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アンソニー・フリント「ジェイコブズ対モーゼス」

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

 ニューヨークを舞台に繰り広げられてきた、自動車のための幹線道路建設のための都市計画と、古くからの居住地を守ろうとする地域住民との間の壮絶な戦いを描いたノンフィクションです。

 ジェイコブズといえば、かつて黒川紀章氏が翻訳した『アメリカ大都市の死と生』が都市論のバイブルとなっている人物です。
アメリカ大都市の死と生 (SD選書 118) アメリカ大都市の死と生
 他方、モーゼスは行政に身を置き、ニューヨークの大型公共事業に絶大な権力を持ち続けた人物で、強引な手法でニューヨークの大改造に取り組んできました。モーゼスはイエール大学とオックスフォード大学を卒業しているエリートであるのに対し、ジェイコブズは高卒。そんな対照的な2人の戦いが本書の主要テーマです。

 ジェイン・ジェイコブズは高校卒業後、ジャーナリズムの道を志して、ペンシルバニアからニューヨークに出て来ます。当初はなかなか思うような職にありつけず、コロンビア大学のスクール・オブ・ゼネラルスタディーズに入学し、アメリカ憲法誕生についての論文を執筆します。やがて、戦時情報局の仕事を見つけ、国務省のオフィスに出勤するようになり、そこで建築技師の夫と出会うのです。

 その後、ようやく記者の仕事にありつき、都市政策に疑問を抱くようになります。都市計画によって取り除かれる旧市街地は、彼女から見れば、活気があり素晴らしい多様性を備えた地区だったのです。講演会での彼女の演説は注目されるようになり、ルイス・マンフォードも彼女の講演を高く評価します。

 一方、モーゼスは選挙では敗れたものの、ニューヨーク市の大型公共施設を牛耳る地位にまで上り詰め、長期にわたって実質的な権勢を振るいました。モーゼスは都市計画に対する住民の否定的な意見には耳を貸さず、強引に計画を進めます。ナポレオン?世の下でパリの大改造を遂行したオスマンこそが彼の鑑だったのです。

 彼はジョーンズビーチの整備やヘンリーハドソン・ブリッジの建設などを成し遂げます。そして、当時中心部が荒れ果て、人々が次々に郊外に出て行っていた状況の中、中心部の道路ネットワークを整備することで、再びニューヨークの中心部に人を呼び戻そうとするため、大胆な公共事業を次々と打ち上げては実行していったのです。

 ジェイコブズとモーゼスが激突したのは、ワシントンスクエアパークの建設に際してでした。モーゼスはワシントンスクエアパークを半分に割って中央に車道を通そうという計画を立てました。この周辺にはグリニッジ・ビレッジがあり、移民に加え、芸術家や作家などが集まり、独特の文化的空間を形成していました。ジェイコブズはそんな空間を大変高く評価していたのですが、他方モーゼスはこうした空間は荒れ果ててた空間としか捉えられませんでした。ジェイコブズはこの計画の抗議運動に加わります。ジェイコブズはジャーナリズムも巻き込んで反対運動を展開します。そして、結局、この計画を撤回に追い込んだのです。

 再びウェスト・ビレッジで都市再生事業が計画されると、ジェイコブズは先頭に立って反対運動を展開し、このときも計画を撤回に追い込みます。

 この頃、ジェイコブズはこれまでの経験を踏まえ『アメリカ大都市の生と死』を刊行します。出版社は「都市計画家が我々の都市を破壊する!」というセンセーショナルな新聞広告の見出しを付けました。冒頭文には次のように記載されていました。

「この本は今の都市計画と再建に対する攻撃です…都市やあるいは都市の近隣を人工的な整然としたものにつくり替えることで、秩序立ったものになるとする考え方は、現実の人間の生活を排除して人工的なものに置き換えてしまうという間違いを犯すことになるのです」

 ジェイコブズはこの本の中で、近隣地域の密集は素晴らしいものだと主張することになります。多様性のある密集こそが理想的だと彼女は考えました。都市の交通渋滞は悪というわけではなく、むしろ渋滞が乗用車の使用を抑える効果があり、歩きや自転車、地下鉄の使用を奨励することになるのだと彼女は捉えます。

 この本は、行政の都市計画担当者からは当然反論が寄せられました。ルイス・マンフォードはこの本の中でジェイコブズから批判されていたため、「女学生の大間違い」となじりました。しかし、この本は多くの人々から賛辞が送られることになります。

 ジェイコブズはウェスト・ビレッジ都市再生計画を撃退した後、模範となる住宅事業プロジェクトである「ウェストビレッジハウス」を計画します。これは新たに大きな高層住宅を建築するのではなく、近隣に調和する形で建築されます。これによって、彼女は行政の提案に刃向かうだけでなく、自らのアイデアを実行した人と認められることにもなります。

