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映画、書評、ジャズなど

スティーヴン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」

文学

マーティン・ドレスラーの夢

マーティン・ドレスラーの夢

 1996年のピューリッツァー賞を受賞した作品です。

 スティーヴン・ミルハウザーは、日本でそれほど知られた作家というわけではありませんが、1943年8月3日生まれ、スキットモア・カレッジで教鞭を取りながら、作家としての活動を行っている方です。
 私もこの本でスティーヴン・ミルハウザーの作品に初めて接することになったわけですが、耽美的で儚い雰囲気の漂う作風に強く惹かれました。

 この作品は、19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、葉巻店の息子だったマーティン・ドレスラーがホテルの従業員として引き抜かれたのをきっかけに経営手腕を発揮して、飲食業の経営を手がけたあげく、自らのホテルを次々と築き上げていく物語です。


 マーティン・ドレスラーは父親の経営する小さな葉巻店の息子として生まれたが、幼い頃から店のウィンドウのショーアップを手がけるなど、商売の器量を身につけていた。そして、彼の葉巻店に来ていたヴァンダリン・ホテルのフロント係の男と知り合いになり、そのフロント係の元へ葉巻を届ける代わりにドレスラーの葉巻を宣伝してほしいと願い出る。そんな抜け目なさが気に入られて、マーティンはヴァンダリン・ホテルのベル・ボーイとして誘いを受けた。
 相談を受けたマーティンの父親も、いずれマーティンに店を継いでほしいと思ってはいるものの、

「何といってもここはアメリカ、機会の国だ。ヴァンダリン・ホテルこそ黄金の機会と言えないか?」

と言って、マーティンの転身に賛同する。

 ヴァンダリン・ホテルにはやっかいな婦人客がいたが、マーティンはそんな客にも気に入られるなどして、徐々にヴァンダリン・ホテルの幹部から信頼を勝ち取っていく。やがてマーティンは、ヴァンダリン・ホテルのフロント係となり、そして、ホテル内の葉巻スタンドを引き継いで、その経営にも乗り出した。

 こうしてマーティンは、ヴァンダリン・ホテルのフロント係、ホテルの葉巻スタンドのオーナー、そして父親の葉巻店のパート店員という三重の生活を送るようになる。週の大半は仕事に打ち込んだ。やがてマーティンは、ヴァンダリン・ホテルの支配人の秘書に登用される。20歳になったマーティンには、自分を試してみたいという欲求が湧き上がっていた。

 そんなとき、ある古びた博物館が閉館された。マーティンはエンジニアのウォルター・ダンディーとともに、博物館が閉館された場所に、ランチルーム、ビリヤード場などを作るプランを構想する。鉄道馬車の車内の広告板にも注目して、広告を活用した戦略を練る。そして「メトロポリタン・ランチルーム・アンド・ビリヤードパーラー」のオープンにこぎ着けた。

 マーティンは日曜の晩はベリンガム・ホテルで夕食をとることが習慣になっていたが、そこで母親と2人の娘の3人組のヴァーノン家と知り合いになり、やがてマーティンは家族の一員のような関係になる。マーティンはこの3人と過ごす時間は至福の時間のように感じられた。そして、娘の1人で姉の物静かなキャロリンに結婚願望を抱くようになる。その妹のエメリンが相談相手になり、やがて、マーティンとキャロリンは結婚する。しかし、初夜はうまくいかず、マーティンはベリンガム・ホテルの階上に住み込みで働くマリー・ハスコヴァという女の部屋に駆け込む。

 その後マーティンは、自らの店を売り払い、経営危機に陥っているヴァンダリン・ホテルを買い取った。そして、新しい支配人を迎えると、ヴァンダリン・ホテルの大改造に踏み切る。宣伝活動も強化した。こうしてニュー・ヴァンダリン・ホテルはオープンし、大成功を収めたのだった。

