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ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」

 

幻の女〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

幻の女〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

1942年に出版されたウィリアム・アイリッシュの作品です。原題は〝Phantom Lady〟と、何ともスタイリッシュです。
80年近く経った今でも、ミステリー小説の最高傑作のひとつに数えられるくらい、完成度の高い作品です。
特に、ラストのどんでん返しは、他の追随を許さない衝撃を与えるほど、よくできています。
そして、死刑執行から逆算して〇日という形で物語が進行していくのも、とてもスリリングで、刻々と死が迫っていく迫力と緊張感を生み出しています。

その日スコット・ヘンダーソンは、不仲の妻マーセラと観劇に行くため、チケットを2枚とっていたが、土壇場になって妻が行かないと言い出したため、一人家を飛び出す。愛人のキャロルにも断られ、仕方なく寄ったバーでたまたま一人で居合わせた見知らぬ女性と劇を見に行くことになる。再び同じバーに戻った後、2人は分かれ、ヘンダーソンは家に帰るが、そこには妻マーセラの死体と警察がいた。

当然、ヘンダーソンは妻の殺人の嫌疑をかけられる。疑惑を晴らすためには、一緒に観劇に行った女を見つければよかったのだが、ヘンダーソンは女の名前も聞かず、さらに悪いことに、顔を全く思い出せなかった。その夜の2人の足跡をたどって聞き込みを進めても、誰も女がいたことすら思い出せないという。

ヘンダーソンはアリバイを証明できず、投獄され、死刑判決を受けることになる。

絶望に打ちひしがれる中、バージェス刑事のアドバイスもあって、ヘンダーソンはかつての親友ロンバートに助けを求める。ロンバートは南米に赴任していたが、ヘンダーソンのためにわざわざ帰国してくれ、そしてヘンダーソンの無実の証明に力を注ぐことになる。ヘンダーソンの愛人のキャロルも、それに協力する。

聞き込みを続けていくと、当日、その女を見かけた可能性がある人々は、誰かに口止めをされていることが分かる。そして、次々と不審の死を遂げていく。

ロンバートは、その女が当日の劇場のプログラムを持っている可能性が高いとみて、劇場のプログラムの買取を求む広告を掲載する。そこに当日のプログラムを持ってきた女が、当日ヘンダーソンンと共にいた女だというわけだ。ロンバートは、その女を車に乗せ、まさに死刑に処されようとしているヘンダーソンの無実を証言するように求めた。
しかし、ロンバートの車がたどり着いたのは森の中だった。ロンバートは、その女を殺害しようとする。その女は実はヘンダーソンの愛人のキャロルだった。その場に、バージェス刑事も駆けつけ、ロンバートは捕らえられる。

実は、ヘンダーソンを死刑から救うことができる女を殺そうとしたロンバートこそが、ヘンダーソンの妻マーセラを殺した真犯人だった。。。


このラストのどんでん返しは、確かに唖然とさせられます。誰しも、親友のロンバートヘンダーソンを死刑から救うために献身的に調査に当たっているのかと思いきや、実は、アリバイを証明できる女を殺害することが目的だったわけです。この展開は、さすがに予測できませんでした。しかも、とても説得力のある展開です。

この作品は、始まりのフレーズが有名です。
“The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour.”

「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」

訳者によれば、このフレーズは、ある失恋の歌の一部をもじったものなのだそうです。

 

読み応えのある期待通りのミステリー作品でした。

フリーマントル「殺人にうってつけの日」

 

殺人にうってつけの日 (新潮文庫)

殺人にうってつけの日 (新潮文庫)

 

 仲間に裏切られて長年収監され、しかも自分の妻までも取られてしまった元スパイの壮絶な復讐劇を描いた作品です。

 

元CIA工作員のメイソンは、元KGBのスレイターに裏切られ、妻のアンも奪われてしまう。メイソンは15年間監獄での生活を送りながら、2人への復讐を誓う。

一方、スレイターはアンとの間に生まれた息子のデイヴィッドと3人で幸せな日々を送っていたが、メイソンが保釈されたという一報を受けてから、アンは、メイソンが殺しにくるのではないかという恐怖に怯える日々を送ることになる。

 

それが現実となり、息子のデイヴィッドは何者かによって轢き逃げされ、命を落とす。アンの経営する画廊の防犯カメラには、メイソンが映っていたことに気づき、アンは益々恐怖におののく。その話をスレイターにしたところ、アンの精神状態が不安定であるとしてなかなか取り合わず、2人の間には次第に亀裂が生じる。

 

メイソンは着々と2人の殺害計画を準備する。殺害場所はデイヴィッドが眠る墓地と決める。メイソンはアリバイ作りのために、カリフォルニアと東部を行き来する。

 

ついにメイソンは殺害を実行に移そうとしたそのとき、メイソンはFBIに囲まれていた。メイソンにとどめを刺したのはアンだった。隣にいたスレイターは身動きできず、そのことで2人はその後別の道を歩むことになる。。。

 

 

