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「ラスト、コーション」★★★★★


 『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー賞を受賞したアン・リー監督の作品です。何と言っても新人女優のタン・ウェイの体をはった演技が光っており、早くも今年最高ともいうべき映画に出会った感じです。

 日本占領下の中国、4人のマダムたちが麻雀に興じている。その1人がワン・チアチー(タン・ウェイ)だ。ワンは上海から出てきた大学生なのだが、日本の傀儡政権の高官であったイー(トニー・レオン)に近づくために、マイ夫人という貿易業者の妻に扮していた。

 ワンは上海から香港に出てきて大学に通っていたのだが、そこで演劇部に入り、クァン・ユイミン(ワン・リーホン)に出会う。クァンは抗日の強い意志を持っており、演劇部でも抗日劇を演じていた。ある日クァンは、同郷の兄の友人で日本の傀儡政権の高官であるイーの下で働くツァオと出会う。そこでクァンは、ツァオを利用して、イーを暗殺することを思いつく。この計画には、クァンとワンを含む演劇部の仲間6人が参加する。そして、ワンはイーの気を引くために、マイ夫人になりきってイー夫人に近づき、共に麻雀の卓を囲むようになったのだった。

 イーはワンに好意を寄せたが、ワンと愛人関係になる前に、イーは傀儡政権内で昇進したために上海に移住することになった。そして、ツァオは彼ら6人の陰謀を悟り、彼らのアジトに詰め寄ってきたため、彼らはツァオを滅多刺しにして殺害した。こうして、彼らのイー殺害計画は失敗に終わった。

 その3年後、ワンはクァンらと離ればなれになっていたが、クァンがワンの居場所を訪ねてきて、再びイーの殺害計画を持ちかける。こうして6人は再びイーの暗殺を実行に移すことにしたのだった。ワンは偶然を装ってイー夫人と再会し、イー夫妻の家に部屋を借りることになった。イーは予想通りワンに近づいてきて、ワンを強引に押し倒して犯す。そして、2人は愛人関係となり、激しく官能的な行為を繰り返すようになる。

 ある日、イーはワンに名刺の入った封筒をある場所に届けるように伝える。その封筒を持ってワンは指定された場所へと赴くが、そこで見せられたのは宝石の数々だった。ワンは宝石商から好きな宝石を選ぶように言われる。イーはワンが気に入る宝石で指輪を作るために、あらかじめ手配しておいたのだった。

 クァンらは、その指輪ができあがってイーとワンがそれを取りに行く際に、イーの暗殺を決行することにした。

 予定どおり、ワンはイーが一緒に指輪を取りに行くように仕向け、2人はその場所に赴く。建物の周辺には暗殺の実行部隊が張り付いていた。

 しかし、ワンは暗殺実行の寸前でひるみ、イーに「逃げて」と言う。イーはその言葉から全てを悟り、間一髪建物から脱出し、車で逃げたのだった。

 暗殺を企てたワンら6人はすぐに当局に拘束された。イーは部下から6人の取り扱いについて問われたが、イーは6人を処刑することを認めた。6人は銃殺のため採石場に連行される。処刑の直前、ワンはクァンと目を合わせ、微かに微笑んだ・・・。


 この映画の原作はアイリーン・チャンの短編小説『色・戒』であり、映画もこの小説を概ね忠実になぞった形になっています。

ラスト、コーション 色・戒 (集英社文庫 チ 5-1)

ラスト、コーション 色・戒 (集英社文庫 チ 5-1)

 映画のワンとイーに当たる役柄には、モデルとなった人物がそれぞれいたと言われています。

 原作にはないシーンは、6人がツァオを殺害する場面と、イーがワンに事前に宝石商に行かせる場面で、アン・リー監督によれば、前者のツァオの殺害場面は、映画の中だるみを防ぐために挿入したもので、後者のワンが事前に宝石商を訪れる場面は、1回だけ宝石商を訪れるという原作の設定では、ヒロインの心理描写を映像化するのが難しかったためだそうです。

 アイリーン・チャンはこの原作である短編小説を1950年に執筆しているようです。日本の傀儡政権の高官を愛してしまうことをテーマにした作品を書くというのは、当時としては極めて勇気のいることだったに違いありません。実際、アイリーン・チャン自身、汪兆銘傀儡政権の高官と結婚したことがあったようで、その元夫は日本の敗戦後に香港経由で日本に亡命しているとのことです。そんな自身の体験がこの小説を書く上で大きな示唆となっていることは間違いないでしょう。

 そして、この作品の最も衝撃的なシーンは、新人女優のタン・ウェイが体当たりで演じる濡れ場でしょう。正直、あまりの大胆さに度肝を抜かれました。ぼかしが入るのも当然と思われるくらい、きわどいシーンです。しかし、この濡れ場は、この作品にとって決して余計なシーンではなく、正に、この作品の生命線ともいうべき意味合いを持っているといえます。
 
 イーはワンからすれば憎むべき売国奴であり、ワンはイーの行動に何か共感したというわけでもない。それなのになぜワンはイーに対して特別の感情を抱き、暗殺の直前にイーに対して逃げてと伝えなければならなかったのか。この女心の持つ神秘こそこの作品の最も深遠なテーマであり、その答えが衝撃的なベッド・シーンにあるという、気がしてなりません。あの壮絶なベッド・シーンがなければ、その答えを観客に説得的には伝えられなかったでしょう。アン・リー監督もこうした不可解な女心に好奇心をそそられ、その意味を追求する中で必然的にあの濡れ場を映画の中に組み入れたのでしょう。

 そして、この場面を演ずる女優として、タン・ウェイが大変適任だったわけです。タン・ウェイのあどけなさが少し残る表情、そして、トニー・レオンとの絡みで見せる大人の艶っぽい表情、多彩な表現力を持った女優です。初の主演でこれだけの大胆な演技をしてしまったのですから、この先怖いものなしでしょう。この先が楽しみです。

 ちなみに、最後処刑される直前の場面で、ワンはクァンにわずかに微笑みますが、この微笑の意味も意味深です。イーはワンたちの処刑を冷酷に決裁しているにもかかわらず、ワンはイーに逃げてと伝えたことを何ら後悔しておらず、毅然とした態度で処刑に臨みます。これも、この作品が投げかけている女心の謎の1つといえるでしょう。その意味が何かということは私にはうまく表現できないのですが、それでもどことなく共感させられてしまうところに、アン・リー監督の表現力の奥深さが感じられます。

 原作の持つ巧みな心理描写と監督の表現力の素晴らしさが大変うまくミックスされた、正に今年最高の傑作といえそうです。




P.S.2月6日の毎日新聞夕刊で、アン・リー監督が次のように述べていました。

「ワンとイーにとって、言葉は信用できない。互いが本当に信頼されているかを確かめる手段は、体が感じる痛みだけなのです。」

アン・リー監督が大胆な性愛シーンを入れなければならなかった理由は、この言葉に凝縮されているように思います。