批判しようとしたのだと述べています。

 ニーチェは、19世紀後半のヨーロッパの不毛な精神的状況に対して「ニヒリズム」という診断を下します。つまり、すべてのものが無意味無価値に見える虚無主義的な心理状態です。「神は死せり」という有名な言葉はこうした事態を言い表したものです。木田氏は次のようにまとめておられます。

「つまり、プラトンの言うイデアの世界のようにこれまで最高の諸価値とみなされていたものは、超感性的、超自然的なものとしてどこかに実在しているようなものではなく、実は人間の支配機構、つまり生を確保し高揚させてゆくのにどれだけ役立つかを見きわめる目安として人間の手で設定されたものでしかないのに、それが誤って事物のうちに投影され、超感性的存在と思いこまされたのです。言ってみれば、そんなものはもともと存在していないのに、そうしたありもしない超感性的価値をあると信じ、それによって逆に感性的な生を抑圧しながら、ありもしないそうした価値を目指して営々と文化形成の努力をつづけてきたのですが、いくら努力してもそうしたありもしない目標に到達できない徒労に気づいたとき、空しい虚無的な「心理的状態」に陥った、ということのようです。」(p182)

 ニーチェは世界が存続するためには、従来の価値体系に代わる全く新たな価値体系が必要だと主張します。それは「自然」に求めるしかありません。ニーチェは、新たな価値定立の原理を、この生きた自然とも言うべき感性的世界の根本性格、つまり「生」にもとめるしかないと考え、それを「力への意志」と呼びました。ここで、ニーチェの思想がソクラテス以前の思想とつながりを持ってくるわけです。

 ところで、なぜニーチェはこうした大胆な価値の転倒を企てたのでしょうか。この点について木田氏は、興味深い推論をされています。インセスト(近親相姦)という係数を入れるとニーチェの発想の謎がうまく解けるというのです。ニーチェは妹との間にそうした関係があったとまでは言わないまでも異常なほど親密な感情で結ばれており、インセスト・タブーに対する反発が心理的動機として働いたのではないか、というのが木田氏の推論です。

 さて、ニーチェは、「力への意志」にとってはより強くより大きく生成し高揚することが大事であり、その高揚のための価値定立こそ「芸術」であり、それによって定立される価値が「美」だと捉えます。そして、精神に対する肉体の優位を主張します。なぜなら、芸術は肉体の所業だからです。

 しかし、こうしたニーチェの思想の限界を指摘したのがハイデガーです。

 木田氏によれば、ハイデガーの主著『存在と時間』は未完成の書であり、肝心の本論を含む下巻が出されないままになってしまったとのことです。木田氏は、この『存在と時間』と「ナトルプ報告」という報告書を合わせて読むことにより、ハイデガーは、アリストテレス以来西洋の伝統的存在論においては<ある>ということを<作られてある>と見る存在概念が一貫して承け継がれていることを明らかにする予定だったのであり、ニーチェが注目していた古代早期の「ソクラテス以前の思想家たち」の存在概念と対比することによって、プラトンアリストテレス以降の西洋哲学の存在概念を相対化し、そうした存在概念に足場を置いた西洋の文化形成を批判的に乗り越えようと企てていたのだと述べています。そして木田氏は、ハイデガーは、ナチスの文化革命にその夢を懸けたに違いないと推測されています。

 ハイデガーの影響を強く受けたメルロ・ポンティは、こうした思想を「反哲学」と明確に位置付けます。同じくハイデガーの影響を強く受けたジャック・デリダも伝統的な哲学の「脱構築」を提唱しますが、木田氏はこれも一種の「反哲学」だと位置付けます。



 このように、本書では、古代ギリシアソクラテス以前の思想からハイデガーまでの思想を概観することによって、西洋においてどのように<哲学>が定着し、そしてニーチェハイデガーがいかに<哲学>を乗り越えようとしたかが、分かりやすく書かれています。長らく数々の思想家たちの著作と真剣に向き合ってきた著者ならではの奥深い議論が展開されており、西洋<哲学>の流れを改めておさらいすることができました。

 本書を読むと、日本の哲学者たちがいかに西洋の思想をきちんと理解せずに受け容れてきたかということをまざまざと見せつけられるような気がします。超自然的存在を前提とする西洋の<哲学>は、自然の中で思索する日本人の思想とはただでさえ相容れないものであるのに、それを「哲学」あるいは「形而上学」という分かりにくい言葉で表現されるのですから、日本人が「哲学」を十分に理解できるわけがありません。しかも、「哲学」あるいは「形而上学」という言葉は、いまだに多くの研究者たちはピンとこないままに使い続けているような気さえしてしまいます。もともとの意味を再認識すれば、これをもっと日本人にも分かりやすい言葉に置き換えることを誰かが試みてもよさそうなものです。

 最後に、木田氏が丸山真男の思想とハイデガーの思想の共通性に触れている部分を紹介しておきたいと思います。

 木田氏は、丸山真男は『日本政治思想史研究』の中で、近代日本の思想のなかに<なる>論理から<つくる>論理への展開を見て、その発展のなかから近代が生まれてきたと考えていると述べられています。さらに、『忠誠と反逆』に収められた論考においては、すべての神話が「つくる」「うむ」「なる」という3つの基本動詞で整序できると主張し、日本はどうも「なる」という発想に支配されがちな国ではないかという説を提起されているのだそうです。そして、丸山は「つくる」論理によって「なる」論地を克服するのが近代化と捉えていたわけですが、これはハイデガーの思想と共通する面を持つことは明らかです。

 丸山真男ハイデガーというほとんど無関係の2人が西欧と日本の文化の根底を問題にしようとした時に、まったく別の角度から似たような考えにゆきついたということはとても興味深いと木田氏は述べられていますが、なかなか面白い話です。

 西洋の思想を長年研究されてきた方が、こうして「反哲学」を通じて日本の思想との共通性という結論に到達するという展開自体、我々日本人にとっては心強いことでもありますし、日本の思想を再確認する意味でも本書は大変貴重な本だと思います。