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映画、書評、ジャズなど

ガルシア=マルケス「百年の孤独」

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 ガルシア=マルケスによる1969年の作品です。マコンドという村における百年間に渡るブエンディア一族の興亡を描いた壮大な物語です。マコンド村を興し、そしてマコンド村の中心的な存在だったこの一族の者たちは、物語の終盤に向かうに連れて、次第に村の人々の記憶から忘却されていき、そして孤独な環境の中でその生涯を閉じていきます。最後、禁断の愛から生じた豚のしっぽを持つ赤子が生まれたとき、一族の血は途絶えることになります。物語の途中、一族の血に外部の血が混じっていき、それが一族の滅亡の加速にもつながっていきます。


 ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの夫婦は、新大陸生まれのタバコ栽培業者の末裔であったが、ある日、ホセ・アルカディオ・ブエンディアが投げた槍がアギラルという男の喉に刺さる悲劇を生んだことから、2人は町を出て山を越え、マコンドの地に辿り着いた。

 2人には、ホセ・アルカディオとアウレリャノ(大佐)という2人の息子がいた。その後、アラマンタという娘が誕生する。ホセ・アルカディオは、この一家に出入りするピラル・テルネラという女との間に関係を持ち、その間に生まれた子供はアルカディオと名付けられる。その後、ホセ・アルカディオは、ジプシーの一団とともに、村から姿を消してしまう。

 やがて、マコンド村に政府から任命されたという町長ドン・アポリナル・モスコテがやってくる。ホセ・アルカディオ・ブエンティアは当初、居丈高のモスコテとぶつかるが、結局、モスコテがこの村にとどまることを認める。
 アウレリャノ(大佐)はモスコテの末娘のレメディオス・モスコテに一目惚れし、結婚する。

 一家は自動ピアノを購入し、その調律のためにイタリア人の技師ピエトロ・クレスピが派遣されてきたが、ある日突然村にやってきたレベーカという娘とアマランタが2人ともこのピエトロ・クレスピに恋してしまう。結局、レベーカとピエトロ・クレスピが結婚する運びとなり、恋に破れたアマランタはレベーカに対して激しい恨みの念を抱くことになる。 ところが、ジプシーの一団とともに姿を消していたホセ・アルカディオが再びマコンド村に戻ってくると、レベーカはホセ・アルカディオの虜になってしまい、2人は結婚することになる。傷心のピエトロ・クレスピはアマランタに結婚を申し込むが、アマランタから冷たい仕打ちを受け、結局、手首を切って死ぬ。アマランタはかまどの火に手を突っ込みやけどを負い、死ぬまで繃帯をし続けることになる。

 アウレリャノ(大佐)はホセ・アルカディオと関係のあるピラル・テルネラと関係を持ち、2人の間に生まれ子供はアウレリャノ・ホセと名付けられた。アウレリャノ(大佐)の妻レメディオスは、アウレリャノとピラル・テルネラとの間にできた子供を自分の長男として育てていたが、ある日レメディオスは熱いスープを飲んで死んでしまう。
 
 そんな中、自由党と保守党の間の争いが起こる。自由党は連邦制に国を分断することを主張し、保守党はそれを容認していない。また、自由党は坊主を縛り首にすることを主張し、保守党はキリストの信仰と権威の原則の護持者だった。自由党に共感を抱いたアウレリャノ大佐は兵を率いて戦争に出発する。 アウレリャノ大佐は32回も反乱を起こし、その都度敗北した。そして、17人の女にそれぞれ1人ずつ17人の子供を産ませた。最後には、革命軍総司令官の地位に就き、政府からおそれられる人間となった。

 アウレリャノ大佐からマコンドを任せると言われたアルカディオは、村に厳戒態勢を敷き、残忍な支配者となる。アルカディオとホセ・アルカディオは、マコンドの土地を勝手に自分達のものにしてしまうが、その後アルカディオは、敵の手によって射殺される。銃殺されたアルカディオとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダとの間に生まれた女の子はレメディオスと名付けられた。

 ホセ・アルカディオは、結局真実が解明されない発砲事件によって命を落とし、その妻レベーカは、その後、隠遁生活に入る。

 アウレリャノ大佐も敵の手に落ちたが、敵にはアウレリャノを銃殺する勇気はなく、やがてアウレリャノは逃亡を図る。アウレリャノ大佐は、やがてマコンドに戻ってくるが、マコンドの村で絶大な権力を持つことになり、母親のウルスラにさえ3メートル以内に近づくことを許さなかった。アウレリャノ大佐はもはや戦いの目的を見失ってしまっていた。やがて、アウレリャノ大佐は、仕事場に閉じこもって、金細工の製作に打ち込みながら、生涯を終えていくことになる。

 アルカディオとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの間にはホセ・アルカディオ・セグンドとアウレリャノ・セグンドの双子の子供がいた。また、この世のものとは思えない美しい娘もいてレメディオスと名付けられた。双子の息子は共にペトラ・コテスという女と関係を持っていた。美しい娘レメディオスは、その後、シーツに抱かれて高みへ飛んでいき、永遠に姿を消してしまうことになる。

 双子の弟アウレリャノ・セグンドは、あるカーニバルのとき低地の方から金色の輿に入ってやってきたフェルナンダと知り合う。彼女はマダガスカルの女王にするという約束でマコンドにやってきたのだが、その後アウレリャノ・セグンドと結婚することになる。フェルナンダは自らの先祖からのしきたりをこの一家に持ち込んだ。やがてアウレリャノ・セグンドはフェルナンダをほったらかしてペトラ・コステの元に通い詰めるようになる。

