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映画、書評、ジャズなど

「ラヴソング」★★★★★

ラヴソング [DVD]

ラヴソング [DVD]

 ピーター・チャン監督の1996年製作の香港映画です。後半部分のテンポの良さに思わず脱帽です。中国内陸部から香港、ニューヨークまでと世界を股にかけた自在の舞台設定、登場人物のせつなく繊細な心理の駆け引き、細部のストーリー設定の見事さ、どれを取ってもぴかいちの出来映えです。

 天津から列車に乗って香港に出てきたシウクワン(レオン・ライ)は、大都会の生活に心躍らせる。そんな中、マクドナルドの店員のバイトをしていたレイキウ(マギー・チャン)と出会う。恋人のシャオティンを香港に呼び寄せることをささやかな夢としていたシウクワンとは対照的に、レイキウは、香港でできるだけ稼いで金持ちになることを目指していた。

 友人が少ないシウクワンとレイキウは共に過ごすようになる。レイキウは中国で大人気を博していたテレサ・テンのカセットを販売して一儲けしようとするが、中国の田舎から出てきたことを隠したい香港の人々はテレサ・テンのカセットに見向きもしなかった。株への投資も失敗し、結局、レイキウは多額の借金を背負うことになるが、2人はベッドを共にする仲になる。

 シウクワンは長年の夢を叶えるべく、シャオティンを香港に呼び寄せて結婚する。一方、レイキウは借金を返済するために始めたマッサージを通じて、香港のやくざのパウ(エリック・ツァン)と出会い、結ばれる。

 だが、シウクワンとレイキウの2人は互いのことが忘れられない。ある時、2人は車で2人きりになった。車の外でテレサ・テンの周りにファンが群がっている光景が見える。シウクワンはすかさず駆け寄りテレサ・テンにサインをしてもらう。再び車に戻ったシウクワンはそのままレイキウと分かれようとした。その後ろ姿を見送っていたレイキウはついうっかりクラクションにもたれかかってしまう。シウクワンは再び車に歩み寄り、ウィンドウ越しに2人は熱い抱擁を交わす・・・(このシーンがとにかく最高の出来映えです。)。

 シウクワンは妻シャオティンに対し、レイキウに対する思いを打ち明け、シャオティンは天津に帰って行く。一方、レイキウもパウのところに話をしようとしたところ、パウはある事件に巻き込まれ、国外に逃亡しようとしていたところだった。レイキウは結局、パウとともに国外に脱出する。

 レイキウとパウはニューヨークにたどり着き、新たな生活を始めようとしていたところ、パウはスラムの若者たちとのいざこざに巻き込まれ、射殺される。レイキウは孤独にニューヨークに取り残された。

 レイキウは、法定滞在期間を経過したことから、強制送還のために空港に車で向かっていた。そのとき、レイキウは、自転車に乗るシウクワンの姿を見つけたのだった。すかさずレイキウは車外に飛び出し、シウクワンの後を追ったが、ニューヨークの人混みの中に姿を見失ってしまった。

 その後、レイキウはニューヨークで中国人向けのガイドの仕事をしていた。そんなある日、レイキウはテレサ・テンの訃報に接する。レイキウはニューヨークの街のショーウィンドウに置かれたテレビを何となく眺めていた。シウクワンも同じテレビを眺めている。2人は互いに顔を見合わせ、互いの存在に気づき、ゆっくりと微笑み合った・・・。


 何ともスケールの大きい物語です。期待に胸をふくらませて香港にたどり着いた2人ですが、大都会の中で目的を見失っていってしまいます。そして、紆余曲折を経て、ニューヨークという香港とは全く離れた都会でようやく真の幸せを手にすることができたわけです。壮大な物語の末のハッピーエンドが何とも言えない後味の良さを残してくれます。

 しかも、この作品は、細部のストーリーにものすごく細やかな工夫が施されています。

 シウクワンの香港での唯一の親族であった叔母は、若い頃、香港でたまたま映画撮影をしていたハリウッドの俳優からペニンシュラ・ホテルに食事に誘われた経験を誇りとして生きていたのですが、叔母の死後、叔母のトランクからは、食事を共にしたペニンシュラ・ホテルの食器が出てきます。叔母の無邪気さといえばそれまでなのですが、多くの人々はこうした些細なことを心の糧にして人生を乗り越えているという面もあるわけです。

 それから、レイキウがパウと出会う場面です。パウの背中には一面入れ墨が施されていたのですが、ある日パウはレイキウの気を引くために背中に小さなミッキーマウスの入れ墨を彫ってきます。しかしレイキウはニコリともしません。
 それが、ニューヨークでパウが殺されたとき、身元確認に立ち会ったレイキウは背中のミッキーマウスの入れ墨を見て思わず吹き出してしまい、それから号泣します。自分の恋人が死んで悲しいはずなのに、思わず吹き出してしまうこの心理描写。ニューヨークという見知らぬ街に一人残され、自らの立ち位置や先々の目的を見失ってしまったレイキウの複雑で倒錯的な内面をこういう形で表現する監督らに対して、心の底から尊敬してしまいます。

 こういう映画を見ると、アジア映画というのは本当にすごい底力を持っているのだということを改めて実感させられます。何度も繰り返し言っているように、こういう心理描写はハリウッド映画には絶対にできません。正に“アジア的感性”ともいうべき繊細な心理です。

 間違いなく必見の映画です。