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映画、書評、ジャズなど

村上隆「芸術起業論」

芸術起業論

芸術起業論

 「スーパーフラット」で一躍評価が高まった村上氏の芸術論です。日本ではあまり評価されず、半ば失意の中渡米し、アメリカで評価された村上氏の視点を通して、今日の日本の芸術分野における問題点をえぐり出している本です。タイトルからは、ビジネス書的な軽さを連想させますが、読んでみると歯に衣着せぬ物言いが大変ストレートで分かりやすく、かつ、とても共感できる部分が多かったという印象です。

 本書の中で村上氏が最も強調している点は、

「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」

です。つまり、芸術が評価されるためには、それが歴史の中で意味づけをされることが必須であるということです。日本では芸術とは独りよがりの「魂の叫び」みたいに捉えられている節がありますが、村上氏はこうした見方をばっさり切り捨て、日本の芸術を西洋の美術史の中に位置付けることの重要性を説いているのです。

 村上氏は、「スーパーフラット」で、日本の芸術を欧米の美術史の中に位置付けることに成功します。これによって、「スーパーフラット」はポップにかわる新しい概念かもしれないと捉えられ、大ブレイクします。

 村上氏は欧米と日本の芸術の違いは、

「日本の現代美術の歴史のなさ」

を反映していると述べています。それは、敗戦の影響によるものだと村上氏は分析しています。すなわち、欧米の美術は階級とともに形成され、そこに多額の資金が投入されて活性化されてきたのに対し、日本の芸術は戦後民主主義の中で美術は万人に理解できるものであるべきと認定されたため、欧米とは異なり、金銭面の活性化も起こらなかった、そうした事情によって、日本は欧米の美術を読み解くための文脈を見失ってしまったというわけです。

 こうした状況の中で、村上氏が日本の芸術を欧米の美術史に位置付けるために提案したのは、日本のサブカル的な芸術の文脈を構築し直して認めさせるという戦略だったわけです。村上氏は、「かわいらしさを重視する文化」や「オタク文化」を日本の知的芸術的資源として捉え発展させようと試み、そのことが欧米から評価をもたらしたのです。

「日本人の敗戦後の「基盤を抜きとられた世界観」は、今後世界中で共感を受ける文化としてひろがるのではないでしょうか。」

と村上氏は述べ、サブカル的な要素が日本で生み出されたのは、敗戦とその後の平和状況がもたらしたものだと捉えています。戦後の歴史の断絶や占領下における主体性の喪失がオタク文化を生み出したとして、それを積極的に欧米の美術史の文脈に位置付けてしまう、このしたたかさが村上氏の成功をもたらしていることがよく分かります。

 他方で村上氏は、日本が生み出すキャラクターには神道における八百万の神という多神教と深い関係があるとも述べており、一面では日本文化のサブカル的要素を古くまで遡って捉えている点も注目されます。

 正直、本書を読んで、村上隆という芸術家に対する見方がガラッと変わりました。もともと日本で評価されずに渡米して初めて評価された人物です。にもかかわらず、日本の芸術が置かれた状況を改善するために努力を惜しまず、後進の指導育成にも当たっている姿勢は、大変評価に値します。

 確かに作品の斬新さには度肝を抜かれます。オークションで16億円の値が付いた「My Lonesome Cowboy」などは、勃起した性器から精子を放出する男性像ですが、表面的に捉えればなぜこれが評価されるのだろうかと多くの日本人は疑問を持たざるを得ないわけですが、本書を読めば、村上氏はこうしたオタクのサブカル的な要素こそ、日本の芸術が欧米の美術史に位置付けられ評価されるために最も強力な手段であることをはっきりと自覚してこうした作品を世に問うていることがよく分かります。

 こうして見てくると同じく欧米で大変な評価を受けている村上春樹氏の作品も、実は村上隆氏の作品と共通する要素があるように思えます。村上春樹氏の作品にも「ノルウェイの森」に見られるように、性的関係がストーリーの根幹に据えられているものが数多く存在します。そうした性描写をカラッとしたタッチで描いてしまう点にこそ、日本の文化が世界各国で受け入れられている要因となっているのかもしれません。


 ところで、今国会などでは、文部科学省が打ち出した「国立メディア芸術総合センター」が民主党によって「国営マンガ喫茶」として批判されていますが、どうも日本人はいまだに日本の芸術の世界における強みを理解していないように思われます。先日読んだ櫻井孝昌「アニメ文化外交」からも伺えるように、今や外国人が日本文化に入るきっかけは圧倒的にアニメ・マンガです。多くの外国人たちはアニメ・マンガをとっかかりとして日本文化に関心を示すようになっており、これらを求めて日本にやってくる人々も多いわけです。

 しかしながら、そうした外国人たちがいざ日本に来ても、いったいどこを訪れればよいのか路頭に迷ってしまいます。そんなときに、日本の現代芸術が一同に展示された施設があれば、一大観光地になり得る可能性があるわけです。

 パリに行く観光客は必ずルーブル美術館を訪れてみたいと思うのと同様に、日本に来る観光客は必ずこのメディア芸術センターを訪れたいと思うといったような施設を作るというのであれば、100億円以上の予算を使うことも決して無駄ではありません。

 石坂啓氏は、

「国費で額縁に原画を飾っても、ありがたがって見に来るマンガ好きはいない。恥ずかしいから私の作品は並べないで」

などと言っていますが、額縁に原画を飾るという発想はずいぶん貧困です。とにかく、そこに行けば、アニメやマンガの最新の動向が分かるというような情報発信基地とすることが重要です。そして、中途半端な予算でやるよりも、しっかりとした予算で、きちんとした建築家の手によって独創的な施設を建設することが重要でしょう。百年のスパンでマンガを日本の芸術として考えていくのであれば、今からきちんと国を挙げてその重要性を訴えていくことに極めて大きな意味があります。

 話が逸れましたが、本書は日本の文化政策を考える上では必読の書と言えます。