- 作者: エレーナジョビン,Helena Jobin,国安真奈
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1998/10
- メディア: 単行本
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本書は、このアントニオ・カルロス・ジョビンの実の妹であり作家でもあるエレーナ・ジョビンによって書かれたものです。気心の知れた身内なだけあって、ジョビンの内面的な部分、例えば、アメリカでの人気に対して本国ではなかなか評価されなかった苦悩などが鮮やかに描かれています。
アントニオ・カルロス・ジョビンは、父ジョルジと母ニルザの間に生まれますが、父ジョルジは若くして亡くなり、その後ニルザはジョビンにとって義父となるセルソと再婚し、以後ジョビンは、セルソを良き理解者として慕っていきます。
やがてテレーザと知り合い若くして結婚し、子供もできます(その後ジョビンは、テレーザと離婚することになります。)。ジョビンは建築学科に進学していましたが、義父のセルソに相談の上、結局、建築学科を中退し、音楽の道を進むことを決意します。
ジョビンはイパネマの町でバールに仲間と集いながら音楽活動を続け、その後、ようやくコンポーザーとしてヒット曲が生まれるようになります。そして、詩人で外交官でもあったヴィニシウス・ヂ・モライスと知り合い、2人の共作が軌道に乗ります。
ジョビンは、ジョアン・ジルベルトの控えめなヴォーカルを高く買い、共に製作した『想いあふれて』によってボサノヴァは世に送り出されることになります。
「大学のキャンパスは、こぞってこの新しい音楽を迎え入れた。ボサノヴァは学生たちの熱烈な議論のテーマだった。若い世代は瞬く間に、この音楽の虜となった。長い間まっていた、自分たちの感覚に合う新しいスタイルを持った、完全にブラジル製の音楽が現れたのだ。ボサノヴァは、彼らの悩みを、真実を、願いを表現してくれた。また、中流階級の音楽的な才能も、これを機会に国中で開花した。ムーブメントは、まるで火のついた導火線だった。」
その後ボサノヴァはアメリカでもヒットを記録します。歌詞は英語に置き換えられましたが、ジョビンは英語の歌詞の内容をとても気にかけていたようです。アメリカの中でも評論家の意見は二分されます。雑誌「ニューヨーカー」では「ボサノヴァ、ゴー・ホーム」と書かれ、ジョビンはショックを受けます。
この時期、ボサノヴァはアメリカのジャズと触れ合うことになります。スタン・ゲッツ、チャーリー・バード、キャノンボール・アダレイらはボサノヴァに大いに関心を寄せ、セロニアス・モンクは、ボサノヴァはニューヨークのインテリたちの音楽ジャズに欠けていたものをもたらしたと述べたそうです。
スタン・ゲッツとは、あの有名な『ゲッツ/ジルベルト』のレコーディングが行われ、これは大ヒットを記録します。しかし、このアルバムは決して簡単に生まれてきたものではなく、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの関係がうまくいかない中で録音されたものです。
フランク・シナトラとの共演も、シナトラの方からオファーが来ます。二人の共作は驚異的なセールスを記録します。シナトラのオファーが、ジョビンがあるバールにいたときにそのバールに直接シナトラから電話がかかってきたというのも大変面白いエピソードです。
その後、ジョビンはテレーザと離婚し、若いアナと再婚します。仲間のヴィニシウスの死去には大変ショックを受けます。
ジョビンの最大の悩みは、ブラジル本国におけるボサノヴァに対する理解の低さでした。不当な中傷を受ける中、成功者を正当に評価しないブラジルという国に対する不信感が募ります。「三月の雨」がコカ・コーラのCMに使われただけで、ブラジルのマスコミは中傷します。
「ブラジルは、自分のアーティストを愛さない国なんだ・・・」
ジョビンはその後膀胱癌を発症します。ニューヨークで手術を受けますが、心筋梗塞を起こし、命を落とすことになります。。。
ジョビンはエコロジストであったというのは、本書を読んでの一つの発見です。ブラジルの森が切り倒されていくことに心を痛め、近代都市が人間に押しつけてくる公害に嫌悪感を抱きいていたようです。
ところで、本書の解説は山下洋輔氏が書かれているのですが、ボサノヴァとジャズとの関係が大変鋭く捉えられていて、とても面白い解説となっています。
山下氏は、ジョビンが記者会見で記者の質問に答えて、
「ジャズはよく知らない。私は私の音楽をやってきただけです。」
と、ジャズからの影響を認めることを拒んだことに違和感を覚え、なぜジョビンが頑なにそうした立場をとったのかという問題意識で分析をされています。
その背景には、「ジャズ優位のボサノヴァ史観」が確立されており、それがジョビンのスタンスにつながっているのではないかというのが山下氏の分析です。
山下氏は次のように述べています。
「・・・・彼(=ジョビン)がその音楽を最初に創ったのであり、そこに勝手にジャズの方がやってきたのだ。ジャズの人々は燦然と輝く天才の音をブラジルに発見して、夢中になったのだ。・・・ジョビンは自分の曲がジャズミュージシャンに演奏されるについて、何一つ働きかけをしていない。連中が勝手に持っていって、勝手に録音し、勝手に大金を儲けた。これが発端ではないのか。」
ボサノヴァは今でも世界中のジャズミュージシャンたちによって、スタンダードナンバーとして日々演奏され続けています。ジャズがあるからボサノヴァが今でも世界中で生き続けているといっても過言ではないでしょう。ボサノヴァが世界中で一般的な認知を得るきっかけとなったのが、スタン・ゲッツとの共演であったことは周知のとおりです。
しかし、ジョビンにとっては、あくまでブラジルの音楽としてボサノヴァを確立してきたに過ぎないわけで、アメリカのジャーナリズムがジャズを優位に捉えることに不快感を覚えて当然でしょう。山下氏は、ジョビンが亡くなった後に出されたCDアルバムに付けられていたブックレットにおいて、ジョビンの音楽がいかにジャズと関係があったかという主張の正当化の傾向が感じられたと指摘されているのは大変興味深いです。
スタン・ゲッツがレコーディング中に自分以外のパートについてまで口出しする態度にジョアン・ジルベルトが反発したのは、正にそうしたジャズ優位史観という観点から見ると極めてすんなり理解できます。
20世紀を代表するコンポーザーであるアントニオ・カルロス・ジョビンの人間性を奥深く探った大変面白い本でした。