 マコンドの村には、やがて鉄道が敷かれた。そして、村にはバナナ栽培のためアメリカ人たちが大挙して押しかけてくるようになる。アウレリャノ大佐はこうした状況を憂え、自分の17人の息子たちに銃を持たせてよそ者を皆殺しにしようと決意するが、逆にアウレリャノの息子たちを狙った殺人が次々と起こる。

 双子の兄ホセ・アルカディオ・セグンドは、バナナ会社の労働者を扇動してストライキを起こす。駅前に集まった群衆に対して、軍隊は一斉に銃で撃った。ホセ・アルカディオ・セグンドは生き延びることができたが、意識を取り戻したとき、その貨車には夥しい数の死体が積まれていた。しかし、その後ホセ・アルカディオ・セグンドがこのとき見た光景を他の人々に話しても、皆そういう事件があったことを否定するのだった。将校たちは、マコンドでは何も起こらなかったと主張するだけだった。

 アウレリャノ・セグンドとフェルナンダの間に生まれた娘のメメはバナナ工場で働くマウリシオ・バビロニアという男に夢中になるが、マウリシオ・バビロニアはメメの浴室に忍び込もうとしたところを警官に撃たれてしまう。メメはフェルナンダに修道院に連れて行かれ、そこで老衰で息を引き取るまで過ごす。マウリシオ・バビロニアとの間には子供が生まれアウレリャノと名付けられたが、その素性は隠されたままにされた。

 メメにはアマランタ・ウルスラと名付けられた妹がいた。アラマンタ・ウルスラは村にベルギー人ガストンを連れてきた。アラマンタ・ウルスラは現代的で自由な精神の持ち主であった。ガストンは飛行機を飛ばすことを計画していた。しかし、計画が思うように進まず、飛行機が到着するのを待ち続けるようになるが、アラマンタ・ウルスラはそんなガストンの態度に淋しさを感じ、甥に当たるアウレリャノと(甥であるとは知らずに)親密になっていく。やがて、ガストンがブリュッセルに帰っていくと、アラマンタ・ウルスラとアウレリャノは恋に夢中になり、子供を作ってしまう。しかし、生まれた子供には豚のしっぽがくっついていたのだった。アラマンタ・ウルスラは出欠が止まらず命を落とす。豚のしっぽがついた赤子も死体となって蟻の大群に運ばれていた。こうして一族の血は途絶えたのだった・・・。


 おそらく、以上のあらすじを読んで物語の流れをパッと掴める方は少ないでしょう。この物語の中には、とにかく多くの登場人物と豊饒なエピソードが詰め込まれており、この物語を読み進めていくためには巻頭に付いているブエンディア家家系図を頻繁に参照することが必要不可欠です。

 血筋を守る上で最低限遵守することが必要だったのは、近親結婚の禁止という規範の遵守です。ウルスラの世代は近親結婚によってしっぽがついた子供が生まれてくるという先例があったことを認識しているのですが、それが物語の最後の方になってウルスラも既に亡くなっている時代には、そうした先例が忘却されてしまっており、近親結婚に対する警戒感が薄れてしまっているわけです。

 そして、物語の主要人物たちは、悉く孤独な死を遂げていきます。かつては村の独裁者ともいうべき立場にも就いたアウレリャノ大佐は孤独な晩年を過ごしますし、レベーカに至っては、生きているかどうかも皆から意識されない存在となってしまいます。アウレリャノ大佐の妹に当たるアマランタも見事な刺繍を終えた後に自分の死期を感じ取り、自分が処女であることを確認させた後、静かに亡くなっていきます。死ぬ間際まで溌剌と生きていたような登場人物はほとんど見当たらず、皆どこか影を抱えながら亡くなっていくわけです。

 繁栄していた頃のブエンディア家を支えていたのはウルスラでした。彼女は血筋を守るために、一族の状況に常に目を光らせ続けてきました。しかし、ウルスラに代わってこの家の中心人物にフェルナンダという他の家から嫁いできた女が躍り出てくると、ブエンディア家の歪みは次第に顕著になっていきます。 外部の血がブエンディア家に入り込んできたことで、一族の繁栄が損なわれていったわけです。

 ここで、ブエンディア家が伝統の象徴であるとすれば、外部の血は近代を象徴するものだと見ることができるでしょう。物語では、伝統的な社会と外から入り込んでくる近代とのせめぎ合いが常に意識されて描かれています。自動ピアノが持ち込まれたこと、鉄道の開通、バナナ工場の建設、飛行場の構想などなど、これらはすべて外部から入り込んでくる近代の象徴として描かれているような気がします。『予告された殺人の記録』でもこのテーマは物語の重要な柱となっていましたが、ガルシア=マルケスにとっては極めて核心的なテーマなのかもしれません。

 ブエンディア家の始祖ともいうべきホセ・アルカディオ・ブエンディアは、ジプシーであるメルキアデスという科学を吹聴する男に傾倒し、科学的な実験に没頭します。物語の最後では、メルキアデスの部屋に残された記録が実はブエンディア家の行く末を既に予言していたことが明らかになるわけですが、ブエンディア家の滅亡はその始まりにおいて既にその内に潜んでいたわけです。メルキアデスの存在が近代の象徴だとすれば、それは不吉な将来を暗示するメタファーだったといえるかもしれません。

 とにかく、次から次へと性にまつわるユニークかつブラックなエピソードが飛び出しきて、そのひとつひとつが何某かの暗示性を備えたものであるので、読み進めて行くには多少の労力を伴いますが、読み終えた後の脱力感というか達成感もその分ひとしおである作品でもあります。魂の奥底に働きかけるような文学でしか堪能することができない感覚を、この物語は惜しみなく読者に与えてくれます。

 やはり不朽の名作と評するに値する作品だと思います。