映画、書評、ジャズなど

グレアム・グリーン「ヒューマン・ファクター」

ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

 グレアム・グリーンの代表的なスパイ小説です。

 巻尾に池上冬樹氏の名解説が添えられていますが、その中で、小林信彦氏がこの作品に対して

「完全に頭をさげた」

と述べていることが書かれていますが、そんな高評価に値する作品です。

 私はグレアム・グリーンの作品は初めて読んだのですが、単なるスパイ小説ではなく、祖国への忠誠を超える恩義のために祖国を裏切らざるを得ない主人公の内面を主題に据えた素晴らしい人間ドラマといった方がよいでしょう。

 主人公のカッスルは、イギリスの情報機関でアフリカを担当する部署に所属していた。カッスルはかつて南アフリカに勤務していたが、そこでスパイの手先として使っていた黒人女性セイラと恋に落ちたが、南アフリカ政府に目をつけられ、セイラに危険が迫ったため、セイラとその連れ子のサムを南アフリカから脱出させ、今はイギリスで3人で暮らしている。

 カッスルの部署では助手のデイヴィスも一緒に勤務していたが、彼らの部署から機密が漏洩していることが発覚し、情報機関から生真面目な性格のデイントリー大佐が調査の担当として送り込まれてくる。情報機関幹部が疑ったのは助手のデイヴィスだった。デイヴィスは同じ部署で働くシンシアに恋をしていたが、長官のハーグリーヴズと医師のパーシヴァルの手によって、肝障害に見せかけられて殺害される。

 しかし、実は、機密を漏洩していたのはカッスルであり、デイヴィスは無実の罪を着せられてしまったのだった。カッスルは南アフリカから妻セイラとその子サムを連れて脱出する際に、カースンというコミュニストに助けてもらっていた。そのことに多大な恩義を感じ、カッスルはコミュニスト側に機密情報を渡していたのだった。

 そのうち、カッスルに嫌疑がかけられ、カッスルはモスクワに脱出する。しかし、妻のセイラとサムを連れてくることはできず、夫婦喧嘩をしたことにして、カッスルの母親の元へ逃れさせた。カッスルはセイラとサムも後からイギリスを脱出させたいと考えていたが、息子サムにはパスポートがなく、サムを脱出させることは絶望的だった。カッスルはようやくセイラと電話連絡をとることができたものの、すぐに電話回線は切られてしまった・・・。

 この作品は、主人公カッスルの祖国への裏切りがテーマであるわけですが、祖国への裏切りといって一概に否定して切り捨てるわけにはいかないというメッセージが込められています。

 実在のスパイであったキム・フィルビーの自伝をグリーンが書評したときの一説が池上冬樹氏の解説の中で引用されています*1

「<彼(フィルビー)は祖国を裏切った>―そう、それはその通りだろう。しかし、われわれのうちで、祖国よりも大切な何かや誰かに対して裏切りの罪を犯さなかったものがいるだろうか。」

 グリーンのこの言葉は、本作品のメッセージとしてそのまま当てはまるでしょう。確かに主人公カッスルはイギリスという祖国を裏切って、コミュニスト側に機密を漏らした。しかし、カッスル自身は決してコミュニストだったわけではない。ただ、カッスルの妻セイラやサムを救ってくれたカースンがコミュニストだったから、機密を漏洩したわけです。カースンは、その後、刑務所で死んだことが判明するわけですが、カースンは命をかけてカッスルやセイラらを救ったわけで、その恩義の大きさから、カッスルは祖国を裏切ったわけです。

 この作品が書かれた1970年代はまだ冷戦が続いていた時代ですが、その時代、世界は西側諸国と東側諸国に別れて厳しく対立していたわけです。確かに、それは互いに存亡をかけた戦いであったわけですが、よくよく冷静になって、そういう国家レベルの対立が個々の人間の幸せのために行われていたものだったかを考えてみると、怪しく感じざるを得ません。そういう怪しげな国家レベルの対立に対する忠誠と、自分や愛する人の命を救ってくれた人物に対する恩義とを比べてみて、前者が後者よりも無条件に重いものだなどと断言することはできないのではないかとすら思えてしまいます。この点が、この作品の重要なテーマだという気がします。

 テーマは重いけれども、ストーリー展開はテンポよく鮮やかですので、あっという間に読み終えてしまう作品です。

 最後に印象に残った文章を引用しておきます。

「怖れと愛が不可分なら、怖れと憎しみもまた不可分だ。憎しみは怖れに対する自然な反応だ―怖れることで屈辱を与えられるから。」(p171)

*1:池上冬樹氏が宮脇孝雄氏の解説からの引用したもの