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山室信一「憲法9条の思想水脈」

憲法9条の思想水脈 (朝日選書823)

憲法9条の思想水脈 (朝日選書823)

 これまでに9条を論じた書は星の数ほどありますが、その思想の源流を奥深く遡ろうとする試みはほとんど見られず、あったとしても、占領下における9条の成立過程の分析や不戦条約の議論辺りまで遡るのがせいぜいだったように思います。

 この本で山室信一京都大学教授は、欧州におけるサン・ピエール、ルソー、カント、そして、国内でも幕末・明治を生きた横井小楠植木枝盛などまで遡って、9条の源流を見出そうとされていますが、極めて画期的な試みといえます。

 それは、9条そのものの源流というよりも、むしろ「非戦思想」の足跡をたどったものという感じです。もちろん、そうした「非戦思想」が9条の成立に直ちに結びつくというわけではありませんが、他方で、9条が終戦直後の短時間において全くの偶然によって出来上がったものではなく、そこまで辿り着くためには、長い思想水脈が横たわっており、それが9条とは全く無関係ではないのだということもこの本から理解することができます。こうした「非戦思想」と9条との結びつきを論証しようとする山室教授の熱意には全く脱帽です。

「もちろん、憲法9条はある政治状況のなかで生まれたものです。しかし、そこにはさまざまな思想や運動のなかで育まれた理論や概念などが流れ込み、社会的な体験を反映することによって、一つの条文として現れたものであり、けっして突然変異的なものではありませんでした。」(山室『憲法9条の思想水脈』ii頁)

「…憲法9条もまたこうした人類の知的営みの歴史のなかで生まれてきたものであり、同時に戦争という国際的な政治力学のせめぎあいのなかで生まれたものであることは間違いない。とはいえ、それは単に占領期の偶発的条件によって生まれた突然変異にすぎないというものでもなかった。そこには持続と新生、与えられた面と自主的に選択した面、などの双面性が刻み込まれており、単に一方的に「押しつけ」られたなどとはいえないのである。そのように主張すること自体、日本人が発し続けてきた思想の「自主性」を自ら否定することであり、天に唾する所為にほかならない。」(前掲書p6)

 以下、この本の内容を私なりに辿ってみたいと思います。

 9条の水脈を考える上で、まずは、戦争というものが国際社会においてどう位置づけられてきたかを振り返る必要があります。

 そもそも、近代以前のキリスト教世界においては、戦争を正義と不正義に区別し、戦争原因が神の意思に基づく正当なものと認められる場合にのみ戦争が容認されるという「正戦論」が広く共有されていました。しかし、宗教戦争で多大な犠牲が生じる中、宗教的権威によって国際秩序を維持することは困難との認識が広まっていきます。

 さらに、主権概念が生まれ、国家主権は平等であるという考え方が広まっていくと、国際社会は一種の無政府状態に陥ります。そこでは、「正戦論」はもはや通用せず、それに代わって、戦争開始そのものが合法化違法かについては差別しないとする「無差別戦争論」が支配的となります。つまり、戦争を起こすこと自体は自由で合法だということですから、国際法は、交戦中に守られるべきルールを定めるものという位置づけになります。

 この「無差別戦争論」と交戦中のルールを規定する「戦時国際法」が、長い間、国際社会の秩序を規定するルールであったわけですが、こうした状況の中で、国際社会はどのようにして戦争を防ごうとしていたかといえば、それは「勢力均衡政策」です。つまり、各国家が国力のバランスをとることで、戦争を抑制しようというわけです。

 しかし、「勢力均衡政策」は軍事力の強大化を抑えるメカニズムとしては働かず、最終的には戦争によって問題を解決することを前提とするものであったわけで、結局、第1次世界大戦の勃発によって、「勢力均衡政策」は破たんし、国際連盟の創設へとつながっていくことになります。

 では、こうした「勢力均衡政策」が支配的であった時代において、非戦思想がなかったかといえば、そんなことはありません。1791年9月のフランス憲法でも、 

「フランス国民は、征服の目的をもって、いかなる戦争をおこなうことも放棄し、また、その武力をいかなる人民の自由に対しても行使しない」(前掲書p60−61)

