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「殺人狂時代」★★★★

 この映画は評価が割れる作品でしょう。そこには山高帽をかぶるチャーリーの姿はなく、ビジネスの延長で淡々と罪のない女性たちを殺害し続ける男がいます。それは当時の観客にとってはショッキングだったに違いありません。


 フランスのある名家の婦人が銀行の口座から全額をおろした上で行方不明になる。この婦人の結婚相手とされていた男がチャップリン演じるヴェルドゥだ。彼の姿は南仏の広い庭付きの邸宅にあった。庭の焼却炉からは何日にもわたって煙がもくもくと出ている。彼は婦人を殺害して金をせしめていたのだった。

 ヴェルドゥは、不況の影響を受けて30年間まじめに働いてきた銀行をクビになってしまった。体の不自由な妻と幼い息子を養うヴェルドゥは、以来、中年女性たちを騙しては殺害するという生活を送るようになっていたのだった。

 ヴェルドゥは家を下見に来たグロネイ夫人にも言葉巧みに近づこうとする。しかし、ヴェルドゥは他にも様々な女性を騙していた。ある女性には外国を飛び回る技師と名乗り、ある女性には船長を名乗っていた。

 ある時、ヴェルドゥは証拠を残さずに心臓麻痺を誘発することができる薬品についての話を聞き、この薬品の効果を試そうとする。その実験のターゲットとなったのは、刑務所を出たばかりのマリリンだった。マリリンには戦争で怪我をした恋人がおり、彼女は恋人を支えるためにちょっとした犯罪を犯したために投獄されたのだった。この話を聴いたヴェルドゥはマリリンの殺害を躊躇し、結局、お金を渡して励ましたのだった。

 やがてヴェルドゥは警察に目を付けられて逮捕され、ギロチンによる死刑を宣告される。

 ギロチンにかけられる前に、ヴェルドゥは次のような台詞を吐く。

「1人殺せば悪党で、100万人だと英雄です。数が殺人を神聖にする。」


 この映画の主題は、戦争による大量殺戮を批判することにあることは、映画の最後の方でのヴェルドゥのメッセージから明らかでしょう。このメッセージを強く打ち出すために、チャップリンは、長年真面目に働いてきたにもかかわらず不況であっさりとクビになった憐れな境遇の男を演じたわけです。

 ところが、この対比構図は必ずしもうまくいかなかったかもしれません。なぜなら、ともすれば、この作品は、罪のない女性を次々と殺していくヴェルドゥをあたかも正当化するかのようにも受け止められかねないからです。

 つい先日のヘラルド・トリビューンで、この「殺人狂時代」が取り上げられていましたが、
http://www.iht.com/articles/2008/06/08/arts/chaplin.php
やはりこの映画は公開当初、激しい批判を受けたようです。

 しかし、この映画は、そうしたメッセージを抜きにすれば、弱い人たちに同情的なチャップリンの温かい姿勢を感じ取ることができます。次々と冷酷に女性たちを殺していくヴェルドゥが、刑務所を出たばかりのマリリンの身の上話を聞いて殺害を思いとどまる場面こそ、この映画のもっとも見所なのではないかという気がします。冷酷な殺害犯の中にも人間性の痕跡を見いだそうという点にこそ、山高帽のチャーリーとの連続性が感じられるように思います。

 そう考えると、ヴェルドゥがギロチンに向かう前に吐いたあの戦争批判の痛烈な台詞は、やや中途半端だったのかなぁという気がします。単に戦争による大量殺戮を批判したいのであれば、映画の設定を根本的に改める必要があったでしょう。

 そういう意味では、少し残念な作品ではありますが、政治的メッセージを抜きにしてコメディとして見れば、かなり楽しめる映画なのではないかと思います。