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映画、書評、ジャズなど

アジア漫遊記その3(ホーチミン編)

 最後に訪れた都市はベトナムホーチミンです。かつてのサイゴンで、ベトナム戦争の際には米軍の最後の1人が脱出したという街です。社会主義の中でもドイモイ政策に象徴される独特の道を歩んできた国家で、近年は中国と並ぶ飛躍的な経済成長を遂げています。どんな雰囲気なのか胸を躍らせながら足を踏み入れました。

バイク、バイク、バイク・・・

 夕方空港に到着しホーチミンの市内に向かいますが、まずあっけにとられるのが、バイクの多さです。ちょうど仕事が終わる時間帯だったというのもありますが、それにしても、あまりのバイクの多さには唖然としてしまいます。言葉は悪いですが、よくイナゴが大量発生して畑の上を大挙して飛び回っている映像がTVなどで放映されていますが、そんな光景を見ているような感覚です。

 2人乗りはもちろん当たり前で、4人乗りのバイクを何度も見かけました。大人2人に子ども2人をサンドイッチする形で乗っているのです。そんな危険なバイクが、自動車やバイクの間をすり抜けながら平然と走っていくのですから、日本人の感覚からすれば卒倒ものです。

 ベトナムで良く耳にする話として、こんな話があります。ベトナムでは女性は勤めに出るが、男は1日中バイクを乗り回しており、夕方になると女性を迎えに仕事場まで行き、女性を連れて帰るのだとか・・・。こんな話はベトナムの男性陣にとってはあまり名誉な話ではないので、あまり根拠のない話としておきたいと思いますが、確かにそう言われて見ていると、何となくそんな感じもしなくもありません。日系企業の工場でも、男性よりも女性の方がまじめに働くので雇いやすいという声もあるようです(男はすぐ喧嘩ばかりするらしい・・・)。
 確かにベトナムの歴史は、外敵と戦い続けてきた歴史と言え、男はその都度、戦闘に駆り出され、過酷な戦場で戦ってきたわけです。だから、逆に平時は、男よりも女の方が働いているとしても不思議ではありません。ベトナムという国は平時においては女性が支えている国と言っても過言ではないような気がします。

 それにしても、このバイクの集団は一体どこに向かっているのでしょうか?そんな疑問をベトナムを訪れた誰しもが抱くことになります。これに関してもいろいろな説があるようで、ある人は、ベトナムの家が狭いので家に閉じこもっているのではなくバイクで走り回っているのだと説明しますし、またある人は、ベトナムは暑いのでバイクで走ることによって涼んでいるのだと説明します。どの説が正しいのか定かではありませんが、いずれにしても、バイクで走り回っている人たちのかなりの割合が、たいした目的もなく走り回っているのというのは実感として正しいのではないかという気がします。

命がけの道路横断

 ベトナムに来て誰しもがとまどうのは、道路横断の時でしょう。幹線道路のような幅の広い道を現地の人たちは実にうまくすり抜けて横断します。とにかくあうんの呼吸でバイクの運転手の目を見ながらその間をうまくすり抜けていくのです。

 初心者はそう簡単にはこの技を身につけることができません。私もかなり広く交通量の多い道路の横断にチャレンジしてみましたが、道の真ん中当たりまで行くと恐くなってしまい、そのまま元の側に引き返してしまいました。すると現地の方が見ていられなくなったのか「戻っては駄目だ!」と叱咤されてしまいました。確かに、バイクを運転する側は歩行者が後ろに戻るということは想定外なので、急に後戻りされるととっさによけられない可能性があり、現地の方が言うことはもっともなのです。

 上海(右側通行です。)でも常に右折は自由だという交通ルールがあり、信号が青で横断歩道を渡っていても、いきなり車がつっこんで来ることがしばしばあり、とんでもなく危ないルールだと思っていたのですが、ホーチミンの交通ルールの危なさは上海の比ではありません。

 夜、シェラトンホテルのてっぺんの屋外のバーから真下を眺めていると、車やバイクの動きが一目で分かるのですが、それを見ながらまた感心してしまいました。真下に見える交差点には信号機はないため、交通量の多い2つの道が交わっているにもかかわらず、常にあらゆる方向から車がつっこんでくるのですが、それが実にうまく互いにすり抜けながら進んでいくのです(もちろん、街に一切信号機がないわけではなく、付いているところにはちゃんと付いています。)。

 ある意味で、ベトナムの人々の車の運転技術は相当に優れているといえるかもしれません。日本人のドライバーだけでこんなルールを適用したら、おそらくそこら中で事故が起こることになるでしょう。こんな社会で鍛えられた人々は世界中どこに出て行ってもたくましく生きていけるのだろうなと感じてしまいました。

ベトナムの社会

 ベトナムの社会は若者の社会です。バイクに乗っている人の大半は若者たちです。なにせベトナムは40歳以下の人口の割合が8割を占めるのだそうで、圧倒的な若者の国なのです。こうした人口構成の歪みはおそらくベトナム戦争という悲惨な歴史と無関係ではないと思われますが、それにしても、若者ばかりの社会というのはある種の活気がみなぎっていることは間違いありません。