周到な準備を重ねてきたはずだったのが、最後の実行失敗がなんともあっけなく、唖然としてしまいます。

メイソンはあえなく命を落としましたが、生き残ったアンとスレイターも、子供を無くした上に、2人の心は離れてしまい、どちらにとってもハッピーエンドとは言えない結末になっています。

 

結局、裏切りによって、誰も幸せにはなれないということなのかもしれません。

 

淡々と進んでいく独特に筆致は、さすがフリーマントルの作品という感じでした。

 

「大砂塵」★★★★☆

 

大砂塵 [Blu-ray]

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 女同士の争いに男たちが巻き込まれて熾烈な抗争を巻き起こす西部劇です。

 

ビエンナは、アリゾナの僻地で賭博場を営んでいた。そこに、ギター弾きのジョニーが訪れる。ビエンナはジョニーが来るのをずっと待っていた。

そこはやがて鉄道が開通すれば地価が上がることが期待されており、ビエンナは大金を得るはずだった。しかし、地元も人たちはビエンナの商売に反対して、追い出そうとしていた。

反対の先頭に立っていたのが、エマという女だった。エマは荒くれ者のギャングの男キッドを巡ってビエンナを敵視していた。自分の父親が殺害されたのもビエンナが関わっていたと信じており、ビエンナを縛り首にするよう主張していた。そんな状況の中、ビエンナは毅然と振る舞う。

 

キッドは銀行を襲撃したが、その一味の男が怪我をして、ビエンナの下へ逃げ込んで来る。ビエンナはその男を匿うが、裏切られて、襲撃への関与を疑われる。縛り首になる寸前に、ジョニーがビエンナを救出する。

 

2人はキッドが隠れている空き家に向かう。そこに、エマを先頭とする地元の人々がやってくる。最後は女2人の直接対決となり、ビエンナがエマを射殺する。

 

人々が立ちすくむ中、ビエンナとジョニーは新たな生活を目指して去っていく。。。

 

 

単なる西部劇とは違い、女2人の壮絶な対決が軸となっているところに、この作品の面白さがあるように思います。そして、ビエンナの毅然とした態度や言動がとても清々しく、魅力的です。

ビエンナはあらぬ嫌疑をかけられて縛り首寸前のところまでいくわけですが確かにこの時代は確固たる法秩序や警察権力もなく、最後は銃を使って秩序が維持されたであろうわけです。かといって、闇雲に銃を使えば、そんな荒くれ者はパージされたり殺されてしまうわけです。この時代の秩序の維持がいかに薄氷の上に成り立っていたかが、作品の雰囲気から伝わってきます。

 

そんな社会の中心で強い女として戦うビエンナの姿が、この作品の魅力を生み出しているように思います。

 

この作品では、ペギー・リーの歌う曲♪Johnny guitarが素晴らしいです。


「ジャニー・ギターJohnny Guitar」ペギー・リー、Peggy Lee

 

余韻が強く残るステキな西部映画でした。

「運び屋」★★★★★


THE MULE Trailer (2018) Clint Eastwood Movie


クリント・イーストウッド監督の最新作です。さすが、映画の隅々まで知り尽くした上に、人生の酸いも甘いも理解している監督です。最初から最後まで全く退屈することなく物語が展開していきます。そして、何より、老いと向かい合う老人の心理を鮮やかに描いているところが、とても説得力があり、脱帽です。

 

退役軍人のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、90歳になろうとしていた。アールは家族を見捨てて、リリーの栽培に人生をかけていたのだが、その経営に失敗し、慣れ親しんだ家を手放すことに。

行く当てもなくなったアールに声がかかった仕事は、ドラッグの運び屋だった。アールは、最初は荷物の中身が分からず運んでいたのだが、あまりに報酬が高額だったため、つい中身を見てしまったのだった。アールは、運び屋で得た報酬で家を買い戻し、退役軍人のコミュニティに寄付して感謝されたりするうちに、この仕事から足を洗えなくなってしまった。

一方、麻薬捜査官は、運び屋の摘発に乗り出していた。

アールは、運び屋のボスの指示に従わず、運びの最中も自由奔放に寄り道を繰り返していたのだが、ボスの交代によって締め付けが厳しくなる。そんなとき、アールの妻の危篤の報が届く。アールは仕事の最中だったが、妻の下へ向かい、死を看取る。そのことが、家族との絆を取り戻すきっかけとなったのだが、そのことが原因となって、アールは当局に捕らえられてしまう。

アールは法廷で有罪を認め服役する。。。

 

最後、捕まったアールは、抵抗することもなく、清々しい態度をとります。それは、アールが家族との絆を取り戻したことが大きく働いているわけです。つまり、アールは、捕まったことで初めて、人生でもっとも大切にすべきことを発見できたわけです。それは、もちろん、リリーの栽培ではなく、家族の絆です。

 

 

さて、この作品は、イーストウッド監督がNY Timesの記事に触発されたことがきっかけとなっています。



監督本人も死を意識する年齢だと思いますが、そんな監督ならではこそ、描くことができた世界観のような気がします。だからこそ、深層心理の深い部分を抉り出すかのような、説得力のある作品になっているような気がします。

