映画、書評、ジャズなど

龍應台「台湾海峡一九四九」

台湾海峡一九四九

台湾海峡一九四九

 第二次大戦から中国建国に至るまでの間、中国人同士が国民党と共産党に分かれて熾烈な殺し合いを繰り広げ、多くの農民たちが巻き込まれたということは、あまりピンと来なかったのですが、本書ではその辺の史実を念入りな聞き取り調査を通じて赤裸々に描かれています。

 著者の母親は、中国建国の混乱の中で国民党兵士の夫と散り散りばらばらとなり、母親は台湾に渡ってきます。既に誕生していた兄は本土に預けられ、著者はその台湾で生まれ育ちます。そして母親は結局60年間台湾に住むことになり、ようやく本土への帰郷が実現したときは、故郷はダムの建設によって既に様変わりしています。

 本書を見ると、どういう人々が当時本土から台湾に渡っていったのかが分かります。国民党は若い学生たちに台湾がいかに魅力的な場所であるかについて説き、台湾に送りこんでいったのです。街には「志ある青年よ 血気盛んな青年よ 台湾へ行こう!」というポスターが貼ってあったそうです。台湾に行けばガラスの雨合羽が支給されると言われ、言ってみるとそれはビニールのレインコートだったというエピソードも紹介されています。

 また本書では、当時は香港にも多くの人々が難民として流入していたという事実も紹介されています。香港人は出身をあまり語りたがらないようですが、中国建国の戦火の中、多くの難民が調景嶺の収容所に送られたとのこと。ピーク時には2万人近い人々がここで暮らしていたというのだから驚きです。その内訳も、国民党軍兵士とその家族が半分以上占めていたそうです。台湾の馬総統もこうした状況の中で香港で生まれた一人です。

 長春での大虐殺についての記述にもハッとさせられます。日本が敗戦すると長春にはロシア軍が入ってきます。その後国民党軍が長春を接収し、やがて共産党解放軍が入ってきます。この長春は、2年以上に渡って共産党に包囲されますが、この間の餓死者の数は10万人から65万人と言われているとのこと。著者は、これだけの大規模な戦争暴力でありながら、どうして長春包囲戦は重視されていないのか?と疑問を呈しています。長春人自身もこの歴史を知らないといいます。

 国民党軍と共産党軍との間の戦いは熾烈を極めました。その巻き添えとなったのは、一般人です。なぜなら、共産党軍の先鋒として切り込んできた兵士たちは、実は兵士ではなく「民工(非軍属人夫)」だったのです。そして、後方の解放軍兵士たちは、銃撃に倒れた「民工」を踏み台にして進軍していったのです。

 著者は

「歴史というのはそもそも、勝った側が書いたものか、あるいは負けた側が書いたものか把握していなければならない。」

と述べていますが、こうした悲劇的な史実は勝った側によって描かれた歴史の中からは全く読み取ることができません。

 台湾人たちの終戦の捉え方についても大変興味深く描かれています。もちろん終戦を解放と捉えた人々も多くいた中で、敗北と捉えた人もいたという事実はハッとさせられます。

 終戦後、国民党軍第70軍が台湾に乗り込んで来ますが、台湾の人々は、中国から来た官僚たちの無能さやその腐敗ぶりに衝撃を受けます。草鞋で行軍するそのイメージは「浮浪者部隊」「乞食軍」というイメージだったそうです。そして、1947年には台湾全土で動乱が勃発し、国民党軍と民衆との間で激しい衝突が起こります。いわゆる二・二八事件です。


 このように、本書は一般にあまりスポットを浴びていない史実を赤裸々に浮き彫りにした力作です。とりわけ長春の包囲戦であまりに多くの命が失われたにもかかわらず、ほとんど知られていないことは驚きの事実です。

 本書では戦時中の日本軍の行為についても触れられていますが、比較的中立的に描かれているように思います。「田村という日本兵」と題された章では、文学青年だった田村が残した日記が紹介されています。一人の女性に当てた手紙には熱い想いが込められていましたが、それは結局出されることはなかったというエピソードは胸を打つものがありました。

 今、日本企業の間では、再び台湾は中国市場への足がかりとして大きな注目を浴びています。親日的な国として台湾は日本のパートナーとして相応しい国だと思いますが、真に理解しあう関係を築くためには、やはり本書で書かれているような歴史を踏まえておくことが必要かもしれません。