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戸堂康之「日本経済の底力」

日本経済の底力 - 臥龍が目覚めるとき (中公新書)

日本経済の底力 - 臥龍が目覚めるとき (中公新書)

 震災後の日本経済の立て直しについて論じた本です。

 著者の提言は大きく2つあります。

 一つ目は「グローバル化」。グローバル化により世界と緊密化することによって日本経済は強くなるという主張です。著者によれば、輸出や海外直接投資をすることで企業の生産性は上昇し、競争力が強化されることは、データに裏付けられているのだそうです。
 こうした観点から、著者はTPPの推進にも積極的です。

 二つ目は「産業集積」です。産業が集積した場所では、知識や情報が入手しやすくなります。集積地においてネットワークが発達すれば、「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように、技術進歩や生産効率の向上が促されることになります。

 私は、著者の主張のうち、2点目の「産業集積」については大変共感します。産業が地理的に集積すれば、そこではイノベーションが生まれやすくなります。世界はフラット化しているといえども、やはり地理的な近接性は依然として重要だと思います。

 著者は集積地がグローバル化して海外の知恵を取り込むことが必要だとしていますが、この点も同感です。集積の中だけでもそれなりのイノベーションは進むでしょうが、外と結び付くことで更なる飛躍が期待できるでしょう。

 また、著者は、産業集積の創出には政策が必要だとしています。集積があっても必ずしもネットワークが形成されるとは限りませんし、また、企業の研究開発には技術流出のリスクが伴いますので、公的資金で研究開発を促すことが必要だというわけです。この点も同感です。

 マイケル・ポーターは「クラスター」の重要性を唱え、我が国でも21世紀に入って以降、政府がクラスター形成を後押ししてきました。著者の産業集積の議論も、基本的にはこうしたクラスター形成の議論の延長線上にあると言えます。

 他方で、私は著者のグローバル化についての論じ方に違和感を感じます。

 まず著者は、輸出をすることで企業の生産性成長率が平均2%上昇するのだとします。しかしながら、企業が輸出をすることはそれほど簡単なことではありません。輸出でビジネス拡大を図ろうとする企業は山ほどありますが、輸出したくてもなかなか輸出のきっかけさえ掴めない企業がほとんどなのです。そういう中で輸出に成功し、ビジネス拡大に成功した企業が、生産性向上にも成功しているのは当たり前と言えば当たり前です。

 また著者は、企業が海外進出しても、かえって雇用が増えるから、グローバル化による産業の空洞化を心配する必要はないのだとします。その根拠はといえば、海外直接投資や海外への生産・サービスの委託では国内雇用は減らないということで概ね研究は一致しているのだというのです。
 しかし、これは俄に納得できるものではありません。東大の先生の主張にしては少し乱暴な議論です。一体どういう内容のデータや研究が存在するのかを示さなければ、その主張の妥当性を判断する術がありません。これだけ大胆なことを言っているわけですから、この部分は丁寧に論じる必要があります。

 さらに著者のTPPに関する議論も相当乱暴です。著者は、

「実際には農産物に対する関税が撤廃されたとしても、現在保護されている農産物の生産が壊滅するということは考えられない。」

と断言しています。ここまで断言するからにはよほどの根拠があるかと思いきや、

1.日本の農産物は海外のものより品質が高いことも多い
2.そもそも近年の農産品価格の上昇によって、コメをはじめとする農産物の国内と海外の価格差は狭まってきている
3.TPPに参加したとしても、農産物の貿易がすぐに自由化されるわけではなく、農業者は完全自由化までに十分に競争力をつける時間がある
4.製造業の臥龍企業がいるように、農業にも臥龍農業者がいるだろう

 この根拠を見る限り、著者は、本来次のように言うのが正しかったはずです。

「実際には農産物に対する関税が撤廃されたとしても、現在保護されている農産物の生産が壊滅するとは限らない。」

 にもかかわらず「考えられない」と断言してしまうのは、議論の流れとしてロジカルではありません。両者の意味合いは似て全く非なるものです。こういう重要な主張をされるのであれば、もう少し緻密に議論されるべき箇所です。

 このように、本書には腑に落ちないところも多々ありましたが、これからの産業政策として、「産業集積」に注目すべきとの主張に関しては、共感することができました。