 

久々に★5つ付けたくなるような作品でした。

 

「ミッション」★★★★☆

 

ミッション HDニューマスター版 [DVD]

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 1986年のイギリス映画です。18世紀のスペイン統治下の南米パラグアイ先住民族への弾圧と先住民を守ろうとするイエズス会宣教師の闘いを描いた作品です。

 

南米の巨大な滝の上部で暮らす先住民族の下を訪れたイエズス会の宣教師が、先住民によって十字架にはりつけられ、川に流された。これを契機に、宣教師のガブリエルが現地に乗り込んだ。ガブリエルは、笛の音色で原住民たちの心をつかんでいく。

他方、メンドーサは奴隷商人として現地に滞在していたが、恋人を巡り兄弟を殺害したことで、世間から隔絶された廃人のような日々を送っていた。

ガブリエルは、そんなメンドーサを連れ出し、自分への忠誠を誓わせ、神父とする。

しかし、原住民の暮らすエリアは、スペイン領からポルトガル領に編入され、原住民たちは別の地域への移住を命じられる。

メンドーサはポルトガル軍と戦うことを主張。ガブリエルはそれをなだめようとしていた。

メンドーサは、原住民たちとポルトガル軍と戦い、命を落とす。ガブリエルも燃え盛る教会から原住民たちと出てくるとき、銃弾で倒れた。。。

 


The Mission (1986) (VHS Trailer)

 

スペインやポルトガルという国家と宣教師の利害が植民地において対立する状況が描かれており、その中で、宣教師の側が原住民に寄り添うという構図ではありますが、いずれにしても、原住民にとってみれば、いずれも従来の生活を乱す外部の侵入者であるわけです。だから、宣教師の側に盲目的に共感してこの作品を観るというのも躊躇される面があります。

 

ただ、一見、文明vs未開という対立構図の中に、宣教師という存在が緩衝材のような形で存在していたことは、歴史を見る上で重要な視点なのかもしれません。

 

これだけの原住民を巻き込んで、よくこれだけの作品が作れたなぁ、と素直に感心してしました。

「グリーンブック」★★★★

アカデミー賞作品賞作品を鑑賞してきました。

黒人ピアニストのドン・シャーリーとそのマネージャーとして雇われた白人男性トニー・リップが、全国を公演で回るというストーリーです。

シャーリーは繊細な感性を持つピアニストであるのに対し、リップはがさつで喧嘩っ早い、と対照的な2人。

ツアーの最終地では、公演会場のホテルのレストランで、シャーリーは黒人であることを理由に入店を拒否される。シャーリーとリップは、公演をキャンセルし、黒人客が溢れかえるカジュアルな居酒屋で演奏し、客と一体になって大いに盛り上がる。

2人はそのままクリスマスに間に合うようにニューヨークに戻る。リップのホームパーティーに姿を現したシャーリーを一同は歓迎した。。。

 

 

ストーリーは極めて単純で、男2人の間に次第に芽生えてくる共感が良く描かれています。

黒人の方がエレガントで、白人の方が粗野という対照的なキャラクターの構図で描かれているのが特徴的ですが、それでも、本質的な部分においては、白人が優位な社会であることが表現されています。

 

ただ、作品の描かれ方としては、リップが主人公であり、リップ中心の目線で描かれている面が感じられました。こういうテーマを扱うのであれば、シャーリーとリップの2人の目線をフラットに描いた方が、より幅広い観衆の共感を得られたように思います。

 

清々しいエンディングでありながら、どこか居心地の悪さが残ってしまったのは、こうした面にあるのではないかという気がしました。

「ドライビング Miss デイジー」★★★★☆

 

ドライビング Miss デイジー [DVD]

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 20年以上ぶりに観返しましたが、いつ観てもほのぼのした気持ちにさせてくれる大好きな作品です。

 

元教師の未亡人デイジーは、何でも自分でテキパキと決めて裕福な生活していたが、高齢を心配した息子のブーリーは、黒人運転手のホークを勝手に雇ってしまう。デイジーは当初、ホークに対して冷たく当たっていたが、やがてホークの献身的な態度に好意を寄せるようになる。

 

ホークの幼少期の経験談から、黒人の運動にもシンパシーを寄せるようになり、ブーリーを困惑させることも。

 

しかし、ある日突然、デイジーは痴呆症になってしまい、施設で過ごすようになる。ホークはしばらくデイジーと会うことはなかったが、久しぶりに、ブーリーと一緒に施設を訪れた。衰えた様子のデイジーだったが、ブーリーに席を外させ、ホークと2人きりで話をするのだった。。。

 

 

デイジーの頑固さが決して嫌味ではなく、ホークのことを次第に受け入れていく過程が、とても説得的に描かれています。

まだ根強い人種差別が残っていた時代が背景となっているので、その辺の違和感が全くなくはないのですが、それを超越する温かさを感じる作品です。