- 作者: 谷崎潤一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1995/09/18
- メディア: 文庫
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「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」
というフレーズに、このエッセイのエッセンスがあります。
厠は薄暗がりの中で清浄と不浄との境界が朦朧となる方がよい、漆器の美しさは薄暗がりの中で本領を発揮する、等々。
谷崎はこうした陰翳のもつ効果を
「陰翳の魔法」
と呼びます。
とかく明かりが氾濫する現代社会から見れば、この谷崎の主張は斬新に感じることは事実です。日本と西洋の対比について見ても、壮麗なヨーロッパ文化と比べて日本文化は質素でわびさびを感じさせるものであり、谷崎の見方はそれはそれで実感に沿ったものだという感じがします。
個人的には、この標題となっているエッセイよりも、その後に続く幾編かのエッセイの方が遙かに面白いように感じました。
「らい惰の説」(※「らい」はりっしんべんに頼)は、日本にあるものぐさな思想について語るもので、日本人自身は勤勉ではあるが、年中あくせくと働く者を冷笑し、時には俗物扱いするといういわば「らい惰の美徳」ともいうべき考え方を持っていると述べています。
「恋愛及び色情」については、日本人の恋愛に対するスタンスを述べたもので、日本人は恋愛の芸術を認めないわけではないものの、うわべは素知らぬふりを装ったのであり、それが日本人の社会的礼儀だったとしています。西洋文学は日本文学に対して「恋愛の解放」「性欲の解放」をもたらしたのだという指摘は興味深いものです。
「西洋の婦人が女性美の極致に達する平均年齢は、三十一二歳、―即ち結婚後の数年間であると云うが、日本においては、十八九からせいぜい二十四五歳までの処女の間にこそ、稀に頭の下るような美しい人を見かけるけれども、それも多くは結婚と同時に幻のように消えてしまう。」
といった指摘や、
「つまり男の側から云うと、西洋の婦人は抱擁するよりも、より多く見るに適したものであり、東洋の婦人はその反対であると云える。」
といった指摘は、フェミニズムの方々にはとても耐え難い表現かもしれませんが、とても斬新で面白い表現です。食生活の変化などによって、今日ではだいぶ当たらなくなってきているかもしれませんが。
「客ぎらい」は、人と会うのが億劫な著者が、猫のしっぽに憧れるという話。返事するのが億劫なときでもしっぽをブルンと動かせば済むのだ、というわけです。
標題作に続くこれらの作品の方が、谷崎の人間味がストレートに現れていて、大変興味深く感じました。