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映画、書評、ジャズなど

「愛を読むひと」★★★★☆

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD14040/index.html
 原作はベルンハルト・シュリンクの『朗読者』です。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

 1995年にドイツで刊行されると世界中の大ベストセラーになり、日本でもミリオンセラーを記録します。原作者のベルンハルト・シュリンクフンボルト大学の法律学の教授です。映画化は当初は『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラが監督を務める予定だったものの、ミンゲラが亡くなったため、スティーヴン・ダルドリーが監督を務めたということのようです。

 15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)は、帰宅途中に熱病で具合が悪くなったところを、通りすがりの21歳年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)に助けられる。病気が治った後にマイケルはハンナの元へお礼を言いに行くが、以降2人は激しい逢瀬にのめり込んでいく。ハンナはマイケルからベッドの上で物語を読み聞かせてもらうことを好んでいたが、ある日突然マイケルに別れを告げず家から姿を消してしまう。

 その後マイケルは大学生となり、そこで取ったゼミの一環でナチス裁判を傍聴することになったのであるが、そこで被告席にいるハンナを目にする。ハンナはナチ親衛隊の看守として働いていたのだった。彼女はユダヤ人の囚人たちを選別して死へと送り出す任務を負っていた。また、死の行進と呼ばれる事件に際しては、囚人たちが滞在する教会が敵に突然爆撃された際、教会の鍵を開けずに囚人たちを炎の中に見殺しにした罪に問われた。他の看守たちはハンナに一身に罪をかぶせようとし、この事件のレポートもハンナが書いたものだと主張した。裁判官はハンナに筆跡鑑定をさせようとしたが、ハンナはそれを拒否し、自分がレポートを書いたことを認める。

 しかし、実はハンナは文盲であり、筆跡鑑定で文盲であることを知られるのを恥じて、自分がレポートを書いたのだと告白したのだった。傍聴席で見守っていたマイケルは、彼女が恥じる気持ちを汲み取り、やむなく彼女が文盲であることを証言することができなかった。

 ハンナはこの告白によって看守の中で1人だけ終身刑を言い渡される。弁護士となり妻との離婚も経験したマイケル(レイフ・ファインズ)は刑務所にいるハンナに、かつて読み聞かせた物語をテープに吹き込んで送り続けた。ハンナはその物語を読めるようになるため、一生懸命に文字を勉強し、マイケルに手紙を書いた。

 やがてハンナは出所が認められ、マイケルは長い時を経てようやく年老いたハンナと面会する。そして出所当日、他に身寄りのないハンナを引き取ろうとマイケルは刑務所に足を運ぶが、そこでハンナが自殺したことを知る。

 ハンナがマイケルに託したわずかな蓄えを持って、マイケルは死の行進事件の生き残りのユダヤ人とアメリカで面会する。そのユダヤ人の女性は今やニューヨークの高級そうなマンションで暮らしていたが、ハンナの残したお金を受け取ることは拒否する。

 マイケルは自分の娘に一連の話を伝えようとするところで、映画は終わる・・・。


 あまりに重いテーマを扱った作品です。ドイツ人にとって最大のタブーである問題にあまりに真っ正面から切り込んでいます。戦後のドイツには、ナチスに荷担したドイツ人は徹底的に叩かなければならないという不文律がありますが、この作品は、ナチス親衛隊の一員として看守を務めていたハンナに同情的に描かれていることは明らかです。

 特に、裁判の中でハンナが裁判長に向かって、

「あなたなら、どうしましたか?」

と問いかけ裁判長が無言になる場面はあまりに印象的です。ベルンハルト・シュリンクの最大の意図も、このいわばタブーである問いかけを人々に提起することにあると言えます。

 文盲であるハンナはおそらくは貧しい家庭の育ちです。そんな女性が良い職にありつこうとたまたまナチスの看守の求人に応募し採用され、そして上司の言うことに忠実に職務をこなし、囚人たちが滞在する教会が爆撃を受けた際も、囚人たちを監視するという任務を忠実に遂行しようと行動したばかりに、大罪に問われる境遇に陥ってしまった、ベルンハルト・シュリンクはこういう真実にもう一度目を向けるべきと考え、この作品を世に問うたに違いありません。

 もちろん、ベルンハルト・シュリンクナチスの行為を正当化しようなどと考えているわけでは毛頭ありません。そうではなく、組織の末端で上からの指令を忠実に実行しただけの普通の人たちに対する評価を見直すべきだと考えているのでしょう。

 それにしても、こうした問題提起はそれまでのドイツの常識からするとあまりにチャレンジングな試みであることには違いありません。事実、文庫本の後書きによれば、シュリンクの描き方に対しては、加害者としてのドイツ人を断固糾弾すべきというポリティカル・コレクトネスに反するという批判が何人かの批評家から上がったようです。

 映画においても、獄中で最期を遂げるハンナに対して、生き残ったユダヤ人の娘はニューヨークの高級そうなアパートで優雅に暮らしているという境遇の対比、そのあまりにストレートな描写の仕方に思わず冷や冷やしてしまいました。

 この作品で取り上げられたような問題は、日本においても、日本軍の末端の兵士たちの戦争責任を考える際にはもちろん避けられないわけですが、それにしても、ドイツの場合、1943年当時でドイツ国内に90万人のナチス親衛隊がいたということですから、日本と比べものにならないほど、未だに社会全体にとって根深い問題として生き続けているのかもしれません。ドイツには、当時の罪の意識を抱えていたり、あるいは罪の意識を拭おうと賢明に努めている人々が未だに大勢いるのかもしれません。他方で、そういう人々の多くは、ではあのとき一体どうすればよかったのかと自問自答しているのかもしれません。そんなドイツの抱える闇をこの作品はストレートに伝えてくれます。

 それにしても、村上春樹の『1Q84』でもそうですが、こういうあまりに重いテーマをストレートに提起できてしまうのは、やはりフィクションならではでしょう。この作品もフィクションがノンフィクションを超えた瞬間を見せつけてくれます。