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タイ放漫記

 1年ぶりのバンコクに行ってきました。
 昨年2度、バンコクを訪問しましたが、商業の目覚ましい発展に目がくらんだのが大変印象的でした。
2011-02-19 - loisir-spaceの日記
2011-08-05 - loisir-spaceの日記

 今回は、前回と同じようなところを再び訪問しましたが、全体的にホテルを拠点として比較的のんびりと過ごすのが中心の滞在となりました。

バンコク・アート・アンド・カルチャー・センター

 今回、バンコクの中心部に位置するバンコク・アート・アンド・カルチャー・センターを訪れました。前回も少し足を運んではみたのですが、そのときはあまりインパクトがなかった印象だったのですが、今回は少し違った感じを持ちました。

 この美術館は、何と言っても建築のユニークさと立地の良さはぴかいちです。建築はグッゲンハイム美術館を彷彿とさせる螺旋状の通路から構成されており、その通路に沿って作品が展示されています。

 そして、BTSの駅からすぐ近くであり、MBK(マーブンクロン・センター)やサイアムパラゴンといった大規模なショッピングセンターからもすぐ近くにあります。

 今回訪れたとき、美術館では2つの展示が行われていました。1つは、“Print & Drawing”の国際的なコンペティションの入賞作品の展示。もう1つは、“Politics of Me”という展示です。

 “Print & Drawing”は国際的なコンペティションで、世界中の現代アートの画家が応募していました。前衛的な作品が並ぶ中、特に日本人の画家の出品作品が多かったのが印象的でした。

 “Politics of Me”はタイの若者たちのエネルギッシュで挑戦的な作品が印象的な展示です。

 バンコクは豊かになるにつれて、都市中間層が成長してきていますが、若者たちの間にも、政治的な意識が飛躍的に高まっているように見受けられます。若者たちのメッセージの内容も、単に自由や民主主義を求めるといった段階は既に超えて、もっと奥の深い内面的なものへと到達している感じを受けます。

 特に興味深かったのは、“THE GOOD LIFE”の意味を執拗に掘り下げているくだりです。GOODという言葉は物との関係では明瞭に定義できますが、それがヒューマンライフとの関係になると、その意味はもっと深い意味を持ってきます。そして、以下のような結論に達します。

“THE MEANING AND REAL MERIT OF GOOD LIFE COULD FAINALLY BE MEASURED BY THE LEVEL OF SUCCESS ON NEGOTIATION BETWEEN IDEAL PRINCIPLES AND REALITY.”

 “理想の原則と現実との間の交渉”がどれだけうまくいっているかで“GOOD LIFE”の意味やメリットが計られるのだ、という意識がバンコクの若者の中から生まれていること自体、ちょっとした衝撃を受けました。タイは急激な成長によって、伝統的な生活から近代的な生活へ目まぐるしく変化を遂げているわけですが、そういう中で若者の間に、様々な葛藤やジレンマが生じている状況が感じ取れます。西洋文明的な幸福感がタイの価値観には必ずしもすっきりと当てはまっているわけではないことが窺えます。そういう中で、若者たちが真の幸福の意味するところを追求していることに、大変な感銘を受けました。本来日本の若者たちの間でもこういう問いが追求されてもよいはずですし、アジア諸国の若者同士の間でこうした議論ができれば、西洋文明とは違ったアジア固有の幸せの形を構築していくこともできるかもしれません。

 そうした意味において、若手現代アーティスト間の交流というのは、何か大きなムーブメントにつながっていくかもしれないという思いを抱きました。

 タクシン派のデモなどで社会が混乱した後にタイの人々の合言葉になった“Together We Can”というフレーズをもじって“Together We Can't”と記した皮肉な作品もご愛敬です。

シャングリラ・ホテル

 シャングリラ・ホテルについては、前回訪問時も素敵なラウンジに感銘を受けましたが、今回はシャングリラ・ホテルに宿泊し、プールサイドも含めて満喫しました。ここのラウンジから見るチャオプラヤ川の景色が最も素晴らしいと思うのですが、ホテルのプールサイドで日光を浴びながらゆったり読書をする時間も至福の時です。

 あいにく雨季のため、長時間にわたって日光が注ぐということはめったにありませんでした。プールサイドでリラックスしていると、チャオプラヤ川の対岸の上空の雲が次第に真っ黒になっていき、プール監視員が、もうすぐ雨がくるぞと声をかけてくれます。そうすると案の定、直後に豪雨が襲ってくるのです。それがしばらく続くと雨もあがりますが、雨季はそんな状況の繰り返しです。こうした雨のおかげで、バンコクは気温の割に過ごしやすい気候となっています。数日後日本に戻ったときのギンギンの暑さと比べると、バンコクの方がまだましだったと思ったのでした。

