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映画、書評、ジャズなど

坪井善明「ヴェトナム新時代」

ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索 (岩波新書)

ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索 (岩波新書)

 近々ヴェトナム行きの計画があるため、ヴェトナム政治の専門家の著書を読んでみました。2008年の著書ですが、特に古びた感じはせず、随所に有益な指摘がなされています。

 まず簡単にヴェトナムの歴史をおさらいしておくと、ヴェトナムは1887年に全土がフランスの支配下に入りましたが、1930年にホーチミン共産党を設立し、独立を目指す抵抗運動が組織されます。1940年に日本が仏印進駐を行い、1945年にはフランスから権力を奪取しますが、その後日本軍が無条件降伏したため権力の真空状態が生まれ、ホーチミンが全土の権力を掌握します。

 しかし、フランスはヴェトナムの独立を認めず、軍隊を派遣して植民地を維持しようとし、1946年から本格的な戦闘が開始されます。その後、1954年のディエンビエンフーの闘いでフランス軍は壊滅的な打撃を受けます。その後、東西冷戦構造の中で米国が傀儡政権をでっち上げ、ヴェトナム戦争が始まります。そして1975年に最後のアメリカ人がサイゴン(現ホーチミン)から脱出してヴェトナム戦争は終結します。

 その後ヴェトナムはカンボジアへの侵攻によって国際社会から孤立し、中国との間でも中越戦争が勃発します。こうしてヴェトナムは多くの国から経済制裁を受けることになりますが、やがてドイモイ政策に大きく舵を切ります。冷戦終結後はヴェトナムは米国との国交正常化を模索し始め、1995年にはそれが実現し、ASEANへの加盟も許可されます。

 さて、ヴェトナムは依然として共産党政権のままでドイモイ政策を進めているわけですが、著者はヴェトナム共産党は3つの意味で「プラグマティック(実用的)な態度」をとる政党だと指摘しています。1つ目は、原則や主義やイデオロギーをある程度変更しても現実に合わせるという意味での実用主義的な態度です。2つ目は、自国に有利になると判断できる強い国に付いて安全を図るという態度が徹底していることです。そして3つ目は、経済発展=豊かになることが権力維持のためにも絶対視されて、理念や理想は顧みられなくなっていることです。

 こうした割り切りの下でヴェトナムは経済的にも伸びてきているわけですが、他方で課題も残っています。それは、汚職・腐敗の撲滅です。公務員の給与が安いヴェトナムにおいては、賄賂がいまだに後を絶たないようです。それから、公安当局による監視の目が依然として厳しいことも挙げられます。一見すると政治的自由度が高くなっているようにも見受けられますが、実際には監視の目は厳しくなっており、現政権を批判する個人やグループの動きがあると公安当局が直ちに把握して逮捕されることが頻繁に起きているのだそうです。

 ヴェトナムの権力統治機構はわかりにくいのですが、結局は共産党が強い権力を握っていることは間違いありません。立法機能を持つ国会は存在しており、法律上は共産党の指導なしに独立候補が立候補できるようですが、実質的には党員か現体制の同調者に限られているようです。

 司法について見ても、裁判官の独立は謳われているものの、政府や党の意に反する判決を書けば、不利な扱いを受けかねない仕組みとなっているようです。

 また共産党指導部の構成も極めて少ない人数で最高決定を行う仕組みとなっています。勢力的には、国際的な経済も理解している南部出身の「改革派」と、軍と公安警察を中心とする社会主義体制を擁護することを主眼とする「保守派」に分かれているとのこと。本書が執筆された当時の共産党の党内順位第1位の党書記長、第2位の公安相は「保守派」、第3位の首相、第4位の国家主席は「改革派」の代表だそうです。対外的な序列と国内の序列が食い違っているところも、ヴェトナムの統治機構の分かりにくさを助長しています。

 さらに、格差の問題も深刻です。国が南北に分かれて闘ったしこりはいまだに残っているようです。南の人々が終戦後に虐げられ、ボートピープルとして国外へ脱出したことはよく知られていますが、南北間の格差は当時よりもさらに進んでいます。少数民族の問題も根強く残っています。政府は少数民族の定住化を促すためにコーヒー栽培を奨励しましたが、2000年にコーヒーの国際市場が大暴落すると、少数民族の中で暴動が発生します。

 では、こうしたヴェトナムと日本は今後どのように付き合っていったらよいのでしょうか。日本とヴェトナムの絆は深く、2007年にチェット国家主席の訪日が国賓として取り扱われたことは、このことを象徴しています。しかしながら、近年は韓国企業のヴェトナム進出が目立っています。ハノイホーチミンも、韓国人の数が日本人の数を圧倒しているとのことです。そして、米国に対する憧憬も強まっています。台湾企業もホーチミン近くの輸出加工区の運営主体となっています。

 日本も近年、政府間の協定の締結やODA供与などでヴェトナムとの関係強化を図っており、日本企業もヴェトナムに続々と進出しています。しかしながら、2008年には日本企業をねらい打ちするストライキが発生したり、2007年には日本のODA供与対象のカントー橋プロジェクトで崩落が起こったりしました。

 こうした状況の中、著者は、日本が内向きから外向きになり、人々の交流も活発化する契機として、ヴェトナムが最良のパートナーの一人だと指摘します。ヴェトナム人は親日的であり、歴史的な負の遺産朝鮮半島や中国と比較すれば少なく、その意味でも日越関係は将来の日本の進路の試金石となるだろうというのが著者の指摘です。

 確かにヴェトナムには様々な弱点があります。政治体制の問題、国際金融におけるコントロール能力は二歳と言われるほどの脆弱さ、紙幣をオーストラリアに印刷してもらっているなど通貨主権も確立しておらず、産業構造について見ても、鉄も自国で生産できず、原油を産出しているにもかかわらず石油精製プラントがない。人材不足も顕在化している。

 しかしながら、こうした課題を乗り越えていくことができるか、そしてそれに日本も貢献することができるが、今後の日本にも課された大きな課題でしょう。


 私も数年前にヴェトナムを訪れる機会がありましたが、若者たちが前を向いてバイクを乗り回している姿に頼もしさを感じるとともに、その溢れんばかりのエネルギーにはある種の脅威すら感じました。著者はあとがきの中で、ヴェトナムについて「楽天的でしたたか」と表していますが、これは私のヴェトナム訪問で感じた実感ともぴったりと一致します。

 ちなみに、本書ではホーチミンの思想についても詳しく触れられています。ここでは詳しく言及しませんが、マルクス・レーニン主義から出発しながらも、ホーチミンの思想には、ヴェトナムの民族的な文化伝統を継承している面があり、そして著者が強調している点は、ホーチミンが生涯を通じて一番価値を置いたのは共和国の価値であるという点です。著者は、ホーチミンは東アジアの政治的なリーダーの中で唯一といってもよいほど「共和国精神」を性格に理解して、ヴェトナムに持ち込もうとしたのだと著者は考えます。こうしたホーチミン思想の特質を考えていけば、今日のヴェトナムが共産党政権でありながら飛躍的な成長を遂げているのかがより良く理解できるような気がします。


 本書は、ヴェトナムの内面を理解する上で必読書です。