 さらに、ローワーマンハッタン・エクスプレスウェイ(別名ローメックス)の建設計画に際しても、モーゼスとジェイコブズは戦いを繰り広げます。この計画については、市長の意向がたびたび変わり、紆余曲折がありました。そして、この計画についての公聴会で彼女は逮捕されることになります。結局、この計画は市長による撤回で幕を閉じました。その後、モーゼスは権力の座から転落することになります。ロバート・カロが『パワーブローカー』を執筆し、モーゼスの数々の悪事を痛烈に告発し、モーゼスは隠遁者のような晩年を過ごすことになります。ジェイコブズもトロントに移り住み、人前にあまり姿を現すことが少なくなりました。

 ・・・ここまで読み進めてくると、著者は一方的にモーゼスを悪者に仕立てているように見えるのですが、本書の最後では、近年、モーゼスの遺した業績に対する再評価が行われていることに触れられています。モーゼスがニューヨークの社会インフラを整備したといったものです。都市部でできるだけ多くの住宅をつくり、幅広い所得層の人々が購入できるようにする必要があるという点では、2人の意見は一致していたのです。違っていたのは、住宅のあるべき姿だったのです。


 さて、本書は、2人の戦いを軸に大変刺激的なストーリーが展開されるのですが、末尾部分を除き、明らかにジェイコブズが正義でモーゼスが悪という構図で描かれています。読者の受ける印象としては、地域を分かっていない悪の「行政」が上から押しつけた大胆な再生計画に対して、押しつけられた「住民」が正義に基づき最後は勝つのだ、といったメッセージのようにも感じられます。

 しかし、都市づくりは「行政vs住民」といった単純な構図で捉えてもよいのでしょうか?

 言い換えれば、行政の側に立って都市づくりを推し進めたモーゼスは悪一辺倒だったと捉えられるべきなのでしょうか?

 もちろん、モーゼスの都市再生の進め方が強引で、住民との話し合いを軽視していた面というのはあるのかもしれません。かといって、都市再生における行政の役割自体は決して否定されるものではないはずです。本来、都市再生において行政と住民は協働関係にあるべきはずです。

 そういう意味では、本書はやや偏りのある見方で全体のストーリーが進んでいるような気がどうしてもしてしまうのです。

 もちろん、『アメリカ大都市の生と死』におけるジェイコブズの都市論は大変素晴らしく、特にストリートの重要性を指摘する箇所などは目から鱗が落ちる思いがしながら読んだものです。しかし、だからといって、自然発生的な街並みがベストだということにはならないはずです。時にはジェイコブズの言うようなよりよい街並みを構築するために、行政が大胆な都市再生をしなければならない場合だってあるはずなのです。

 だから、本書で著者が

「たぶん『死と生』の最も革新的な側面は、ダウンタウンの再開発や住宅、公園、近隣地域を成功させるには都市計画は全く役に立たないということ、そして都市や都市の近隣はそれ自体、自然発生的構造をもっていて、机上では決してつくり出せないという論点にあった。ジェイコブズの主張は、都市計画家は彼らのやるべき仕事をきちんとしていないばかりでなく、彼らの仕事、それ自体が全く無意味だということだった。」(p194)

と指摘していることには、私は全く共感できないのです。

 また、ジェイコブズが自動車優先ではなく、人間の歩行優先の街づくりを目指したことは大変共感しますが、だから自動車用の幹線道路が要らないかといえば、決してそんなことはないでしょう。日本でも首都高速道路の建設に当たって、様々な景観が失われたことについて論争がありますが、しかし、当時首都高速道路を作る必要がなかったという極端な意見はあまり見られないように思います。

 要するに、問題は2つの視点のバランスをどう図っていくか、なのです。

 この点については、訳者である渡邉泰彦氏もおそらく同じような問題意識を抱かれているのではないかと思われます。

「都市の再生は行政が計画することで可能になるというモーゼスと、都市は自己再生力を持っていて有機的な自己発展が可能だと信じているジェイコブズとがいて、二人とも決して譲歩しないのだ。振り返れば、都市再生にはどちらの考えも重要な視点であり、バランスがとられるべきだったのに、譲歩なき闘いだったから、ふたつの考えの対立は拡大していくばかりで、決して交わることはなかった。」

という訳者の指摘には全面的に賛同します。
 また、近年のモーゼスの再評価について

「わたしには遅すぎた再評価に見える」

と述べておられますが、私も共感します。

 いろいろ考えさせられる内容ではありましたが、ジェイコブズの市民運動家としての側面をリアルに感じることができ、必読の本と言えるでしょう。