市場の朝ごはん

 このほか、昨年と同様、ワット・ボウォーンというお寺でお参りをしたり、そのお寺の近くの庶民的な食堂でタイ料理を満喫したりといった簡素ではあるものの優雅なひとときを過ごしてきました。
 今回、とりわけ印象に残ったのは、屋台の充実度合いです。バンコクでは家で料理をするという習慣があまりないのか、屋台が異常に発達しています。道端には朝から屋台がひしめき、出勤途中と思われる男女が屋台で食事を取ったり、屋台の飯を詰め込んだビニール袋をいくつかぶら下げて出勤していきます。おそらく共働きの家庭が多いのでしょう。結婚後の女性もあまり家で料理をすることは少ないのではないかと推測されます。

 しかし、こうした屋台文化というのも一つの社会の在り方なのではないかという気がします。屋台が発達している分、比較的安い価格でおいしい料理を楽しむことができます。一時的に仕事がなくなったとしても、食に溢れにくいということが言えます。女性も家庭で料理を作る手間から解放されます。日本でもこれだけ屋台が充実していれば、多くの人たちは家で料理をしなくても済むでしょう。

 今回は、ホテルの朝食を付けなかったので、毎朝、ホテル近くの市場に行き、市場に買い付けに来る人たちと一緒に屋台の料理を楽しみました。

 火を通している料理であれば、割と安心して食事できます。飲み水はさすがにバケツの水をすくって飲む勇気がありませんでしたが、親切なお店の人が、おそらく外国人だからということで特別に市販の水をプレゼンとしてくれました。あつあつのごはんの上に辛く煮込んだおかずを何種類かかけて食べるタイ料理は、1食2千円近くもするホテルの朝食よりもはるかに魅力があります。

 やはり食の充実は社会の基本でしょう。

総括

 バンコクの街は見るべきスポットが決して多いわけではありません。お寺やショッピングセンターなどは、数日バンコクに滞在すれば、一通り眺めることができてしまいます。アユタヤの遺跡も一度行けば十分といった感じです。それにもかかわらず、何度でも訪れたくなる魅力がバンコクにはあります。
 その魅力の源泉が何なのかは一言で言い表しにくいのですが、前にも書いたとおり、バンコクの異なる複数の時間の流れによるものではないかという気がするのです。バンコクには前近代的な時間と近代的な時間の2つの時間が同時に流れています。この2つの時間の流れが交錯するところに、とても豊かな時間が形成されるような気がするのです。

 最初にバンコクを訪れた20年前に比べると、地下鉄やBTSといった近代的な乗り物ができ、先進国と見まがうような立派なショッピングモールが完成しています。カオサン・ロードにも20年ぶりに行ってみましたが、小汚い服装のバックパッカーたちが集まり、どこか危なっかしかったかつての風景とは一変し、今では日本の原宿を思わせるようなおしゃれな街に変貌していたことは驚きでした。

 多くの人々がマイカーを所有し、週末ともなれば、ショッピングセンターには車が集結して大混雑を引き起こします(あまりの車の多さに、ショッピングセンターの駐車場に入りきらない車は、ギアをニュートラルにしたまま通路に止めさせ、車の出し入れのたびに警備員が車をあっちへこっちへと押して動かしながらやりくりしていたのが印象的でした。)。

 しかしながら、他方で一歩裏道に入れば、相変わらず前近代的な風景が広がっている、そして、欧米風のスタイルでオフィスで働くビジネスマンたちがいる一方で、お寺では多くの若者たちが一時的に出家して修行に励んでいる、そんなコントラストにバンコクの魅力があるように思うのです。

 市場には、修行僧の托鉢に恭しく食事を恵んでいる光景も頻繁に見られます。

 タイ風に手を合わせているマクドナルドのキャラクター人形も、どこかホッとさせる雰囲気があります。

 日本社会は、明治以来、やみくもに欧米風のスタイルを導入し、古くからあった日本の生活スタイルを悉く捨ててきてしまっていますが、バンコクでは、近代化を進める中にも、従来の生活スタイルを残しています。そうしてうまく近代化の矛盾を吸収しながらバランスを取っているような気がします。
 近代が成熟した今こそ、我々日本人はこうしたタイを始めとするアジア諸国に学ぶところがあるのではないか、そんな思いを強くした旅行となりました。