これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
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サンデルは、正義論は「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」の3つの理念を中心に展開されているとします。「幸福の最大化」は功利主義、「自由の尊重」はリベラリズム(あるいはリバタリアニズム)、「美徳の促進」がコミュニタリアニズムの立場をそれぞれ表していることは言うまでもありません。サンデルはこの3つの立場を順を追って取り上げていきます。
サンデルがまず取り上げるのは功利主義の立場です。4人の船乗りが乗った船が沈没し、4人は救命ボートで海を漂流することになった。このとき、1人の雑用係の若者が体調を崩し死にかけているように見えたため、その若者は殺害され、残りの3人の船乗りはその血と肉で生き延びることができた。1人の雑用係が殺されることで3人の船乗りが生き延びることができたとして、この殺害を容認する立場が功利主義の立場です。
この功利主義の立場には2つの欠点があるとサンデルは述べています。第一の欠点は個人の権利を尊重しない点、第二の欠点は好みを合計するために単一の尺度で計る必要があるという点です。
次にサンデルはリバタリアニズムを取り上げます。幸福を最大化するという功利主義の主張によれば、富の再配分は正当化されることになりますが、リバタリアニズムの立場は、富の再配分に対して異論を投げかけます。リバタリアニズムは「自由」の名の下に制約のない市場を支持し、政府規制に反対します。その代表格であるミルトン・フリードマンは社会保障でさえ、
「ある人がみずからの意思でその日暮らしを好み、自分の持つ資源を目先の楽しみに費やし、わかっていて不毛の老年期を選ぶのだとすれば、われわれはいかなる権利で、その人の行為を阻止できるだろうか?」
としてこれを否定します。
また、ノージックも、
「働いて得た所得に対する課税は強制労働と同じである。」
として、課税による富の再配分の正当性を強く否定します。
こうしてリバタリアニズムの立場は、個人の自由を強く主張し、制約のない市場を擁護するわけですが、これに対してサンデルは、志願兵制を例にとり、限られた選択肢しかない人間にとっては、自由市場はそれほど自由でないといった反論や、金をもらっての妊娠を例にとり、金では買えない美徳や高級なものが存在するといった反論を取り上げています。
リバタリアニズムと同様に自由を重視するのはリベラリズムの考え方です。カントは功利主義を徹底的に批判し、自由を道徳の最高原理とします。カントのいう自由とは、純粋理性に基づく自律性に基づき行動することです。そして、無条件に何らかの行動を命じる「定言命法」に従うことこそが自律的な自由だと考えるのです。こうしたカントの考え方が功利主義の考え方と相容れないことは明らかでしょう。
さて、リベラリズムの立場を発展させたのがジョン・ロールズです。リベラリズムの立場からは同意が重視されるわけですが、ロールズは「無知のベール」という有名な原則を提唱します。つまり、人々が原理原則を選ぶために集まったとき、自分がどの位置にいるのかは分からない状態の下でどのような原則を選ぶだろうか?という問いかけです。ロールズは、こうした状態の下では功利主義は選択されず、次の2種類の正義の原理が導かれるとします。
第一は、言論の自由や信教の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与えるというものです。第二は、社会的・経済的平等に関し、所得と富の平等な分配を求めるものの、社会で最も不遇な立場になる人々の利益になるような社会的・経済的不平等のみを認めるというものです。
ロールズはこうした考え方から、功利主義やリバタリアニズムの考え方を批判的に捉えます。そして特に格差原理に基づく平等主義を唱えます。つまり、天賦の才の持ち主にはその才能を訓練して伸ばすよう促すとともに、その才能が市場で生み出した報酬は共同体全体のものであることを理解してもらうというものです。ロールズの平等主義は、努力すら恵まれた育ちの産物だとするほど徹底したものです。
