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ヘミングウェイ「移動祝祭日」

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

 一流の作家の書くエッセイは実に深く説得力があります。
 本書は、晩年のヘミングウェイが前妻のハドリーと1920年代に過ごしたパリ時代の想い出を美しいタッチで振り返ったものです。

 パリに滞在していたヘミングウェイは、居心地のよいカフェに足繁く通いながら創作活動に打ち込んでいたのですが、この時期のパリにはガートルード・スタインエズラ・パウンド、シルヴィア・ビーチ、スコット・フィッツジェラルドなど、多彩な顔ぶれがそろっており、彼らに対するヘミングウェイの身近な距離からの分析が、自分があたかもこの時代のパリに滞在しているかのような生き生きとした錯覚を与えてくれます。

 ガートルード・スタインの場合、ヘミングウェイは多大な影響を受けているようで、両者の間に交わされた会話が克明に描かれています。ヘミングウェイはミス・スタインのある種の強さに惹かれていたようですが、ある日ミス・スタインの家を訪ねてミス・スタインが降りてくるのを待っているとき、彼女が誰かに対して卑屈に懇願する声を聞いてしまった件を境に彼女との仲に終止符が打たれたということが、「実に奇妙な結末」と題する章に綴られています。

 スコット・フィッツジェラルドについては3章に渡って綴られています。妻ゼルダの放埒ぶりに振り回されるスコットの様子が克明に描かれています。『グレート・ギャツビー』の出版を終え、売れ行きはそれほどではないものの、高い評価を得ていることに対する満足感と落胆の気持ちが複雑に入り交じったスコットの様子が伝わってきます。
 ヘミングウェイは、フィッツジェラルド夫妻が悪天候のためにリヨンに置いてきた車を取りに行って戻る旅を、スコットと2人で過ごすことになりますが、その道中におけるスコットの行状を幾分あきれた心境で綴っています。
 自分の作品とそれがもたらす収入が詳細に記載されたリストを誇らしげに見せびらかすスコットの姿や、いい短編を書いた後に評判をとるための味付けを加えた上で雑誌に掲載するのだと誇らしげに語るスコットの姿、妻ゼルダから“サイズ”の問題を指摘されて気にするスコットの姿からは、彼のもつ“不器用なしたたかさ”が伝わってきます。

 アーネストとハドリーのヘミングウェイ夫妻は、こうしてパリにおける多彩な交流を通じて、貧しいなりにも幸せな生活を送っていたわけですが、この関係がある時を境に壊れていったことが、最終章の「パリに終わりはない」で綴られています。ヘミングウェイ夫妻は、2人の間にできた子どもを連れてオーストリアのシュルンスに滞在します。この時期にアーネストはポーリーン・ファイファーと浮気をすることになり、ハドリーと別れる結果となります。

 アーネストはこうした経緯について、「リッチな連中」が「パイロット・フィッシュ」の先導でやってきて、自分たちの幸せな生活を蹂躙したのだというトーンで綴っています。

 アーネストの叙述の仕方は、自分の浮気の責任を誰かになすりつけようとしているかのようにしか見えないのですが、おそらくアーネストは、この時期の浮気を晩年に心底後悔しているのでしょう。振り返ってみたときに、この浮気によって貧しいけれども至福だった時間があっけなく失われてしまったことを悔やんでいるのでしょう。「パリは終わらない」という章のタイトルも、あの頃のハドリーと過ごした至福の時間は自分の心の中で永遠に失われないのだという願望が込められているのでしょう。

 訳者の解説によれば、アーネストがこのエッセイを綴っているときに、突然ハドリーの元に34年前に別れたアーネストから電話があり、当時の人たちの名前を確認してきたのだそうです。それから3ヶ月後にアーネストの訃報がハドリーの元に届きます。こうした経緯も踏まえると、このエッセイはハドリーに捧げられたものと解して間違いないように思います。

 それにしても「移動祝祭日」(=Movable Feast)という本書のタイトルが何と素晴らしいことか。生前のアーネストは“Paris Nobody Knows”(誰も知らないパリ)や“The Early Eye and the Ear”(若き日の眼と耳)、“The One True Hunger”(一つの真実の飢餓)といった仮題を考えていたようですが、「移動祝祭日」というタイトルは、アーネストの晩年に親交が深かったホッチナーというライターがメアリー夫人に進言して決まったものだということです。

 訳者解説によれば、アーネストは、パリで暮らしたいと打ち明けたホッチナーに対して、次のように述べたとされています。

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリはa movable feastだからだ。」

 実に意味深な言葉です。祝祭の本質が非日常であるとすれば、パリは非日常を日々体験できる街だということになります。パリという街の魅力の本質をこれほど端的に表現できる言葉はないでしょう。

 最後に、印象に残ったフレーズです。

「たとえ偽りの春だろうと、春が訪れさえすれば、楽しいことばかりだった。問題があるとすれば、どこですごすのがいちばん楽しいか、という点に尽きただろう。」

 パリの春の豊穣さ、そして当時のアーネストの幸せ溢れる様が伝わってきます。

 これだけでなく、本書は、読む人によって印象に残るフレーズがそれぞれ違ってくるのではないかと思われます。それだけ、本書は、優れた文章表現の宝庫なのです。