 ベトナム社会は今、格差社会化しています。ホーチミンの中心部にほど近い近郊には、近代的なマンションが建ち並ぶ副都心が建設されており、そこにはポルシェの販売ショールームまであります。道路の中央分離帯にはスプリンクラーが設置され、芝生が青々と茂っています。この辺りのマンションは非常に価格も高く、日本と比べても高いとさえ言われています。ベトナムでは四輪自動車の価格が高いこと有名です。税金によって日本よりも価格が高くなっているとのことですから、よほどの金持ちでなければ車を持つことはできないことは言うまでもありません。

 ではどこからそんなお金がわき出ているのでしょうか。一つ大きな要因として「越僑」と呼ばれる人々の存在があります。彼らはベトナム戦争の際に南の側に立っていたものの、北が勝利を収めた際に、国外に脱出した人々です。特に南政府関係者の子弟は大学入学の資格さえないとされ、多くの南政府関係者はボートピープルとなって国外に脱出していったようです。そんな人々が米国を始めとする海外で財をなし、本国へ送金しているのです。その送金規模はベトナムのGDPの1割程度と言われていますので、相当な規模です。こうした越僑の送金の中には、マンションなどの不動産投資に向けられるものも相当あるようで、それがある種のバブルを作り出しているという面もあるようです。ホーチミンでは、こうした越僑の人々が帰国する際、親族が大挙して空港で長時間お出迎えのために待っているという話もあるくらい、越僑ベトナム経済に与える影響は大きいのです。

 こうした格差の存在にもかかわらず、ベトナムは未だに社会主義国家であることには違いありません。しかも、ベトナム人はもともとアジアの中でも平等指向が強い人々です。こういう格差社会がどこまで許容されるのかは、今後のベトナム社会を占う上で大きな要素であることは間違いないでしょう。

ホーチミンのサックス・プレイヤー

 ジャズは世界各国で幅広く演奏されている音楽ですが、まさかホーチミンで良質のジャズ演奏を聴けるとは思ってもいませんでした。

 ホーチミンの中心部にある「Sax n'art」というジャズクラブ。そこで演奏するのは、Tran Manh Tuanというサックス・プレイヤーです。少し長い後ろ髪に軽く髭を蓄えた風貌で、センス溢れた張りのある音色を聴かせてくれます。次から次へと飛び入りのミュージシャンたちをステージの上に上げ、その場で簡単な打ち合わせをしただけで、実に意気のあった演奏を聴かせてくれました。

 このTran Manh Tuanというミュージシャンは、サックスだけでなく、ピアノを弾かせても素晴らしい演奏を披露してくれます。17歳という少年サックス・プレイヤーをステージに上げ、自らはピアノを演奏していたのですが、この少年の演奏がどことなくぎこちない。すると、Tran Manh Tuanは帰ろうとしていたミュージシャンを呼び止めて曲の途中でピアノを代わってもらい、自分はサックスを手に取り、少年と共演して、ステージをあっという間に盛り上げてしまう・・・、なかなか見せてくれる演出です。特に「Misty」の演奏は大変素晴らしかったです。

 この方のCDはまだあまりアマゾンでも入手が容易でなさそうですが、その店で買ったCDはベトナムの音楽を取り込みながらなかなかまとまりのある演奏が収録されていました。

 こんなジャズとの出会いもあるのだなぁ、と感慨にふけりながら、ホーチミンの夜を過ごしたのでした。

ベトナムまとめ

 とにかく、この国のヴァイタリティには圧倒され続けました。この国は中間管理職的な世代が駄目で、この世代が一掃されて今の若者たちが社会の中心に躍り出ていけば相当変わるのではないかという話をよく聞きました。私もそんな感じを受けました。

 あのバイク熱を見ている限り、この国の将来は漠然とした感覚として明るいと感じました。あのエネルギーが世界に向かって放たれていく日が来るとしたら、それはたくましくもあり、おそろしくもあるでしょう。


 香港、上海、ホーチミンと回ってきましたが、それぞれが独自の個性を持った都市で、それぞれの顔を持っていて、大変興味深い旅でした。

 ただ、これらに共通して感じたのは、アジアのいずれの国もその底流においては共通の要素が横たわっているのではないかということです。香港の屋台の雑踏の中で食事をしていても、上海の新天地で上海の若者に紛れていても、ベトナムのバイクだらけの街を歩いていても、ほとんど違和感が感じられないのです。言葉は満足に通じ合えないかもしれませんが、何か感性は共通するものがあるという気がするのです。こういうアジア共通の感覚というのを私は大事にしていきたいと思いますし、そこからもしかすると、アジア文化圏のようなが共通文化圏が醸成されていくかもしれません。

 そんな壮大な夢を抱きながら、今回のアジア歴訪の旅を無事終えたのでした。