こうしたカントやロールズのリベラリズムの立場は、中立的な立場から正義と権利のよりどころを見出していこうというものです。そしてそれは、道徳的・宗教的論争に政治や法律を巻き込まずにすむという希望を与えるかのようにも見受けられます。にもかかわらず、サンデルはこうしたリベラリズムの自由観には欠陥があると断じます。
「選択の自由は−公平な条件の下での選択の自由でさえ−正しい社会に適した基盤ではない。そのうえ、中立的な正義の原理を見つけようとする試みは、方向を誤っているように私には思える。」
サンデルはリベラリズムに対して、次のように鋭く批判を展開しています。
「リベラル派の自由の構想の弱点は、その魅力と表裏一体だ。自分自身を自由で独立した自己として理解し、みずから選ばなかった道徳的束縛にはとらわれないと考えるなら、われわれが一般に認め、重んじてさえいる一連の道徳的・政治的責務の意義がわからなくなる。そうした責務には、連帯と忠誠の責務、歴史的記憶と信仰が含まれる。それらはわれわれのアイデンティティを形づくるコミュニティと伝統から生まれた道徳的要求だ。自分は重荷を負った自己であり、みずから望まない道徳的要求を受け入れる存在であると考えないかぎり、われわれの道徳的・政治的経験のそうした側面を理解するのは難しい。」
これこそコミュニタリアニズムの立場です。
コミュニタリアニズムの立場のベースには、アリストテレスの思想が横たわっています。アリストテレスは目的論的な思考を重視する立場です。つまり、正義と権利をめぐる議論は、社会制度の目的をめぐる議論であるという立場です。
そしてアリストテレスにとって政治的共同体の至高の目標は国民の美徳の涵養です。つまり、政治は善く生きる術を学ぶためにあり、政治の目的は、人々が人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだというわけです。だから、アリストテレスにとって、都市国家に住み政治に参加することでしか、人間は本質を十分に発揮できないということになります。
サンデルらコミュニタリアニズムの立場はこうしたアリストテレス的な発想を踏襲し、道徳的不一致についても公共が積極的に関与していくべきだと主張するのです。こうした関与の結果、道徳的・宗教的問題が解決されるという保証はありませんが、しかしやってみないと分からないではないか、というのがサンデルの主張です。
サンデルの整理を見やすく表にまとめると以下のような感じになります。
近年の日本の政治の風潮として、功利主義的な発想(例えば費用便益分析)やリバタリアニズム的な発想(例えば規制緩和論)がはびこっていますが、そうした主流的な発想に反感を持つ人々がよりどころとすべき論拠はなかなか見つからなかったというのが現状のように思います。しかしながら、サンデル教授はそうした思想について論理的に緻密に検証し、批判的な立場の基盤を作ることに成功しているように思います。こうした政治哲学の主張を現実の政治イシューに絡めながらここまで分かりやすく論じた本がこれまであったでしょうか?
そうした意味で、本書は極めて貴重な本ですし、公共政策に携わる全ての人にとって必読の書ではないかと思います。
一つ難点を言えば、これはコミュニタリアニズムの立場に共通する点でもあるのですが、どうしても最後の共通善とは何かという議論になると勢いがなくなってしまうような印象を受けてしまうのです。
リベラリズムが指向するように、政治が完全に中立的になり、政治の文脈から道徳的・宗教的問題を排除することは、サンデルの言うように困難でしょう。しかしながら、政治がそうした課題にコミットしすぎることの弊害というのもやはり見過ごせません。政治はある程度中立を保つべきというリベラリズムの発想が受け入れられやすい事情も他方でよく理解できます。
※コミュニタリアニズムの立場の困難さについては、以下参照
菊池理夫「日本を甦らせる政治思想 現代コミュニタリアニズム入門」 - loisir-spaceの日記
それはさておき、本書が功利主義やリバタリアニズムに対する適切な批判的基盤を与えてくれることは間違いありませんので、多くの方々に是非手にとって熟読していただきたいと思います。