 マーティンは、ルドルフ・アーリングという若くて独創的なデザイナー、そしてハーウィントンという広告業者と組んで、ザ・ドレスラー・ホテルをオープンさせる。このプランも大成功だった。さらに、ニュー・ドレスラー・ホテルの建設に取りかかる。このホテルは、旧ドレスラー・ホテルの限界の彼方へ推し進めることを目指したものであった。

 マーティンの果てしない野望は続き、今度は地下12層、地上30階というグランド・コズモの建設に取りかかった。マーティンの拡大欲は地下深くへと向かっていったのだった。これこそ、マーティンが歩んできたドレスラー・ホテル、ニュー・ドレスラー・ホテルの集大成ともいうべきものだった。マーティンはここをホテルとして宣伝することを禁止し、

「グランド・コズモ 生き方の新しいコンセプト」

というフレーズに訴えさせた。グランド・コズモはそれ自体完結した空間であり、「都市の中の都市」というべき空間だったのである。

「…都市を不要にする場としてのグランド・コズモ。それ自体都市であれ、人々が都市を逃れてやって来る場であれ、グランド・コズモは完結し、自己充足した世界なのであって、それに較べれば現実の都市など、単に劣っているのにならず、余計でもあるのだ。」

 こうして既成の概念を打ち破るグランド・コズモが完成したが、それは幽霊が出てきたり、不良集団の喧嘩が再現されていたり、鬱病の患者を演じる俳優がいたり、おぞましい空間であった。

 グランド・コズモは大々的な宣伝にもかかわらず、49%しか借り手がつかなかった。急速に赤字も膨らんでいく。グランド・コズモは商売として明らかな失敗だった。

 マーティンはようやく長い夢から覚めたのだった・・・。


 この作品では、古き良き伝統的な社会とモダンでテクノロジーを駆使した近代社会との共存という<矛盾>が一つのテーマとなっています。人々はこの矛盾する2つの指向を持っており、当初のヴァンダリン・ホテルはそうした人々の指向に答えることができていたわけです。マーティンは次のように言っています。

「人々は矛盾したもの、不可能なものを求めているんです、それを提供するのがヴァンダリンの務めなんです。それを果たすためには、同時に両方向に動くことです…」(p69)

 成功を収めたザ・ホテル・ドレスラーも、かたや田園リゾートを標榜するとともに、都市の新しい、日々ますます繁栄する地域に建っていることを強調するという、

「一個の巨大な矛盾にほかならなかった」(p199)

のです。

 しかし、マーティンの野望が進んでいくにつれ、この矛盾が両立できなくなっていきます。マーティンは既成のホテルの概念を打ち破り、

「ホテル以上―生き方そのもの」(p222)

を目指すようになっていきます。その究極形がグランド・コズモであり、もはや人々の支持を得ることができないものとなってしまったわけです。

 マーティンがここまで突き進む上で大きな転機となったのは、ルドルフ・アーリングとハーウィントンという2人の人物との出会いです。ルドルフ・アーリングは伝統的な価値など認めない斬新なデザイナーであり、ウィントンは<広告>という手法をマーケティングに積極的に取り入れることによって人々の欲望を作り出していく人物です。<広告>が人々の欲求を作り出していくというのは、J・K・ガルブレイスの<依存効果>が資本主義における消費のメカニズムを説明したものとして有名です。つまり、ルドルフ・アーリングが伝統的価値観を打ち壊す役割を果たす人物として、ハーウィントンは消費社会の成立のお膳立てをする人物として、この作品の中で重要な役割を担っているように思われます。こうして、マーティンは矛盾の重要性を徐々に見失っていってしまうことになるわけです。

 初めて手にしたスティーヴン・ミルハウザーの作品でしたが、発展指向・拡大志向の裏に宿命的に付きまとう<空虚>さを鋭く描写した作品で、アメリカ社会への批判的な視線をどこか内包するような感じを持ち合わせており、大変奥深い作品でした。