との条文がすでに規定されていたのです。

 また、サン・ピエールもヨーロッパ常設会議を設立して紛争を解決する構想を提示し、ルソーも諸国家を結びつける国家連合を構想して平和を実現しようとし、そして、カントも『永久平和のために』で常備軍を全廃して諸国家連合を構築することを提示していたこと、さらに、日本でも非戦思想は早くから芽生え、横井小楠は「天地の大道」に従った外交政策による非戦や、あらゆる人間が友人・仲間のように愛し合うべきという「四海同胞主義」を説き、小野梓は「大合衆政府論」を説いていたことが、本書で触れられています。

 植木枝盛も万国をして一国のように処理する「万国統一の会所」を構想するとともに、世界すべての国家が従う憲法としての「宇内無上憲法」とそれを執行する国際機構としての「万国共議政府」の構想を提示していますが、枝盛が1881年に執筆した私擬憲法案は、鈴木安蔵を通じて、第2次世界大戦終戦後に作成された憲法研究会の「憲法草案要綱」にも反映されており、GHQ民政局のラウレルがこの「憲法草案要綱」を注目していたことはよく知られています。

 本書で取り上げられた非戦論の中で、特に興味深かったのは、中江兆民の『三酔人経綸問答』の中で兆民が「洋学紳士」の口をして述べさせている平和論です。

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

 以下、山室教授による現代訳の引用です。

「小国の私たちは、彼らが内心ではなりたいと憧れながら未だに実行できないでいる無形の道議というものをもってなぜ軍備としないのでしょうか。自由を軍隊とし、艦隊とし、平等をもって砦とし、友愛を剣や鉄炮とするとき、これに敵対するものが世界にあるでしょうか。」(前掲書p122−123)

 これが兆民の見解とイコールかどうかは定かではありませんが、兆民が戦争放棄・軍備撤廃についての理想論を1887年に公刊された本の中で語らせたことの意味は極めて重要でしょう。我が国においても、9条の理想につながるような思想的な素地があったといえるからです。

 その後、我が国は日清戦争日露戦争の中で、非戦論は底流から表層へと現れてきますが、とりわけ社会主義者に対する思想弾圧が激しさを増すと、再び非戦論は伏流化することになります。

 他方、国際社会に目を転じてみると、時代は「無差別戦争論」から「戦争違法化」へと大きく動き出します。1つの大きな契機が第1次世界大戦後の国際連盟の設立です。ここでは、集団安全保障の考え方が前面に現れ、戦争による解決が大きく制限されることになります。これは、「戦争違法化」に向けた大きな第一歩です。

 そして、「戦争違法化」を明記したのが1928年に署名された「不戦条約」です。

第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコト非トシ其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス

 この条文が後の憲法9条に多大な影響を与えたことはほぼ異論がないでしょう。

 興味深かったのは、「不戦条約」が成立した背景です。「不戦条約」は、アメリカの国民運動の中から湧き上がってきたものであり、世論の力が条約を実現させたのです。

 後に日本国憲法の草案作成に携わることになるGHQ民政局のケーディスも学生時代に不戦条約に感銘を受けた世代であるとのことです。そして、国民運動の中には、国策としての戦争のみを放棄しようというもののほかに、一切の戦争を非合法化しようという思想も混じっていたということです。

 この点は、実は相当重要な点のように思われます。9条はGHQの関係者の思いつきから突然出てきたという類のものではなく、実は、アメリカ国内における国民運動の流れを汲んだものだといえるからです。

 しかし、その「不戦条約」の精神も、多くの国が「自衛権」についての留保を行い、そして、その「自衛権」の範囲が拡大していくことで、国際社会における問題解決には十分に生かされず、第2次世界大戦に突入することになります。

 こうして第2次世界大戦までに伸び続けてきた思想水脈が、戦後、9条に結びついていったのだというのが、山室教授の主張です。


 正直、今までの9条論では、殊更にGHQと政府当局による憲法草案策定の経緯ばかりが注目され、こうした広い視野に立った思想的背景の分析はほとんどなされてきていません。例えば、9条はマッカーサーが発案したものか、あるいは幣原が発案したものかという有名な論争がありますが、これが9条の在り方を考える上でそんなに重要なものかという気がします。

 それよりももっと重要なのは、9条を歴史の大きな流れの中に位置づける試みなのかもしれません。

 この本を読んで改めて気付いたのは、9条の精神は、歴史の流れから分断されたものではなく、世界的にも歴史的位置付けを持ち合わせているということでしょう。

 9条は、長年にわたる非戦の追求の結晶のようなものだったという事実は、もう少し広く知られてもよいはずです。